見出し画像

立花隆の思い出、或いは知のジェネラリスト

立花隆が逝かれてしまった。知の巨人。本買いすぎて、自宅に図書館作って、その借金返すために原稿書いてる、とかいうエピソードが大好きだった。借金返せたんだろうか。。。

大学生の頃の思い出と谷田君

大学生の頃、立花先生の大人気の講義に潜って、なんて適当なこと言ってるんだ、と憤慨してた頃を思い出す。理系の同級生同士で、似たようなことをいって盛り上がってたのはいい思い出。当時は学部の学生で何の専門家でないのに専門家気取りだけは一人前であった。恥ずかしい。そして、文化の普及にあって、ジェネラリストも滅茶苦茶大事である、ということを知らなかった。何というか、その時代の常識というか、もっとも信頼できそうな知を提供する、知性。立花氏の場合は、ピグモンのような愛嬌のある現代のソクラテス、愛書家のジェネラリスト、何でも興味を持って勉強して、口を出す。それはなろうと思っても中々できないし、キャリアを含め、立花さんはそれなりに面白かった。キャラが立ってた。全然別のキャラだが、今の別の立花考志と同じくらいキャラは立っていたと今は思う。(#何基準の比較だかはっきりしよう)

 でも、高校生の同級生の谷田君がアンチ立花本を出してブレイクしたのは驚いた。内容も結構受講生たちが、言っていたことで、立花信者とかを馬鹿にしてたりするグループもいて、僕もそっちに近かった。そのくせ、当時、作家になって一発当ててやろうと意気込んでたので、羨ましいかった。めっちゃ金もなかったしなあ。(#すいません今でもそうです #成長した自分を見せて昔からの悪癖を隠すパターン #バレた時はさっと謝るのが大事)

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4896915801/ref=dbs_a_def_rwt_hsch_vapi_taft_p1_i0

立花隆というジェネラリスト

立花隆を有名にした、田中角栄批判。一介のジャーナリストが当時の最高権力者のスキャンダルを命がげでバラして、辞任にまで追い込んでいく。そのガッツと批判精神、反骨精神と度胸。そんな立花隆を尊敬する人は当時はとても多かった。僕の敬愛するおじさんも立花ファンの一人だったが、彼に推薦させられた雑誌記事で、オウムの記事があった。ネットを探してもなかなか出てこないのだが、そこで立花隆はまあ絶妙に宗教的なるものと距離をとって、共感と批評精神のバランスをうまくとりながら、説得力ある記事を書いていたように思う。恥ずかしながら、当時、宗教的なるものにどハマりして、幾多の新興宗教を渡り歩き、対立する団体の2重スパイみたいになって、恋人からお金を借りまくって、新興宗教団体グッズを転売しようとする、などというろくでもないことをしていたのだが、そんな僕にとっては、立花隆の記事は許されざるべき、「常識的な」記事だった。結局お前もマジョリティか、お前に宗教の何が分かる!みたいな感想を持ってしまった記憶がある。(#昔はやったアスキーアート)
  ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ´∀`)< オマエモナー
 (     )  \_____
 │ │ │
 (__)___)

ジェネラルなものとシンギュラー(特異)なもの

今自分でものを書いて、出版できる身分になってみると、読者のことを考えて、どこまで常識的に書くか、どこまで暴走するか、というのは本当に迷うところである。よく考えると、まあ立花隆もそこらへんのところに意識的だったんだなあ、ということは多少理解した。自分らしく、かつ説得力を持たせる、そしてわかりやすく書くことの難しさ。当時はなぜ立花隆が、「あの程度の常識的な」原稿を書き始めるのに、苦しんでたのが全くわからず、自分の好みで上から目線でイタイマウンティングしていたのかが見える。

ジェネラリストとスペシャリスト、わかりやすく、かつ専門的、変態的であること。まだまだ道は遠い。でもそこまで行かないと文化を変容させるパワーも持てない。一瞬の過ごし方が大事。一歩でも先へ。


この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?