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映画『PERFECT DAYS 』が描く美しい日本人

東京・渋谷でトイレ清掃員として働く平山(役所広司)は、 静かに淡々とした日々を生きていた。 同じ時間に目覚め、同じように支度をし、同じように働いた。 その毎日は同じことの繰り返しに見えるかもしれないが、 同じ日は1日としてなく、 男は毎日を新しい日として生きていた。 その生き方は美しくすらあった。男は木々を愛していた。 木々がつくる木漏れ日に目を細めた。 そんな男の日々に思いがけない出来事がおきる。 それが男の過去を小さく揺らした。

PERFECT DAYS 公式

…てなお話。ヴィム・ヴェンダース監督(78)の久々の話題作で、米アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品でもあります。

 大都市を浮遊するように移動しながら人々を観察し、(多分)恋が成就するおじさんの話…なのでストーリーの骨格は、同監督の代表作『ベルリン天使の詩』(1987)と同じ
 全編4:3の画郭はヴェンダースが愛してやまない小津安二郎みを出すのはもちろんなんですが、16:9等と比較すると手持ちカメラ感が強調されて浮遊感も微増しています。

 『ベルリン~』の予告編がこちら。ストーリーとしては予告編で紹介されている以上のことは起きません。


これらの二作ですが、記述すると面倒なので比べてみるとこんな感じ。

PERFECT DAYS / ベルリン天使の詩 対比


 で、『ベルリン~』の東京版をどう描くかなんですが、役所広司の主人公はトイレ清掃業。渋谷区のおしゃれ公衆トイレを回ってケガレを清め続ける日々が淡々と繰り返されます。

 これがヴェンダースにとっての東京…というか日本なんだろうと思われます。例えば、日本古来の神道なんて実践としてはお清め・お詣り・お祓い・おまじないくらいですが、この映画の役所広司はひたすらお清め。
 墨田区のどこかの超築古アパートの自室でもお掃除、毎日の仕事の後は銭湯で自分を洗い流し、コインランドリーで洗濯。

 役所広司のこれら全てのお清めが儀礼的だったり祈りのようなものであるということは、毎日昼食時に彼が神社に立ち寄ることでも示されます。

 ケガレを清める=マイナスをゼロに戻すだけの日々で役所広司が行う唯一生産的な行為は、境内のご神木の芽をもらってきてアパートで盆栽みたいな感じで育てること。延々と続くお清めに神聖な意味があることがここでも示されます。
 ケガレを清めることを反復しつつ神社に通う…のが東京/日本らしいところなのでしょう。天使が一度死なないと降り立つことが出来ない場所がベルリンだとすると、ひょっとしたら、誰でも天使になれる場所がヴェンダースにとっての東京なのかもしれません。

 そう解釈すると、『ベルリン~』になかった要素ふたつ、環境音(掃き掃除の音/虫の声/ハイブリッド車のバック音…)と影(モノクロアナログ写真/木漏れ日…)の意味も分かるような気がします。『ベルリン~』では人間になった天使が、寒さに震えコーヒーを味わって五感があることに感激する描写があります。この映画では、小津安二郎を媒介してヴェンダースが自分のものとした、日本人の視線他の五感を描いているんじゃないでしょうか。ベルリンの元天使にも経験できなかった、様々な感覚を日本のおじさんは経験するのです。

 舞台になったThe Tokyo Toiletプロジェクトを実施した日本財団とユニクロがスポンサーになって製作された映画とのことですが、日本と日本人ならではの美しさを印象的に描くことに成功した映画になりました。