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サンパウロにいる、わたしのおじいちゃんとおばあちゃんの話をしよう。


8月22日、夜18時半。ここはパラグアイのアスンシオン行きのバスの中。
サンパウロからアスンシオンまでは18時間ほどかかる。バスが出発したのは18時、まだまだ長い旅は始まったばっかりだ。
それなのに既になんとなく小腹が空いていた。どうしようかと少し迷って、座席の下に置いていたビニール袋を持ち上げる。

中身は二つのフードパック、それにサンドイッチの入った小包。
おばあちゃんとおじいちゃんが作ってくれたお弁当だ。

上のフードパックを膝に置いて蓋をあけるときれいな形をしたおむすびが五つ、これまたきれいに並んでいた。

「ゆうりちゃん、おにぎり好きねえ。」

そう言って笑うおばあちゃんの顔が頭をよぎる。ぱくり、一口おむすびを齧った。


おじいちゃんとおばあちゃんと出会ったのは去年、イグアスの滝マラソンに出場した時のこと。
途中からまるで台風のような豪雨に見舞われたこの大会。完走した私を待ち受けていたのは、公園の入り口に帰るためのバスを待つ長い長い列と猛烈な寒さだった。雨と汗で濡れ鼠になった身体を摩っていたわたしは、それはもう唇が真っ青になるほどに凍えていたらしい。(おばあちゃんが言っていた。)

「あなた、日本から来たの?大丈夫?」

そんなわたしを見るに見かねておばあちゃんがレインコートを被せてくれたのが、わたしたちの関係のはじまり。

おばあちゃんとおじいちゃんは日系ブラジル人。だから日本語が少し話せる。お友達夫婦との旅行中で、ポルトガル語を話せず戸惑うわたしを心配して声をかけたようだった。

「こんなところまでマラソン走りにきたの。遠かったでしょう。」
「よく頑張ったね。あと少しで入り口に戻れるよ。」

おじいちゃんとおばあちゃんは震えるわたしの手を摩ってくれて、お友達夫婦もわたしの身体がぽかぽかするようにチョコレートをくれた。雨に濡れて寒いのはみんな同じ。おばあちゃんだって濡れたシャツが肌に張り付いていたし、おじいちゃんの髪からも水滴が落ちていた。それなのに彼らは一生懸命、わたしの身体を摩ってくれる。まるで自分の孫かのように、わたしが風邪を引かないように。そんな心遣いに、ちょっぴりの涙が雨に混じって顔を濡らした。


その時から今まで、おじいちゃんとおばあちゃんは、孫娘かのようにわたしの面倒をみてくれる。二人はサンパウロに住んでいるから、サンパウロにいるときは孫が家にやってきたかのように出迎えてくれるし、いない時もたくさんメールをくれる。その頻度は日本にいる祖母と同じくらい、まさしくブラジルの祖父母みたいな感じだ。

サンパウロに飛行機で到着したら空港まで、バスで到着したらバスターミナルまで車で迎えにきてくれる。今回だって変わらない。熱帯気候のブラジル北部からやってきたわたしに、サンパウロは他のところよりも寒いから、とバスターミナルまで上着と毛布を持ってきてくれた。


「ゆうりちゃん、ひもじいでしょう。ごはんいっぱい作ったよ。」

おばあちゃんの”ひもじい”は、おなかがぺこぺこという意味。
サンパウロのお家では、相変わらずびっくりするくらいの量のごはんがわたしを出迎えてくれた。献立には、白ごはん、味噌汁、豆腐がレギュラーメンバーで並ぶ。きっと日本食が恋しいだろう、という二人の気遣いだ。
わたしのためにわざわざ用意してくれた箸を使い、料理を口に運んだ。

おいしい。海外のレストランでは食べれない、心がほっとする味。

口の中が喜びでいっぱいだ。そこからは無心にご飯とおかずを食べ続けた。おいしい、と無意識に口にしていたようで
「ゆうりちゃんは、いつもおいしいって言ってくれるねえ。」
おばあちゃんが目尻に皺を寄せていた。


そこから数日間、二人の家で一緒に過ごした。

ある日は去年から親交のある孫娘ちゃんたちと一緒に家で遊んだ。6歳と8歳の女の子。夏休みの宿題を手伝ったのだけど、ポルトガル語で説明するのはやっぱり難しい。

ある日は二人のお友達夫婦の家に遊びに、隣町まで行った。わたしのためにチョコレートのお土産を用意してくれていたお友達夫婦、心遣いがとっても嬉しい。しかも苺が好きと話したら、苺狩りに連れて行ってくれた。まさかサンパウロで苺狩りが出来るなんてびっくりだ。たくさん摘んだ苺は、酸っぱいからとおじいちゃんが買ってきてくれた練乳に浸して食べた。まだ酸味が強い苺に練乳の甘さがちょうどいい具合。山盛りにあった苺はすぐになくなってしまった。

ある日は三人で、わたしがどうしても行きたかったサンパウロのラーメン屋さんに夜ご飯を食べに行った。日本のチェーン店の出店で日本の味と評判のラーメン屋さんだ。おばあちゃんとおじいちゃんの口に合うか少し不安だったのだけど、おいしいと喜んでくれたので一安心。おばあちゃんは特に餃子がお気に召したようで、しきりにおいしいと言っていた。

まるで本物の孫と祖父母みたいだね。たくさんの人に何度も言われた。
その度に二人は「血は繋がっていないけど、日本の孫なの。マラソンを走りながら世界中を旅しているのよ、それも一人で。すごいでしょう。」とわたしの話をする。
ちょっと恥ずかしいけど、二人がわたしのことを自慢してくれるのが本当に嬉しかった。


おばあちゃんとおじいちゃんと過ごす最後の日。パラグアイ行きのバスチケットを握りしめ、おじいちゃんが運転する車に乗り込んでバスターミナルに向かっていた。出会いがあれば別れだって必然だ。ずっとサンパウロに留まるわけでないし、次の目的地だって決まっている。

会う回数が増えれば増えるほど、思い出だって増えていく。思い出が増えれば増えるほど、別れる時の寂しさは募るばかり。バスがくるのが遅くなればいい、もっとサンパウロに長くいればよかった、そんな考えがぐるぐる頭を巡る。それでもバスはやってくるし、日付を変えることも出来ない。喜怒哀楽が分かり易いわたしのことだ、きっといつもより喋らないし、暗い顔をしていたんだろう。乗り場でバスを待つ間、おばあちゃんは手をずっと握ってくれていた。

ついにアスンシオン行きのバスが到着して、バスに向かって人がぞろぞろと列を作った。わたしも並ばないといけない。
最後の記念にと、バスに乗り込む前に三人で写真を撮った。いい写真だ。

「ゆうりちゃん、これ持っていきなさいね。」

バスに乗り込む直前になって、おばあちゃんがビニール袋を手渡してきた。結構ずっしりとしている。なんだろうと首を傾げると、おじいちゃんが優しい顔をして笑った。

「これ、お弁当。ゆうりちゃんがひもじくならないように作ったから、バスの中で食べてね。」

あ、やばい。そう思った時にはもう遅い。目から涙が溢れていた。泣かないように我慢してたのに、最後にずるいよ、こんなの我慢できなくなっちゃう。一度決壊したダムはもう制御不能で止まらない。しまいには嗚咽まで顔出す始末、大失態だ。
でもそれ以上に寂しかった。この数日間で積み上げた想い出が、わたしの身を寂しさに染めあげていた。本当に寂しかったのだ。

「また会えるから、泣かないよ〜。」

そう口にして、わたしをぎゅうっと抱きしめるおじいちゃんとおばあちゃん。また会える、この言葉を実現させることがどれほに大変なのか。わたしも二人も、多分わかっている。日本とブラジルは想像以上に、とても遠いのだ。
それでも、また会おうね、としきりに口にせずにいられないのは、約束よりも願いに近いから。どうかまた会えますように、そんな思いに溢れているからだと思う。

嗚咽を漏らしながらバスに乗ったわたしを、バスが発車するまで二人はずっと見送ってくれた。わたしも涙をぬぐいながらずっと手を振っていた。



おばあちゃんのおにぎりは具が入っていない、シンプルなおにぎりだ。海苔と塩だけのベーシックなおにぎり。
そのおにぎりを頬張るたびに、おばあちゃんとおじいちゃんの顔が、たくさんの想い出が、頭のなかを駆け巡る。

頰から伝った水滴が染みたおにぎりは、最初よりも少し塩っぱく感じた。それでも、とてもとても、おいしかった。


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