文芸と広告

文学と、文芸という言葉がある。人によって使い分けとかあるのかもしれないけれど僕としては基本的に同じ意味で、でも、文芸というほうが今は好きだ。

文芸は、文によってつくられる芸術である。略して文芸。ふと、そのように解釈したときがあって、すとんと腑に落ちたのだった。美術にとっての絵筆や彫刻刀、あるいは色や形が。音楽にとっての弦や鍵盤や歌声、あるいはメロディやリズムが。文芸にとってはペンやキーボード、あるいは言葉や文である。

文芸という語の実際の成り立ちは知らない。同じく文学も。漢語なのかもしれないし、西洋語の訳語かもしれない。本当は違うのだとしても、僕にとってはその解釈がぴんときた。読み手としても、書き手としても。

2013年頃の話だ。僕は30歳を過ぎていて、コピーライターに転職して数年が経っていた。仕事とは別にデイリーポータルZの「書き出し小説」への投稿を始めて、それがきっかけで誘われた文芸結社「突き抜け派」で小説も書き始めていた。

芸術の定義はいったんおいておきたい。なんなら人によってバラバラのままで構わないし、時と場合にもよるだろう。ただ、いずれにしても、絵筆も楽器も使えなくても文で芸術がつくれるかもしれないという思い(込み)は僕を大いに勇気づけた。大学の「文学部」の「芸術学研究室」を卒業して、およそ10年が経っていた。

文芸と広告。どちらも文を、言葉を使う。道具としては共通している部分も多いが基本的には別競技であり、使う筋肉はかなり違う。とはいえその違いにこだわりすぎなくていいのかもしれないと近頃思い始めている。だってそれは、きょうび、読む側にはさほど関係がないことだから。こだわって筆が止まるぐらいなら、まずはじゃんじゃん書いてしまって後から考えればいいだけのことだ。

文芸とも広告ともつかない、スケッチやドローイングのようなものも含めてたくさん生産しよう。クリエイティブであるより先にプロダクティブでありたい。さあ、紙を。

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鈴木拓磨

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