生きること 男であること 女でないこと
2020/6/28-29
日曜日は一日中一歩も家から外に出なかった。
とても贅沢な時間。
元来家でじっとしてられなかった人間なので自分でもびっくり。やはりひとり暮らしをはじめ、自分だけの空間ができると居心地がよくなるのかもしれない。
AM10:30
唯さんから上記のリンクが送られてくる。
川上未映子氏がまた強い小説を発表していたようだ。
ちょっと長いがこの対談の模様は興味深い。生まれてくることは不幸なのだろうか。また(不幸と感じる可能性のある)生命を産み落とすことは罪深い行為なのだろうか。
個人的にはあまりにペシミスティックな考えで好きではないのだけど、そういう考え方もあるとは思う。
僕自身は極端にいえばニヒリストな考え方をしているけど、能動的ニヒリズムな考え方で物事に意味はないがその都度一生懸命生きていかなければならないとは思っている。
おそらく大多数の人間は物事に意味がないと許容できないのだろうと思う。僕のアタマが空っぽすぎる可能性も多いにあるだろうけど。
翌日は仕事終わりに友だちとご飯。
相変わらずやさしい人たちでついつい調子に乗ってしまう。僕はいったいいつまでこの調子で生きていくのだろうか。今まで許されたことも、時と場所が変われば許されなくなるだろう。戒めとしていつも心に刻んでいる。
飲んでいるとXジェンダーの話になった。
聞いたことはあってなんとなく意味はわかっているが深い話を聞いたことも考えたこともなかった。
僕はペニスだって精巣だってついてるから身体的には男性で間違いないだろう。
そして女性が好きで女性に性的魅力も感じる。
しかしこれは「=だから自分は男性」と言えるのだろうか。
女性が好きなのも女性に性的魅力を感じるのも別に男性だから感じるのではない。女性だってそのように感じることは少なからずあるのだ。
その場で答えは見つからなかった。
たしかに僕は自分自身を男性だと意識している。
しかし、それは絵を描いた時に太陽を赤く海を青く描いてしまうことと同じなのではないのだろうか。
つまり性自認とはあくまで後天的でもあり、社会が作り出す部分もあるのではないだろうか。
2016年に宝塚大学が行った調査に寄ると1%ほどの人は自身をXジェンダーだと認識していた。
おそらくだが、Xジェンダーを含むLGBTの割合はこの5年10年でも間違いなく増えるだろう。
僕らは意識のないことは理解できない。でも理解した上では意識しないこともまたできないのである。
嫌な言い方をするが、LGBT(であること)がトレンドになることもあるのではないだろうか。もちろんそれは本人の性自認とは別の要素も込みでの自認である。(もしくは他認)
僕はなぜ男なのか。
これについては今一度自身の中で答えを見つけなければならない。
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