青木理『日本会議の正体』より

”日本会議の活動伸長、かつてこの国を破滅に導いた復古体制のようなものを再来させかねないという危険性と同時に、「政教分離」といった近代民主主義社会の大原則を根本から侵す危険性まで孕んだ政治活動だともいえる。”
               (第3章「くすぶる戦前への回帰願望」154頁)

”なによりもまずは①天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬、続いては②現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破、そして、これに付随するものとして③「愛国的」な教育の推進、④「伝統的」な家族観の固守、⑤「自虐的」な歴史観の否定。ここから派生した別のテーマに取り組むことはあっても、やはりか核心的な運動対象は以上の5点に集約されるといってもいいだろう。”
                   (第4章「”草の根運動”の軌跡」212頁)

”大がかりな運動テーマになると、神社本庁や神社界、新興宗教団体といった動員力、資金力のある組織のバックアップを受けつつ、全国各地に”キャラバン隊”などと称するオルグ部隊を次々に送り込み、”草の根運動”で大量の署名集めや地方組織づくり、または地方議会での決議や意見書の採択を推し進めて”世論”を醸成していく。
と同時に、中央でも日本会議やその関連団体、宗教団体などが連携して「国民会議」といった名称の組織を立ち上げ、大規模な集会などを波状的に開催して耳目を集めつつ、全国でかき集めた署名や地方議会の決議、意見書を積み上げて中央政界を突き上げていく。
一方、意を同じくする国会銀らもこれに呼応して議員連盟や議員の会を結成し、与党や政策決定者に働きかけて運動目標の実現を迫っていく。そのための土台として日本会議はこれまで国会銀懇談会や地方議員連盟の充実を目指し、加盟議員数を着実に増やし続けてきた。”                 (第4章「”草の根運動”の軌跡」212〜213頁)

”三権の一つである行政権のトップに立ち、国の最高権力者である首相には、厳重な健保尊重・擁護義務が課せられていて、首相として会見を訴えるのは明らかにこれに反する。(…)これほどあからさまに改憲を目指すと公言し、右派団体に向けて明確なメッセージを送った最高権力者は、戦後初めてといっていいだろう。”
            (第5章「安倍政権との共振、その実相」220〜221頁)

”日本会議が「反動的」であり、「極右」であり、「超国家主義」だという指摘は、政治的立場によって多少の異論はあるとしても、おおむね的を射たものだと私は思う。組織の理論構築や事務総括の中枢を生長の家出身者たちが担い、神社本庁を筆頭とする全国の神社会や右派の信仰宗教団体が手厚く支援する日本会議の実態は、端的に言って宗教右派組織であり、その訴えは相当に復古的で戦前回帰的である。だから戦後体制を徹底して敵視し、転換や転覆をはかろうとする様は十分に「反動的」であろう。
また、その主張はしばしば近代民主主義の大原則を平気で踏みにじる。天皇を絶対視し、国民主権を軽視する。政教分離の原則など屁とも思わない。根っこにはエスノセントリズム=自民族優越主義の影すら垣間見える。これを「極右」「超国家主義」と評するのはむしろごく自然なことでもあろう。”
           (第5章「安倍政権との共振、その実相」225〜226頁)

”右派が勢いづいたというより、左派がいなくなっただけだーこれもまた、一面の真実であろう。似たようなテーマを掲げ、似たような運動を繰り返してきたにすぎない右派勢力へのアンチテーゼの消滅。その背後に横たわるものを解析してみれば、冷戦体制の崩壊もあったし、社会党や労働組合の衰弱もあった。これに反比例するように右派や右派的な言説、活動は、次第に勢いを増してきた。”
              (第5章「安倍政権との共振、その実相」242頁)

”日本会議の正体とはいったいなんなのか。
私なりの結論を一言でいえば、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。悪性であっても少数のウィルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広がりはじめると重大な病を発症して死に至る。”        (第5章「安倍政権との共振、その実相」245頁)