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本やビデオで学ぶ人気バンド再結成術 ⑤矢沢永吉「RUN&RUN」

 ロック誕生以降、数多くのバンドが解散~再結成を行ってきているが、成功するためにはノウハウが必要。
 私も過去にロックバンドのマネージメントをし、数年後に再結成も担当、様々な問題・課題を解決・克服して幸いにも成功を手に入れた。
 その時に参考になったのは私がこれまでに見て・読んでいたビデオや書籍であった。
 ここではバンド再結成を担当する読者に向けて、私が有益だと感じた情報をお届けしたい。


この映画は

 1980年に劇場公開された矢沢永吉のドキュメンタリー映画。
 前年のナゴヤ球場、地方ツアー、リハーサル風景などが収録された。
 1978年に発売された矢沢永吉の自伝本「成りあがり」がベストセラーになったが、メディアに出演しなかった矢沢永吉の舞台裏が撮影されたことで大きな話題になった。
 あなたがもし音楽関係者で、再結成を任されている立場だとしたら、この作品を観ることで、どうやって価値のあるドキュメントを作れるか、いくつかのヒントを手に入れることができるだろう。
 劇場公開された当時、16歳だった私が初めて見たプロミュージシャンのリハーサル風景、コンサートのバックステージはこの映画からだった。45年前の日本のロックバンドはこうしたスタイルで全国各地を回っていたのだという源流を見ることができる。

矢沢永吉という人は

 説明するまでもなく、日本の大物ミュージシャン。現在、1949年生まれの74歳。
バンド「キャロル」で1972年にデビューし、「ファンキ・ーモンキー・ベイビー」などヒットを放ち1975年に解散。
 その後、ソロとして活動し、先日、日本人最多となる日本武道館150回目の公演を達成した。

リハーサル映像の参考

 この映画でリハーサルシーンで使われているのは今は亡きCBSソニー信濃町スタジオの第1スタジオ(通称1スタ)であるである。
 なぜリハーサル・スタジオではなく、レコーディング・スタジオでリハーサルが行われたのか? 
推測になるが、リハーサル風景をドキュメント映画用に撮影するためにはバンドの音をマルチトラックで録音する必要があったからかもしれない。(後日、使用される楽曲はミックスダウン作業を行ったのかも)
 また、トランペットやサックスなど、ホーン隊も入っているので、マイクの音のかぶりやモニターシステムを考えると、どうしても大きな会場が必要になってしまうが、会場費の予算を押さえるためにイヤホンで対応できるレコーディングスタジオが選ばれたのかもしれない。
 矢沢自身もヘッドホンを付けてリハーサルが進行されることを見ると、機材のセッティングはレコーディングと同様な、各楽器の音がかぶらないようについたてや部屋で仕切ったスタイルで進んだと思われる。
そうすることにより、かなりすっきりとしたレコーディングに近い音でリハーサルが可能になり、撮影側としても作業しやすい音声が録音できたのだろう。

当時のツアー風景から分かること

 この映画では名古屋球場でのスタジアムライブの映像もあるが、いまの時代に比べると明らかにステージが暗い。
 これは年々機材が増え、LED照明も普及した事によるが、撮影しているのも45年前なので、当然フィルムで撮影されている。
 当時はカメラの性能もまだ低く、フィルムの感度の関係もあり、同じ明るさのステージを撮ってもいまよりかなり暗く映ってしまうのは致し方ないのかもしれない。
 地方ツアーのアンコールで楽屋に下がってきたシーンでは、後ろのギタリストが耳でチューニングしている。そう、この時代はまだチューナーが存在しないから耳で合わせるしかなく、楽屋に置けるような手ごろな大きさのアンプもほとんどなかった時代である。
 移動シーンでは高速を走るトラックが映るが、トラックは4トン車数台だ。現在のツアーは大型の11トントラック数台で各地を回る規模からするとかなり少ない機材である。
 あの当時、楽器と舞台セットをトラックに載せ、照明は各地の照明会社や会場にある機材を使っていたから4トン車数台でも成立したのだろう。
同じように音響機材も各地の機材を使用していたと思われる。
 このバックステージを見ると、ファンはステージで全開にエキサイトしている矢沢永吉が、実はバックステージに戻った時、冷静に状況を判断し対処しようとしていることを観るだろう。
100の説明より1の事実を見せる方が響くのだという事だ。
 こうして自分が見たライブが作られていくプロセスを知ることで、ファンはよりアーティストに興味を持つことになるだろう。

だから、矢沢永吉はただのライブ映画ではなくドキュメント映画を作ったのかもしれない。

この映画の見どころは

 この映画の見どころは何といってもリハーサル・シーンでの矢沢永吉である。
 ベーシックなアレンジは決まっているんだろうが、矢沢のひらめきでアレンジがどんどん変わっていく過程を始めてみた高校生の私はぶっ飛んだ。
 譜面も書かず、口頭で説明する矢沢と、そのフレーズをどんどん形にしていくミュージシャン達のやり取りが生々しいのである。
 これがプロなのかと衝撃を受けた私は、別日にもう一度観に行った。ビデオが無かった当時は記憶させるしか方法が無かったからである。
 あれから数十年、DVDとして発売されたこの映画をようやく手に入れた私はこの業界の人間となっていたが、高校生の時に感じた衝撃は色あせる事も無く、むしろスタジオやミュージシャン、コンサート機材の知識などが増えたことでより深くこの映画を楽しむことができるようになっていた。
 映画館で観ていた時、エンディングの「ひき潮」が流れ、もう映画が終わってしまうのかと思うと悲しかった。
 後年、業界人になった私がこのクレジットの中に今も一緒に仕事をしている人の名前を見つけた時は悔しくて仕方がなかった。
 だからエンターテインメントの仕事は止められないのである。

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