すずけん

すず犬(けん)です。読むことも書くことも好きです。トラウマ克服のために辛い記憶を吐き出…

すずけん

すず犬(けん)です。読むことも書くことも好きです。トラウマ克服のために辛い記憶を吐き出しています。本業のかたわら物書きを修行中。地方文学賞を受賞。これからもがんばります。

マガジン

  • ずっと、母が嫌いだった

  • 相続が争族になった日 母娘いくさ240日の記録

    私たち母娘にとって、かけがえのない「かすがい」であった父が死んだ。 その日から、母は私を追い詰めようと動き始めた。 悪徳行政書士と手を組み、親戚中に言いふらし四面楚歌に。 母にさようならを伝えるまでの記録。

最近の記事

心療内科を受診しているけれど認知症がこわい

昨年秋ころから、抗うつ剤の服用を始めた。 舌痛症になってしまったから。 氷を舐めたあとのように舌が冷たかったり、 ずうっとぴりぴりとした違和感があったり 痒みを感じたり。 かかりつけの歯科クリニックに相談し、診察を受けた結果が 「間違いなく舌痛症です。精神的なものが原因ですね。ストレスです」 舌痛症のほかに、四十肩からの五十肩を5年ほど患っており、長患いは心的な要因が大きいのだとか。  ――仕方がない、いよいよ心療内科に行くとしよう。 決心し、予約を取ろうとしたところ、どこも

    • 文章教室課題提出作品「換骨奪胎」

      『換骨奪胎(かんこつだったい)とは、「先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること」を意味する四字熟語です。』 講師はこれをお題としました。 自身の好きな作品を簡単にプロットに起こした上で、自分の作品に書き換えなさい、と。 わたしはこの講義は仕事と重なり受けられなかったのですが、 作品つくりには参加しました。 今回は作品そのものへの直しはほぼ、ありませんでした。 講師からの添削箇所は太字です。 **********************

      • 文章教室課題提出作品「嘘」

        *長くなるので今回は添削済みのものを早速どうぞ。  ふたつの嘘  涼太は、なすび(もうここで猫だと示したい)の後をつけている。こっそりと、慎重に。警戒するようにときどき振り返るなすびに、気付かれないように。 「ぜったいに何かある。おかしいよ。何度あげても、もらってない、もっとちょうだいって餌をねだるんだ」  何度も母にそう訴えたが、母、真理恵(涼太視点だから、母、だけでもよい)は取り合ってくれなかった。 「餌をあげるくらい大したことじゃないでしょう? 面倒くさがらずにあげ

        • 文章教室課題作品お題「再会」

          文章教室では、毎回お題が課せられます。 この回は「再会」で、400字詰め用紙で5枚程度が制限でした。 家族の記憶  父の眠る霊園へと車を走らせている。ハンドルを握る一時間のあいだ、わたしはぼうっとラジオを聴いている。いや、流しているだけで、頭の中ではラジオの内容とはまったく関係のないことを思っていた。それは、こぼれ落ちた記憶をたどる作業だ。  病に倒れ、あっという間に逝ってしまった父。父の病魔との闘いの記憶は、わたしの中に辛く悲しい不完全なものとして残っている。ほの暗いモ

        心療内科を受診しているけれど認知症がこわい

        マガジン

        • ずっと、母が嫌いだった
          10本
        • 相続が争族になった日 母娘いくさ240日の記録
          7本

        記事

          文章教室課題提出作品「訪問者」

          文章講座の受講を始めました。 元公募ガイド編集長だった方のもとで。 楽しく通っています。 そうだ、と思いつき、せっかく書いた課題作品を こちらに少しずつ出していきます。 やさしい集金人  コロナ禍になり、新聞代の支払いをクレジットカード払いに変えた。他者との接触を減らすためだ。それまでは20年以上、玄関先での現金払いだった。集金人はずっと同じおばちゃんで、いや世間的にはもう、おばあちゃんというほうが正しい年齢かもしれない。そもそも、徴収されるわたしにしたって「若奥さん」と

          文章教室課題提出作品「訪問者」

          連載終了、リスタートかな

          4年間続いた地方新聞での連載エッセイが、3月で終わることに。 「わたしらしさ」とか「わたしという器」を仕上げることを目標に それなりに試行錯誤を繰り返したものの、結局見つからないうちに終わってしまう。なんか、悔しい。でも仕方がない。結果がすべてだ。 終わってしまうのは決定しているので、さて、ではその後は…… noteで探していくしかないか。 心当たりのある他の地方紙への売り込みも、ちらっと脳裏をよぎったのだけれど「書きたいこと」「伝えたいこと」が強く心にないと、文章はぼやけ

          連載終了、リスタートかな

          母が嫌い。

          実母と絶縁しているのだけれど、娘と夫は私の代わりに連絡をとっている。 そして、それを止める権利はわたしにはないし、むしろ有り難いと思わなくてはいけないことも頭では理解している。けど、感情としてはものすごく嫌。 わたしの大切な家族に、母に関わってほしくない。 寄るな、触れるな、近づくな……と叫びたいくらい。 ほんとうは。 娘が、就職内定の報告をするからと今、夫と実家に向かっている。 つまり、むしろ娘から近づいているのだけど、でも嫌だ。 わたしはひとりで家を出た。予定を作って

          母が嫌い。

          恋する中年たち

           数か月前に「中年の恋」というエッセーを書きました。 その中で「恋だのなんだのに興味ない!迷惑な感情だ!」と 「枯れ女」宣言をしていた私。 私には娘がいます。それはもう、若さでキラキラ、ピッチピチ、キトキトしております。そんな娘を前に、日日「参った参った」と心の中で 白旗を振っているのです。 ところが、こんな私にも、ときめきの感情が戻ってまいりました。 気になるおじさんが出現。勇気を出して「ライン、交換しませんか」と 切り出してみたのです。 親睦会が行われたときのこと。

          恋する中年たち

          相続が争族になった日 最終回 母への決別宣言

           母に浴びせられた罵詈雑言の電話を「いい加減にして!」と切った直後から、彼女は私を四面楚歌にしようと動き始めました。 「すずこ(著者)はひどい。私(母)がもらえるはずのダンナ(父)の遺産を横取りしようとしている」 親戚はおろか、ご近所中に吹聴しまくったのでした。 「お姉ちゃんの味方はもう、誰もいない」 泣きながら電話を掛けてきた妹が話した通り、普段なら心配し連絡をくれるはずの祖母までもが、沈黙していました。 母が悪徳行政書士と結託し、裁判所で検認済みの正式な遺言書を

          相続が争族になった日 最終回 母への決別宣言

          プロ作家さんとのお付き合いで

           書くことだけで長年食べている方と、お友達になりました。 とてもありがたく貴重なことだと思いますが、一方で 「やっぱり、わたしは素人だわ」と、思い知らされます。 まず、意識が違う。 「生活がほぼ仕事」 プライベートタイムは、最近始めたというボランティアと、お酒を飲んでいるとき。 以上。(きっぱり) だそうです。 これは、ワーカホリックな方にありがちな 「寝ているときでも、仕事のことを考えている」 という状態でしょう。 私は、何らかの締め切りがなければ、言

          プロ作家さんとのお付き合いで

          相続が争族になった日 5 母への反撃開始

           千葉県庁の担当者、佐藤氏に先日電話を掛けました。初めての出会いから一年以上が経っています。 「覚えていらっしゃいますか?」 「はい、ご無沙汰しています。朝原行政書士の件ですよね」 父の遺言を無視し、母と結託して私を悪者に仕立て上げた行政書士。彼のことを千葉県庁に告発しました。そのときの担当者が佐藤氏です。 もう、とうに過去の事件になっていると思っていました。ところがそうではない、と彼女は言います。 「終わったのは千葉行政書士会の処分であって、県庁としてはまだ調査継

          相続が争族になった日 5 母への反撃開始

          相続が争族になった日 4 悪徳行政書士への反撃開始

          「裁判にでも訴えろ」 母の雇った行政書士に遺言執行者である私は、嘲笑混じりに言われました。 私には何の知識もなく、味方となる人物もいやしないと、高を括っていたのでしょう。私のことを侮っていた母の台詞を信じたのだと思います。昔から、私が幼い子どもの頃から、母は私をずっと馬鹿にしていましたから。 しかし打ちのめされた数日後、私は立ち上がりました。 まず父の遺言書を読み返しました。それから病床にあった父の声の録音を聞き直しました。 父の声を聞いているうちに、次第に父の苦悩する

          相続が争族になった日 4 悪徳行政書士への反撃開始

          相続が争族になった日 3 違法登記 家族の裏切り

           父が亡くなったとき猛烈に悲しかったのは間違いないのですが、一方でほっとしている自分もいました。 「ああ、これでやっと実家から、母から解放される」  振り返ってみれば、母と私が争族人となった瞬間でもありました。  相続手続きの相談は知り合いの司法書士に少しずつしていましたが、土地の合筆と共有名義をどうするかについて、やむを得ず保留にいったん保留にしました。 「私の土地のことでなんで娘のあんたに指図されなきゃなんないのよ!」  怒り狂った電話を掛けて寄越した母に、罵詈

          相続が争族になった日 3 違法登記 家族の裏切り

          相続が争族になった日 2 裁判所と悪徳行政書士と母

          自筆証書遺言を書き上げたとき、父は小さな細い声で呟きました。 「ああ、これでほっとした」 相続人全員が揃って見守る中、荒い息を整えながら。 母は口には出しませんでしたが、その表情は必死に怒りを押し殺しているようでした。 「妻のこの私がなんで全部もらえないのよ!」 「どうして四分の一なのよ!」 間違いなく、顔にはそう書かれていました。 その表情を読みながら、私は思っていたのでした。 「自業自得よ、ざまあみろ」と。振り返ればすでに私たちは争族予備軍でした。 自筆

          相続が争族になった日 2 裁判所と悪徳行政書士と母

          相続が争族になった日 父の自筆証書遺言 相続発生

          子どもは夫婦のかすがいと、よく聞くけれど、私にとっては父がかすがいなのでした。何の? 親子の。漢字で正確に書くと、それは「母娘の」。 大切だった父亡き今、私は母と絶縁しています。それも心からせいせいしているのです。もう会わなくても良いと思っているし、あちらもそうなのでしょう、父の法事もあったであろうはずなのに音沙汰がありません。 もしかしたら母の死に顔を見ても、まったく心が動かないかもしれない。こんな母娘はおかしいのかもしれないけれど、私にとっては真実なのだから仕方があり

          相続が争族になった日 父の自筆証書遺言 相続発生

          争族、まさか自分が。

           終活が流行っています。それに伴いエンディングノート書き方講座、実用的な相続対策を学ぶ教室など、多くあります。 かくいう私も「終活カウンセラー」と「終活ガイド」のふたつの資格を取得していて、実際に終活講師を務めたことも何度かあったりします。 講師を務めるときに、お決まりのように伝えてきた言葉があります。 「相続が争族にならぬよう、遺言をプレゼントとして残しましょう」 遺言としての「エンディングノートの記入」を勧めることもありました。そんな私が、まさかまさかの「争族」人

          争族、まさか自分が。