上昇志向が無い自分を受け止められないでいる③

(28歳になった今、私って上昇志向がないのでは!?と気付きびっくりしている話。)

社会人生活が始まってすぐはこんな野望を描いていた。

「トップ昇格して、社内でも有名になって、絶対将来支店長になる!」

こんな気持ちを抱くことは今までの私を振り返ると、不思議ではなかった。仮に周りに宣言をしていたとしても驚かれなかったと思う。

しかし、社会人6年目を迎えて今はこんな気持で揺れている。

「私はもしかして上昇志向がないのかもしれない。でもそんな気持ち、

まだ受け止めきれない。。。」


大手上場企業に就職した私は”上には上がいる”ということを実感した。でも(言い方が正しくはないかもしれないが)生きる世界が違う人と自分を比較して落ち込むことはなかった。

それよりも生きる世界が同じ人の中でも”上には上がいる”ということを知ることに苦痛を感じた。大学生の時から少し感じていた”誰かとの差”に苦しんだ。

大学の時はテニスを頑張っていた。テニスの練習に熱心に取り組むサークルに入って、夕方の練習以外に自分でコートを取って先輩を誘い、できる限りの時間をテニスの練習に費やした。本当に誰よりも練習したと思う。

でもテニスのうまい人には勝てなかった。どんなに練習してもセンスの差を埋めることができなかった。

中高の陸上部でも誰かに負けることはあったが、その誰かも相当努力していた。その場合の負けは、完敗だったので苦しむことはなかった。

大学では練習していない人にも負けた。やる気がない人にも負けた。

卒業するときに私は自分の4年間をこう締めくくった。

「努力したけど私よりテニスのうまい人は山程いた。同じ大学内、同じサークル内、こんなに小さな環境で私より上の人は山程いた。でも”どうやったら勝てるだろう”とテニスに向き合った時間は私がいちばんだったと思う。テニスに向き合う中で感じたことや経験したことは誰よりも充実した時間だった。試合では負けた相手は何人もいるけど、その何人よりも私がいちばん充実した4年間を過ごした。そう思える。」

私はこうやって自分の4年間をあたたかく認めてあげることにした。

そして社会人6年目の今。これから続く何十年のも社会人生活の中、いつ自分の仕事を振り返って認めてあげるのかのタイミングも分からないまま、大学生の時と同じように私は苦しんでいる。


つづく・・・




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