手段が目的にすり替わる病

あー気づいてしまったなぁ
手段が目的にすり替わっていたことに

あれ?なんか疲弊してるなと気づいた1月
そこからゆっくり休みながら今5月
思えばコーチングするぞーと意気込んでいた半年前
いや、今思えば恥ずかしいしとしか思えないんだが
自分のためにしようとしてたのね?コーチングをさ
何もない私が、何者かになるためにやろうと思ってたわけよ
100%がその気持ではなかったけど、やればやるほどその気持ちが先行してた

コーチングスクールで学び、そこで業務委託でお仕事させてもらうことになったのが去年の10月
そこでよく言われていたのが「メンター自身が体現者であること」
挑戦の怖さも知っていて、常に挑戦し続けているかどうか
を問われていた

体現者であるためにコーチングを個人でやろうとしたり
体現者であるためにコーチングを上達させようとしたり

今ならわかる
いや、逆だから

もちろんそういうベクトルでやることがあってもいい
でもそれが全てだとただただ虚しい

コーチングって手段だから
やるのが目的になっちゃってたんだね

だからゆっくりと、だんだんと私は疲弊していった

1月くらいから
コーチングを練習しまくっていたのを手放し
コーチングを個人でやろうとしていたのを一旦手放し
そして数日前、業務委託でやっていたスクールでのお仕事も手放した

学んだこと、やってきたことは自分の中にちゃんとあるって感覚があるし
コーチングを通してできた繋がりも途切れない感覚がある

コーチングは
自分のやりたいことにそって
使っていくものになり

目的にすり替わってしまっていたものは
手放して

ちょっと怖いけど
気持ちはすっきりしてる

手放すことで、また出会うものもたくさんあるから


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