out

 カーンと気持ちのいい音が抜けた。小さな白い球が青い空へと弧を描く。それと同時にわっと歓声が沸き起こり、その瞬間を見た人々は口々に彼の名を呼んだ。すべてをなぎ倒すような黄色い高音には身体が持っていかれそうだった。揃いの白いユニフォームを着た少年たちはベンチから身を乗りださんと、腕を掲げたり帽子を振り回したり、悠々と塁を踏んでいく彼に何かしらの賞賛の送っている。皆そろって上向きの、いい形の尻をしている。

 私はフェンスの編み目を握りしめた。握りしめずにはおれなかった。力をどこかに逃がさずには耐え難かったのだ。顔が熱いのは暑さだけのせいではない。声を出せたら良かったのだろうが、とてもじゃないが私にあれらのような高い声は出せない。かわりに声帯を潰したような音は出た。グェというような。

 七月の初めである。六月いっぱいは雲の陰で大人しくしてくれていたというのに月替わりを待ってましたと言わんばかりに太陽の奴は直射日光を放つ。私の頭に直撃している。暑い、というか、熱い。帽子は持っていなかったので、ハンドタオルを頭の上に乗せている。制服に帽子は似合わないと思っている。それでもタオルの繊維をすり抜けた日光がじわじわと私の体力を削っていた。
 足元に置いた1リッターのペットボトルの口を持つ。軽い。やっぱりこの時期は2リッターだった。少しだけ残っていた中身をのどの奥へ流し込んだ。甘ったるい、と思ったが喉は潤った気がした。この飲み物は人間の体液に近しいらしい。

 先ほど球を打ち上げた男子が塁を踏んで帰還してきた。いい形の尻(のチームメイト)達が群がり、そこにマネージャーらしい女子がすかさずタオルを渡す。ポニーテールがリボンのようにぱたぱた揺れている。
 指を差し込んだフェンスがきしりと音を立てた。

 背後からぱすんと音がした。次の瞬間に背中にぱちんとした衝撃がきた。
「いたっ。」
 といいつつ、それはそこまで痛くはなかったと思う。
 振り返ると首の細いラケットを持った男が立っていた。下方で構えていた名残がある。私の足元には羽根が落ちていた。詳しく言うと”球に羽根が刺さったような物”だ。
「いたいんだけど。」
「痛くないだろ。シャトルは。」
 男は近付いてきて慣れた手つきで手首を返し、羽根のついた球をラケットで掬う。シャトルといったか。シャトルはふわっと浮いて男の右手に収まった。
「いたいよ! 地味に。」
 仮にも男である。そこそこ現役で活躍している男子高校生選手が放つシャトルはそこそこの鋭さをもつ。いや事実、そんなに痛くなかったとしても、それくらいの威力を持っているだろう事を予測しておくべきだし、その物体を女にぶつけてくるという精神が気にくわない。
「バトミントンは室内でやれ。」
 屋外はバドミントンに向いていないのだ。風がシャトルをさらってしまう。
「今から行くとこ。」
 男はスポーツバックと一緒にラケットの形状をしたバッグを背負っていた。ここ、グラウンド脇の道を抜けると体育館に繋がる外廊下にぶち当たる。
「早くいきなよ。」
「うん。」
 ふと男は私の背後に視線の焦点をずらした。グラウンドの中へ。
「中村ーっ!!」
 男がグラウンドに向かって叫んだ。瞬間、私は全身が粟立った。身体が硬直したのが分かった。目の前の男は私の後ろの何かに手を振っている。かろうじて首だけ動かすことは出来て(45度くらい)、恐る恐る横目で男が手を振る先を見た。タオルで汗を拭いながらこちらの方へ手をあげている男子が見えた。
「ちょっと……。」
 うまく言葉が出てこない。ただ頬のあたりがぴくぴくと動く。
「なに?」
「ほんとに。」
 やめて。
「なに? 挨拶しただけじゃん。」
 私はグラウンドに背を向けたままハンドタオルとペットボトルを鞄に突っ込んだ。頭にのせていたハンドタオルも飲み干したペットボトルも全部ばかみたいに思えた。
「さいあくだわ。」
 はあ? と要領を得ないような表情をしているのが分かったが、肩に鞄をつっかけてその場から歩き出す。
「おい。」
 本当に最悪な気分だった。気分を誤魔化すようにずんずん歩く。鞄についたくまのキーホルダーもばしばしと鞄に当たり跳ねてあちらこちらを向いている。あとで謝る。

 ぱすん。背後で音がした。反射でびくっと肩に力が入ったが、すぐには衝撃が来なかった。次の瞬間に首後ろにがさっと何かが入った。
「ひっ。」
 思わぬ感覚に肩が揺れる。
 うわ、と。男の予期もしなかったとでも言うような声が聞こえた。
「スリーポイント。」
「ちょっと何? 何?」
 肩で力んでしまって動けない。木の上から虫が落ちてきた感覚にも似ていて、それをまた連想してしまい軽いパニックになった。首をすぼめたような形で硬直していた。動かすのが怖い。男が近付いてきて、首の後ろのそれを取った。
「いっ。」
 髪が少しひっかかる。
 実際は私の後ろ襟にシャトルがすとんと入ったようだった。見事に。競技用のバトミントンのシャトルはプラスチックではなく本物に近い素材の羽根で出来ていて、首裏にちくちくと刺さり、こそばゆかった。
「悪い。」
「何が。」
「え、と。シャトル。」
「ああ。」
「……も、そうだけど。」
 曖昧な空気が流れる。答えが宙に漂っているのが分かる。
「でもやっぱさ、お前のやってることよくわかんね。楽しい?」
 しびれを切らしたのか男が言葉を差してきた。
 私は向き直り眉をしかめた。楽しかったよ。お前にここが見つかるまでは。
「放っといてよ。」

 その時、真横のフェンスががしゃああんと音を立てた。
 2人揃って顔を向けるとフェンスのひし形のひとつに白い球体がめり込んでいた。
「ごめんごめーん。」
 白いユニフォームの男が一人こちらに走ってくるのが見えた。
「あ。」と隣の男。
 冷たいものが足先から脳天にかけてざーっと走り抜けた。私がそれ以上動くことは絶対に出来なかった。


2017.7

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