鈴木鹿

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鈴木鹿

suzukishika / 文芸結社「突き抜け派」、デイリーポータルZ「書き出し小説」、文芸ウェブサイト「文芸ヌー」に参加。本業はコピーライター。 https://sucopy.jp

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  • 鈴木鹿の小説

    文芸同人誌『突き抜け』にて発表した作品をまとめています。

最近の記事

「フリードリンク制」鈴木鹿(33枚)

〈文芸同人誌『突き抜け17』(2019年5月発行)収録〉  川沿いを走りながら、こう考えた。肉を焼かなくてもピクニックはできると。  長い冬が終わるか終わらないかの頃の、いきなり晴れた土曜の午後である。気温はそれほど高くはないが日光のおかげで体感がぽかぽかしているというのがいい。日が暮れればきっと急に肌寒くなるんだろう、それがいい。  ウィンドブレーカーの内側に熱が篭もりすぎているのを感じて楽屋沢は顎まで上がっていたジッパーを胸元まで下げる。吸気口が開き、空気は胸に当たって

    • 「夏の玄関入ってすぐの」鈴木鹿(27枚)

      〈文芸同人誌『突き抜け16』(2018年11月発行)収録〉  時間は止まらないし、スケベもやってこない。腕時計の竜頭を指先でつまんで引っ張ったり押し込んだりしてみるが何も起こらない。  だからといって下駄原の父の形見のセイコーに魔法の力が宿っていないと決めつけるのは早計だ。何も起こらないのは見渡す限り人がいないから、ということはないか。つまり仮に下駄原の目の前に都合のいい赤の他人が、言い換えれば都合よくセクシーな女性らが何人も通りがかってさえいれば、時間は止まり、スケベがや

      • 「性格の不意打ち」鈴木鹿(27枚)

        〈文芸同人誌『突き抜け15』(2018年5月発行)収録〉  惰性のインターネットをバンドの解散ニュースが流れていく。とはいえ知らないバンドだから残念だということもないし、もちろん喜ばしいわけもない。知らないメンバーから成る知らないバンド。どんな音楽を鳴らしていたのか、もしかしたらテレビかラジオで耳にしたこともあったのかもしれない、けれど解散したからといって既に録音されて世に出たその音楽が消えることはないから、夏戸田にとってはまったく影響ない。  つまりまったくもってどうでも

        • 「リバー化」鈴木鹿(21枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け14』(2017年11月発行)収録〉  ダブルベッドに三人で寝ている。  壁際から順に、明吉、賀子、長太の順である。  三人とも寝相はよく、ほぼ等間隔で横たわっている。ひとりに与えられた面積は決して広くはないが、狭いと感じてもいない。明け方の薄明るい部屋で平和な睡眠が進行している。  長太の側、ベッドの脇には人ひとりが歩いて通れるぐらいのスペース。  半透明のポリプロピレン製衣装ケースが反対側の壁一面を埋めつくしている。四段×四列、計十六個が長太の腰ぐ

        「フリードリンク制」鈴木鹿(33枚)

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        • 鈴木鹿の小説
          12本

        記事

          「ネイビーマン」鈴木鹿(46枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け13』(2017年5月発行)収録〉  指一本触れなくていいからビッチと飲みたい夜がある。矛盾しているだろうか、いや、矛盾などしていない。本当に指一本触れなくていいし、本当にビッチと飲みたい。どちらも本心から、腹の底から、下腹の中から湧き上がる欲望である。下腹だけどそういうことじゃない、そういうことじゃないのだ。指一本触れなくていいからビッチと飲みたい。夜。がある。夜。である。夜。にいる。be動詞。ビッチ同士。違うし俺はビッチじゃないし。  今。そんな夜

          「ネイビーマン」鈴木鹿(46枚)

          「ハッピーバースデー任意」鈴木鹿(56枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け12』(2016年11月発行)収録〉  悟りきっているかのような顔をした赤ん坊というのは意外と少なくない。ぴんと来なければ、気をつけて観察してみるとよい。週末のショッピングセンターに足を運べば世の中の少子化を疑いたくなるほど赤ん坊が大漁だ。地域の赤ん坊のすべてがそこに集まっているかのようだ。ベビーカーに横たわる表情、抱っこ紐の隙間からのぞく表情には、なんの迷いもなく、なんのやましいこともなく、彼または彼女自身を限りなく純粋にまっとうしているのがわかる。

          「ハッピーバースデー任意」鈴木鹿(56枚)

          「酒抜き地蔵」鈴木鹿(43枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け11』(2016年5月発行)収録〉  地球にのこぎりをあてるならハワイのあたりがよさそうだ。つるんと真っ平らな青の表層にぽつんとポイントされた目印は刃をあてるためのちょうどいいガイドとなって、素人でも上手いこと切り込みを入れることができるだろう。そのまま切り込んでいって真っ二つ。刃を南北に、南極と北極を通るようにして切るのもいいが、それではあまりに凡庸だ。ハワイという一点を、線ではなくてあくまで点を目印とするならば縦横斜め角度は三六〇度自由自在である。

          「酒抜き地蔵」鈴木鹿(43枚)

          「切って落とす」鈴木鹿(31枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け10』(2015年11月発行)収録〉    1  カラオケボックス「風になりたい」の受付カウンターで、手宮坂はマラカスを選んでいる。音色、装飾、振り心地、あまりにも豊富なバリエーション。しゃっ。しゃっ。しゃかしゃかしゃっ。カウンターの片隅でひとつひとつ試しながら手宮坂は悩む。とはいえ、こだわりがあるわけではない。プロのマラカス奏者でもあるまいし、手宮坂が判断基準とするポイントはひとつだけだ。どのマラカスが一番盛り上がるか。これだけだ。盛り上げたい。も

          「切って落とす」鈴木鹿(31枚)

          「とても眺めのよい座敷牢」鈴木鹿(31枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け9』(2015年5月発行)収録〉  決死の思いで地球へと帰還した宇宙船のようにひとひらの雪が掌に着陸。それをきっかけに、ああ、寒い寒いとエーイチは身を縮めて、部屋に入ろうと回れ右をする。実際に寒いと感じたかどうかは重要ではなくて、というか実はとっくに寒いと感じていて、芯から冷え切っていて、ただ、寒いからといってすぐさま部屋に戻るには惜しいほどにこのバルコニーからの眺望はまったく見飽きることのない素晴らしさで眼下に広がるのである。後ろ髪を引かれながら窓を

          「とても眺めのよい座敷牢」鈴木鹿(31枚)

          「エアポ」鈴木鹿(45枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け8』(2014年11月発行)収録〉  改札を通るのに感慨は要らない。階段を一段とばしで上ったプラットフォーム、当駅始発の鈍行列車。発車まですこし時間がある、がらがらの列車の先頭車両に皺沢は乗りこむ。進行方向に対して横向きのロングシート、皺沢の他には向かいにひとり目の細い小さな老爺だけ。膝の上に大きめのボストンバッグを置いて真っ直ぐに座っている。これだけ空いているのだから横に置いたっていいだろうに、膝の上。かといって網棚に上げるのは老爺の身長では難しいだ

          「エアポ」鈴木鹿(45枚)

          「ネーさんとカーさん」鈴木鹿(55枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け7』(2014年5月発行)収録〉  ハットを逆さにして頭に乗せた男めがけてギャラリーが我先にと小銭を投げ込んでいる。歩道橋の上からしばらくそれを眺めていたが十五分ほどかかってようやく、それ自体が芸なのだと気づいたのであった。なんて理にかなった短絡だろう。こうありたい、と葱間は強く思った。短絡したい。直結したい。一本串刺しになってさえいれば手段と目的が入り混じったっていいじゃないか。みたらし団子を一本、もぐもぐと噛みながら葱間は思う。甘くてしょっぱくて吸

          「ネーさんとカーさん」鈴木鹿(55枚)

          「故郷の更新」鈴木鹿(58枚)

          〈文芸同人誌『突き抜け6』(2013年11月発行)収録〉    月  ひきだしをぜんぶ引っこ抜いて逆さにしても、重ねた古雑誌のあいだをバサバサと広げても、一本も鉛筆が出てこない。生ぬるい風が部屋に押し入ってくる。ああ、またやってしまった、頭が重い。遠くで痛みが鈍い。買ったばかりの長い鉛筆の丸くコーティングされた尻で、首の奥のほうをぐりぐりと押されているようだ。その鉛筆、くれ。ベッドの下に脱ぎ捨ててある短パンのポッケをまさぐる。裏返しても、軽い小銭が数枚とラーメン屋でも

          「故郷の更新」鈴木鹿(58枚)

          「文芸ヌー」と「書き出し小説」

          「文芸ヌー」に寄稿しました。書き出し小説の自作をチョイスして振り返るという記事。 デイリーポータルZの「書き出し小説大賞」に投稿を始めて6年以上が経つ。古参投稿者ではあるが毎回採用とはいかず、常連未満ぐらいの立ち位置で、のんびり楽しみ続けてきた。これまでに採用された約130本の中から5本を選んだ。 文芸ヌーとは、主に書き出し小説の常連投稿者が中心となって始まった書きものメディア。天久聖一さんが発起人というか、プロデュースというか。 書き出し小説という発明に対する感謝の気

          「文芸ヌー」と「書き出し小説」

          文芸と広告

          文学と、文芸という言葉がある。人によって使い分けとかあるのかもしれないけれど僕としては基本的に同じ意味で、でも、文芸というほうが今は好きだ。 文芸は、文によってつくられる芸術である。略して文芸。ふと、そのように解釈したときがあって、すとんと腑に落ちたのだった。美術にとっての絵筆や彫刻刀、あるいは色や形が。音楽にとっての弦や鍵盤や歌声、あるいはメロディやリズムが。文芸にとってはペンやキーボード、あるいは言葉や文である。 文芸という語の実際の成り立ちは知らない。同じく文学も。

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