貴方が思う親切は?
最近思うのだけど、道行く人に親切にすることって、巡り巡って自分の懐にまた飛び込んでくる気がするのだ。
例えば、
店員さんには目を見てお礼を言う
大きな声で挨拶をする
エレベーターは必ずボタンを押す係をやる
ご老人には席を譲る
カメラのシャッターを押せなくて困っている人には「撮りましょうか?」と声をかける
当然のことかもしれないので、やっている人の方が多いかもしれない。
自分がネガティブになっている時、こういう行動をすることで、「私は正しいことをした。こんな私に感謝してくれた。笑顔を向けてくれた。有り難い」と思っている時期もあった。歪んだ親切もあったものである。
私、最近凄く運が良いと思っているのだけど、
やたら神社に行く
何だったら行きつけの神社がある
願い事をする時は「見守っていてください」と言う(神様に願いを叶えてくださいとは言わない)
案件が乗り切れたら結果はどうあれ乗り切れたことに対する報告をする
成功したら勿論神社にお礼を言いに行く
常に感謝する
部屋を整理整頓する
自分で運が良いと言う
明るい声で喋る
これをすることで、自分のことを好きになれたし、周りが優しくなった気がするんです。
この前の会社の取引先の方、ほぼ菩薩しかいなかったからね。私と同じ役職でも、皆結構しんどい案件が多かった状態だったけど、私は全くしんどくなく、予算もスルッと達成出来てたのです。
大きな手か何かに、転ばないように、導かれているみたいでした。
私の場合、「優しいね!」って思われたくてやってないんだよね。いやそりゃ5%くらいは思われたいけどさ。
どちらかというと自分をもっと好きになりたくてやってるだけなんですよ。
私より善行積んでいる同期がいて。
ただ、私どうにもそのやり方が好きになれなかったんです。
褒めて感がすごく香っていて、電車で漂う付けすぎた香水のよう。
ある仕事終わり、同僚皆で駅に向かう道を歩いていました。
すると、自動販売機とコンビニがあったんです。自動販売機にはお札を入れているおじいちゃんが居ました。
よくある、日常の風景でした。
普通に通り過ぎて我々は駅に向かおうとしていました。
そうしたら同期がパッと立ち止まって。
「おじいちゃん〜、大丈夫ですかぁ?」
と言っておじいちゃんに声を掛け始め。
怪我してるとかじゃないの。
小銭がなく、お札しかなく、お札を入れても返ってきちゃうから途方に暮れてただけなの。
「どうしよう、小銭崩してあげなきゃっ!皆さん、小銭ないですか???」とか言い始めて。
優しくて空気読むCちゃんはお財布を取り出して小銭を数えていたのだけど、人の悪口めっちゃ言うDちゃん(この情報要らんか、ごめん)は「いや、コンビニ行って小銭崩せるし、何だったらコンビニで飲み物買えば良くない?」と言いました。私はDちゃんが苦手ですが、内心同意していました。
差し伸べるべき手ではなくない?そこまでしなくても良くない?
え?私ですか?私は財布見るフリして「小銭?ないなぁ…」と困った顔で言いました。だって面倒くさいもん。
ちなみに同期の上司も二人いましたが、そっぽを向いてました。うん、分かるよ…部下がミスしたのなら仲介するけど、そこまでする義理ないもんね…
皆時間なくて急いでたのに。
おじいちゃんは喜んでたよ。「こんなに親切にしてもらったことないなぁ!」って言ってたよ。だからおじいちゃんの今日の出来事には、「優しい若い娘が大丈夫ですか?と声をかけてくれた」と刻まれることでしょう。
ただ、個人的には「あ~あ、この立ち回りはこの同期、失敗したな」と思いました。
怪我とかだったら声掛けが大正解なのよ。勿論ね。
良い人アピールにおじいちゃんを利用したな、と私なんかは思ってしまって。
現に、同僚誰もその後暫く彼女に声をかけていませんでした。
私も口を噤みました。「優しいんだね」とかは言いたくなかった。だって思ってないもん。優しい行為は誰もいないところでやるべきだし、「褒めて」という香りが匂って(それはどうかな)と思いました。
でも、私も同じように思われてるかもしれないし、さりげなく、そよ風のように親切をする人になりたいなぁ。
まぁここで文章書いてしまったから、私も同じなんだけどね。
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