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歌舞伎を民主化した男 猿翁(三代目市川猿之助)

 市川猿翁(三代目市川猿之助)が9月13日に83歳で亡くなられてしまいました。報道では歌舞伎の革命児というような紹介のされ方をしていますが、何が革命的だったのかまとめておきます。

 私自身が猿翁の舞台をみたのは一度だけ。2012年7月に『楼門五三桐』で猿翁をみたのが最初で最後でした。数年間病気療養した後、四代目猿之助と中車の襲名披露で一瞬復活したときです。 
 もともと『楼門五三桐』は石川五右衛門と真柴久吉が決め台詞を言い合って終わりみたいな演目であはるのですが、本当に真柴役の猿翁がセリから出てきて決め台詞言って取り巻きがでてきて終わり。立っているのもやっとの様子で息子の市川中車(香川照之)が黒衣姿で横に立って支えるという演出でした。とはいえ満場の観客は熱烈な拍手。その時は親子共演への称賛だと思ったのですが、少し調べただけで、猿翁が何故そこまで本当に尊敬されるのか、理由が分かりました。

 伝統歌舞伎では幹部俳優~御曹司のラインでいい役が決まる仕組みになっています。御曹司の場合、幹部役者の父親と一緒の舞台に立ち経験を積み、若いうちには女形も立ち役も経験し…というしくみでその過程そのものが観客の鑑賞の対象になります。大変な立場ですが、成長を鑑賞してもらうからには当然役がつきます。古典歌舞伎の演目での目立つ役での出演や若いうちからの主役級の配役は約束されています。(当然、三歳とかから色々なお稽古を始めて物心つく前から舞台に立ち、十歳そこそこで襲名して自分の責任で観客を楽しませる舞台を成立させなければならない、また歌舞伎役者の才能を受け継がない御曹司も当然いるので、それはそれで厳しい世界ですがひとまずそこは置いておきます。) 
 猿翁が率いていた澤瀉屋一門自体、猿翁の甥に猿之助の名跡を継がせ、息子香川照之が中車として歌舞伎役者になり、中車の息子も團子として歌舞伎役者になり、猿之助の名跡を継承していく道筋は見えています。

 猿翁自身、御曹司として若い頃から人気だったものの転機を経験しています。彼が23歳のときに祖父の猿翁(二代目猿之助)が亡くなり、父親の段四郎も同じ年に早逝。既に三代目猿之助を襲名済だったものの、後ろ盾=古典歌舞伎で共演してくれる主役級幹部俳優がいなくなってしまいました。

 後ろ盾がなくなった以降は、明治以降軽んじられていた宙乗り他エンタテインメント性を高める演出を復活し猿之助歌舞伎を確立しました。その一部が、照明を物量作戦的に使用して照明自体を舞台装置とするような古典歌舞伎にはあり得ないスタイルのスーパー歌舞伎です。
 若くして後ろ盾を失った猿翁/三代目猿之助がいなければスーパー歌舞伎は存在しませんでした。スーパー歌舞伎が存在していなければ『ワンピース』以降の各種エンタテインメントIP原作の新作歌舞伎も存在しません。澤瀉屋とは別枠ですが。ニコニコ超歌舞伎もなかったでしょう。

 つまり、【後ろ盾がない、あるいは後ろ盾がなくなった歌舞伎俳優が新しい演目を開発して主役級の役を確保する】というモデルを作ったのです。

 直近の事例としてはとうらぶ歌舞伎です。尾上右近、尾上右近、中村鷹之資、中村莟玉身の上については下記で紹介しましたが、同じくとうらぶに出演した上村吉太朗も部屋子出身、更におなじく河合雪之丞は国立劇場の養成所出身で歌舞伎役者市川春猿から新派へ移籍した人物。春猿としてはとしてワンピース歌舞伎の準主役級ナミ役も勤めています。

  これからの事例としては今年2023年12月新橋演舞場の『新作歌舞伎 流白浪燦星』があります。

ルパン歌舞伎

 ルパンの片岡愛之助は一般家庭出身、ルパンで五右衛門をやる松也はとうらぶの紹介記事の繰り返しになりますが父親が早逝。次元大介役の市川笑三郎も一般家庭出身。峰不二子役の市川笑也もまた、一般家庭~国立劇場養成所です。
 人気キャラ/初音ミク+ホログラム+ライブ配信+歌舞伎というニコニコ超歌舞伎を毎年の恒例イベントとして確立し、こちらも今年12月にはついに歌舞伎座での大歌舞伎演目へと育てた中村獅童は父親が歌舞伎を廃業した関係で後ろ盾なしの遅いデビュー。映画出演などを重ねて知名度を上げ、現在の主役級歌舞伎役者としての地位を勝ち取っています。

 三代目市川猿之助が古典歌舞伎以外のエンタテインメント性の高い新作歌舞伎のモデルを確立したからこそ、革新的な演目を開発して門閥を相対化したキャスティングで実力のある歌舞伎俳優を並べるという機会が出来ました。
 「門閥制度は親の仇で御座る」と個人の努力研鑽で出世できない世の中に対する憤りをあらわにしたのは福澤諭吉でしたが、慶応大学出身の市川猿翁も門閥外の歌舞伎俳優の活躍の機会を拡大し、歌舞伎の民主化を大きく前進しました。革命的という言葉の定義に忠実な意味での革命=民主化 を歌舞伎にもたらしたのです。そうすることで、歌舞伎という素晴らしい文化の普遍性をより高めた人物だったと思います。

Rest in Power