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サカナクション「新宝島」の歌詞分析

前置きー現代日本の恋愛分析とは?

前著『恋愛制度、束縛の2500年史-古代ギリシアから現代日本まで』(光文社新書)

では、椎名林檎の「幸福論」、西野カナの「トリセツ」だけで、某小谷野先生より、「お茶を濁している」と怒られた😅現代日本の恋愛分析です。実は勤務先の授業ではぽこぽこやっていて、ネタは多少あるのですが、どんどんアップデートしていこうと思います。少しずつですが、頑張ります。

今回はちょっと前の曲ですが、サカナクションの「新宝島」。

2015年にリリースされた曲で、ドリフの伝説的番組『ドリフの大爆笑』のパロディ的なMVも非常に評価が高い。ドリフを幼少期に見て育った僕にとって、こんな文化の展開の仕方があるのか、とビックリしたものです。

これは『バクマン』という、漫画家になるマンガを描いた作品の映画音楽として作られてる。この中には恋愛物語もあり、普段マンガは読まない山口一郎が漫画原作も読み込んで映画音楽を作った、とのことである。まあ、そんな経緯もあってか、言葉と音楽の絡みも独特である。今回はそれが醸し出す恋愛の意味について分析してみよう。

まずは「恋愛」という言葉が、明治以降に出来た翻訳語であり、「野蛮な」日本文化を「洗練させ、文明化」しなければならない、という時代の要請を背負った言葉であることに注意したい。詳しくは拙著、(でなくともいい本はたくさんあるけど、「恋愛、歴史」でググってみてください。でも僕の本を買ってくれると嬉しいです😊)で僕なりにまとめてはみたが、要は無理して西洋的なロマンチックラブをもともと土壌が違う日本文化にブチ込んだ、という話である。もちろん、元々日本にある色恋文化がそう簡単に変わるはずもないのだが、キリスト教、ひいては古代ギリシャ、ローマに由来し、近代的な個人主義の枠に、無理やりはめられ、あるいは表面だけを真似して、なんだか意味のわからないモノが出来ている、というのが僕の見方。あとはこれをどう創造的に解釈すべきか、という問題になるのだけれど、その一例としてのサカナクションである。

あ、ちょっと分かりにくい説明だったかもしれない、そのうちもうちょっとアップデートしていきます。もっとくだけていうと、日本的恋愛(日本語で表現され、実践されている恋愛)は、西欧のモノとら違っていて、その違いを楽しもうぜ、という話です。決して、西洋の恋愛が正しくて、正統で、日本の恋愛がダサい、とか、そういう話ではないですよ。

歌詞分析ー「新宝島」

バクマンという漫画家の物語、さらには手塚治虫の『新宝島』という、日本「固有の」マンガ文化からインスピレーションを受けている歌詞であるのだけれど、それだけに恋愛ソングとしては、傑出したオリジナリティを持っている。以下歌詞の全体である。

やはり、傑出しているのは、そのサビの部分である。
「このまま君を連れて行くよ」から始まるサビだが、これはよくあるロマンティック・ラブのイメージである。未だ見ぬ世界、本当の夢が、2人だけでしか到達できないその世界があり、その理想に向けて航海する。これは完璧に、19世紀の西洋ロマン主義の詩に頻出する、代表的な恋愛の表現であり、典型的なイメージである。この曲の素晴らしさは、この西洋的な恋愛に、レトロなリズム、シンセの音と、どこか日本の民謡的なリズムが、スタイリッシュに折り込まれつつ、そして次の決定的な歌詞が続くん部分である。つまり、ロマンティック・ラブを語る際に接木される、「丁寧」という言葉である。

この丁寧さは、一義的には、漫画家の描線を描く際の丁寧さである。漫画家はその人生をかけて、描線に感情を、想いを乗せる。その描線が説得的であるかないか、それはマンガという表現にとっての死活問題である。描線に魂が乗らないマンガは売れない。そこに何らかのオリジナリティ、説得力、読者に訴えかける何かが必要なのである(こういう話がうまく飲み込めない人は、スラムダンク、バガボンドの作者である井上雄彦のドキュメンタリー番組「仕事の流儀」などを見てください。まあ多少の脚色はあるのでしょうが、漫画の描線がいかに魂を込めて描かれているのか感じることがわかるでしょう)。

この丁寧さは、明らかに日本的な職人の丁寧さである。おそらく、漫画だけでなく、料理人や伝統工芸、能や歌舞伎役者に至るまで、日本文化の根底に流れる、職人性を帯びた「丁寧さ」である。いや、これを日本に限定するのはもちろん暴論で、世界各国、職人のこだわりは共通で、ホントはadhdやadsなど、もっと脳機能的な問題になるのだろうけれど。しかしながら日本語の言語文化のレベルで、こうした丁寧さ、漫画にかぎっていえば、鳥獣戯画から始まり、襖絵やら、水墨画、巻物に書いたアレ(名前を忘れた😅)、浮世絵の伝統から、漫画文化に結実した、日本文化特有の描線の丁寧さはあると思われる。

そんな丁寧さが、西洋的なロマンチック・ラブに接木されるのである。

歌詞の最後の「君の歌を唄う」。これは中世宮廷恋愛などでも非常によく見られる、ヨーロッパ的な恋愛文化の影響が見て取れる。もちろん恋慕の情愛を詠んだ俳句、短歌、物語は日本にも山ほどあるのだが、文化史的に「君の歌を唄う」という言い方は、多分に明治以降の西洋恋愛の影響化で使われた表現であるだろう。恋人のことを「君」という、その使い方もおそらくそんなところだと思われる。だが、その歌は、丁寧な線で描かれ、丁寧な歌で歌われるのだ。

「揺れたり震えたり」した線、しかしながらこれは漫画の描線ではありえない。揺れたり、震えたりした描線は、おそらく綺麗ではないからだ。ここで揺れたり、震えたりしているのは、間違いなく「魂」であり、感情の震え、情熱のほとばしりとしての揺れでありふるえであるだろう。言ってみれば魂の舞踏としての揺れであり、震えである。それを「丁寧に」描き、「丁寧に」歌うこと。繊細な魂の運動がそこには表現され、それがメロディーに乗るのである。

ここで歌われているのは、日本的なハイブリッド、文化的混合物としての恋愛であり、このオリジナリティこそ、この曲の魅力の一つであると、僕には思えますが、みなさんどうでしょうか。

まだ細かいところで言いたいことは沢山あるので、そのうちこれもアップデートします😁

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