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私たちの 終戦の日 を9月2日に!

「終戦の日」の正式な英語表現を調べてみて気づいたんです。
Victory over Japan Day縮めて V-J Day、 Victory in the Pacific Day縮めてV-P Dayらしいんですが、8月15日じゃなかった。

欧米だと戦艦ミズーリ上での降伏文書調署名があった9月2日が対日戦勝記念日。 台湾はなぜか1日ずれて9月3日。 冷静に考えると当たり前の話で、相手があっての戦争ですから正式に降伏したところで終了。ヨーロッパ戦線も降伏は1945年5月8日か5月9日ですが、降伏文書署名=停戦が基準。日付が国によってずれるのは、欧州内の時差によるもの。ヒトラーの自殺が4月30日でそこが本当の起点だとは思うんですが、降伏文書署名の日が記念日。

日本だってポツダム宣言受諾通告の8月14日か 、9月2日でよさそうなもんです。 でも、玉音放送という国内イベントしかなかった 8月15日が終戦の日になってる。

なので、”8月15日の終戦の日”には定訳が存在せず、V-J Dayと混同されないように英語表記すると、結構無理やりなんですが、日本政府が決めた8月15日の名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の直訳"Memorial Ceremony for the War Dead Day”になりそうなんです。

要は、8月15日を太平洋戦争の終結と考えたのは大日本帝国だけ。だから直訳表現は存在しても、“8月15日終戦記念日”を意味する英語表現は存在しない。

この”8月15日 対 9月2日問題“って、太平洋戦争とは日本人にとってなんだったのか?をくっきりと浮き彫りにしています。終戦は大日本帝国が降伏文書に署名して、連合国側もこれ以上空襲もしないし攻撃もしないこれ以上原爆も落とさないと約束してくれた日、つまり国民の命の安全が確保された日ではない。かわりに、天皇陛下が国民に敗戦を告げて、大本営が国民に要求していた本土決戦・一億玉砕から日本国民が解放された日なんですよね。つまり、日本国民の命を危険にさらしていたのは大日本帝国で、それを救ったのは天皇陛下。なので、私たちにとっては、いまだに天皇陛下の御言葉の方が降伏文書より重いってことですよ。

大日本帝国も国民も、敵国でも自分自身でもなく、天皇陛下だけをみて戦争してたってことですね… そりゃ負けるって! 敵が見えてないんだもん。

とは言ってみたものの、天皇陛下だって大日本帝国だったんだから戦争責任あっただろ、とか、今更どうしようもないことを議論しようということではないんです。今日現在の私たちが思い知るべき重要なことは、2019年の今も、私たちは天皇陛下を基準に戦争とか平和とかに向き合っているという危うさです。
大日本帝国は、まず第一に日本国民の扱いが非人間的だった。靖国神社を受け皿として”英霊になるんだから死んでもOK、生き残る方が恥”なんて発想になっていた国民も多かったわけですが、生きている個人を非人間的な扱いをするのを正当化する思想的なからくりでしかありません。(蛇足ですが、だから、侵略した先の人々や敵兵捕虜の扱いが日本国民よりましになるわけがない)。

ところが、上皇陛下と今上天皇陛下の御言葉や行動をつなぎあわせてみると、そこへ逆戻りすることについては明確な意思を持って拒絶されているように感じられます。正直に白状すると、私は今上天皇陛下が毅然として、靖国神社参拝を拒絶し続けて下さる限り、安心しています。

危ういのは、むしろ私達日本国民。8月15日基準=天皇陛下基準で敗戦を理解し続けている限り、相手がみえていない戦争をしてしまったことに対する反省が深まらない。反省しないということは、繰り返す。もし仮に次があれば、その戦争も負けます。幸いなことにいまいまは、皇室が私たちが誤った方向へ走り出さないように重しになってくれていますが、そもそも皇室の政治的な重しが機能してしまうことが立憲君主国家の機能不全です。とても危うい。

… てなことを考えると、終戦の日を9月2日に引っ越しさせて、”戦争は外国とするもの”というあたりまえの文脈を取り戻したうえで、大日本帝国の在り方とか開戦するまでは好戦的だった当時の世論とか、色んなことを捉えなおすのがいいんじゃないかと思いますけれども。

【追記】
あ、すみません。8月15日を終戦の日としている国がもうひとつありました…韓国。 うーん…「8月15日に玉音放送で救われた”一億”には朝鮮半島の人口もはいってるんだよ、日王基準の終戦だよ」「”戦勝国”は9月2日にお祝いするんだよ」ってとても言い出しづらいですねぇ…  「“光復節は日帝残滓だよ”…」 むむむむむ…とてもじゃないけど言いづらいなあ…