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消臭ビジネスに乗っかった洗脳の代償

ニオイってやつは
人間の心を振るわせる心理的作用をもたらす効果があるので
古来より神秘的なものとして寄り添ってきた歴史があります。

クレオパトラはこの力を利用して国政を行ったことは有名ですし
今でも香水という文化が脈々と受け継がれていることが
人間にとって必要不可欠な存在である証明でもあります。


クレオパトラの過去記事はコチラどうぞ


しかしながら、こと日本においては衛生志向がケタ外れに強く
ニオイを排除する方向へと年々進んでおります。

口臭や体臭を気にしたり、
時にセクハラやいじめの原因となるケースも多いそうで
異常ともいえるほど消臭に敏感な国民性であり
世界でも圧倒的に消臭市場が高いのが我ら日本なのです。

そもそもニオイなんてものは個人差があり心理的なものなので
ここまで排除する傾向が強くなるはずがないのです。

この傾向は近年の消臭ビジネスに乗っかった
洗脳の代償なのではないかと思っているのです。

「くさいはバツ!」
「キレイが大人のたしなみ」
「マナーですから」

みたいに過剰なほどニオイの排除が進んでいるのは
何か仕掛けられているのではないかと…。

確かに臭いよりイイニオイの方が良いのは間違いありませんが
世界では歯を磨かないとか
お風呂に入らないとか
体臭はフェロモンとして文化的に認知されている地域が多いのも事実です。


振り返っても昔の日本人は
くさやとか納豆を食してたわけですし
民族的なポテンシャルとしてはある程度クサイものにも免疫はあったはずです。…というより味覚としては世界一流の感性を持っているはず。

「くさい」という感覚にしても、個人差があって
納豆のニオイを好きという人もいれば嫌いという人もいる。

くさやも同じ(ボクは苦手)

男の汗はめっちゃクサイけどそれが好きな女性もいます。

我が子の汗なら何にも感じないし
尊敬する人の汗なら煎じて飲みたいという人もいる。

このように同じニオイでも心理的作用
好意的にも嫌悪感にもなっちゃうもの。

それをどこぞのものともわからないモノサシで線引きして
クサイものは排除しちゃえ~ってかなり乱暴な流れを感じてしまいます…

辛いことがあるから楽しさが引き立つように
クサイものがあるから良い香りが引き立つのも事実。

良いニオイばかりに触れてると
良いニオイを嗅ぎ分ける能力が低下してしまいます。


そして合成物に触れすぎるのも同じ。
なるべく自然物のニオイに触れるようにしたいもの。
合成物ばかりだと鼻がバカになっちゃいます。

日本は今一度、
排除されがちなニオイや香りとの共存の在り方を
再確認するべきなんじゃないかなと思うわけであります。


ありがとうございます!お気持ちは寄付させていただきます。