木曜日の贅沢

どうしようもなく疲れた木曜日というのが、月に1回か2回くらいある。金曜日ならば次の日が休みだからどうにかなるが、木曜日となるとそうはいかない。まだもう一日なんとかする必要がるわけだ。

そんな、月に1回か2回くらいある、どうしようもなく疲れた木曜日に、俺はここぞとばかりに品川駅で途中下車して、少しだけ贅沢をする。

俺は千葉駅から東京某所に通勤しているのだが、普段、品川駅は電車に乗ったまま通り過ぎる駅だ。だが、そこで、あえて途中下車する。

品川駅で何をするかと言えば、立ち食いそばを食う。品川駅には常盤軒という立ち食いそば店があるが、この店は特別で、品川駅構内にしか存在しないのだ。しかも、品川駅構内に4店舗を持つという、かなり尖った店である。ここが、なんとも言えずスゲー旨いのだ。

常盤軒は店舗ごとにメニューが多少異なるのだが、乗り換えの都合上、俺は決まって千葉駅方面の総武快速線ホームの店に行く。

その店はごく小さな店で、顔の皺に年季が入ったおじいさんが1人か2人で調理をしている。ここでいつも食べるのは、かき揚げそばなのだが、このかき揚げがすごい。

近年、といってもかなり前からだが、立ち食いそばはどんどん高級嗜好に進化している。蕎麦は細くざるそばでも十分味わえる歯ごたえで、ポットではあるが蕎麦湯も楽しめる。汁は絶妙に砂糖を効かせた甘味と旨味が程よく、色もやや透き通っていて上品ですらある。かき揚げは玉ねぎを始めとしたたっぷりの具材に薄い衣をつけて店内で揚げ、店によっては揚げたてを提供してくれる。

だが、総武快速線ホームの常盤軒はそれらに逆行するような、ノスタルジーすら漂うスタイルだ。

蕎麦は太く歯ごたえボソボソで、蕎麦湯どことかざるそばなんぞ無い。汁は甘さなど殆ど感じさせない塩辛さで、色も真っ黒で見た目からしてジャンクだ。極めつけはかき揚げで、「ほとんど具材のない小麦粉の塊を平たく揚げたもの」といえるような丸い板が乗っている。

かき揚げの具材は、みじん切りにされた紅生姜とネギとイカのゲソ、あとは玉ねぎも入っていたかもしれないが、その主成分は小麦粉だ。「みっしりと詰まったたこ焼きの生地」の感触が近いだろうか。しかも、近年流行りの揚げたこ焼きのようなカリトロとしたものではなく、冷凍のたこ焼きをレンジでチンしたようなフニャフニャのたこ焼きで、しかも冷めているといった塩梅だ。

しかし、これが不思議と旨いのだ。たしかに、かき揚げ単品で見れば、圧縮したキャベツ抜きのお好み焼きのようなひたすらみっしりとした小麦粉の塊なのだが、塩辛い濃い汁を吸うと、一気に化けるのだ。

もともとみっしりと小麦粉が詰まっているだけ合って、汁を吸うとフカフカの食感となり、汁の塩辛さをかき揚げの油がいい塩梅で相殺し、完璧な旨いかき揚げになるのだ。

これは、この汁だからこそできるかき揚げなのだと思う。上品な汁にこのかき揚げではかき揚げが強すぎて汁の味がぼやけるだろうし、具材たっぷりの揚げたてかき揚げでは完全に汁に打ちのめされるだろう。

パンチの効いた汁に、その汁を目一杯吸いまくるかき揚げ。この組み合わせは常盤軒ならではだ。

実は、今日も常盤軒に行ってきたのだが、今日は別の物を食べてみようと思い、コロッケそばを注文した。

コロッケそばというのは不思議なもので、立ち食いそば屋にはあるがちょいと高い蕎麦屋には存在しない、ある意味では立ち食い蕎麦独自のメニューとも言える。

それゆえに、立ち食い蕎麦だとしても、コロッケそばは邪道蕎麦だという人もいる。が、俺は逆で、立ち食い蕎麦でしか食えないのだから、立ち食い蕎麦に行ったときにはコロッケそばを食べようというくらいの気持ちすらあり、何度も行く立ち食いそば屋では1回はコロッケそばを注文してしまう。

で、常盤軒のコロッケそばはどうだったかというと、はっきり言ってヤベえコロッケそばだった。

立ち食いそば高級嗜好のご多分に漏れず、コロッケも店ごとにこだわりと特色が出ている。トウモロコシを入れて甘みのアクセントを効かせたり、山芋を入れて舌触りを柔らかくしたりと、各社それぞれの工夫がある。

だが、ここでも常盤軒のスロトングスタイルが光る。黒胡椒をガッツリと効かせ濃い汁を真っ向勝負をぶちかましてくる。ひき肉ではなく小さなブロック肉が入っており、これもまた歯ごたえで濃い汁を真っ向勝負をぶちかましてくる。

常盤軒のコロッケは、塩辛い真っ黒な汁に合わせてカスタマイズされたコロッケだったのだ。

汁を吸って本領を発揮するかき揚げ、汁に対して真っ向勝負を挑んでお互いを引き立て合うコロッケ。方向性は異なれど、「汁とチームを組む」という点においては、完全に一致している。

旨いものというのは、大きく分けて「毎日でも食べたい飽きの来ない旨いもの」と「たまに無性に食べたくなるパンチの効いた旨いもの」に分けられる。常盤軒の蕎麦は完全に後者だ。全体的に塩辛くボソボソとしていてジャンクだが、だが、それ故に、たまに無性に食べたくなるのだ。

また、やや厚めのネギが多めに乗っているのも個人的に美味しさのポイントだ。例えば、甘い汁の店ではネギは薄く切り控えめに乗せて歯ごたえでアクセントを付けてくるが、常盤軒では厚めに切っているため辛味がアクセントとして効いてくる。汁がめちゃくちゃに濃いので、辛味が生きるのだ。

そんなジャンクな立ち食い蕎麦を食べ、汁も全部飲みきった後、備え付けのコップにセルフで水を注いで飲むとこの時点で木曜日の疲れはかなり取れている。

が、ここからが本番だ。立ち食い蕎麦屋を出たらその足でグリーン車の乗車券を買う。そう、グリーン車だ。

品川駅から千葉駅まで780円。普段なら絶対に買わないし乗らないグリーン車だが、ここぞとばかりに迷いなく買う。そして、グリーン車に乗る。

グリーン車は、高いカネを払うだけあって、いつも乗る電車と比較すると異界だ。座席が開くのを虎視眈々と狙う者もいなければ、窓際で酔いつぶれて座り込む乗客もいない。というか、そもそも人が圧倒的に少ない。

そんな人の少ない空間に堂々と入る。後ろに人がいない席を探し、事前購入したSuicaのグリーン券を使用して席を取り、おもむろにリクライニングシートを倒し、スマホのタイマーを到着時間2分前にセットし、目を閉じる。

グリーン車といえば車内販売のビールという声もある。そこには俺も強く惹かれる。だが、めちゃくちゃに疲れている木曜日の場合、寝るを優先にする。

グリーン車で寝るというのは、不思議な特別感がある。通常の電車の座席で寝るよりも、遥かに遠慮なく眠れる。仮に眠れなくても、目を閉じてぼんやりする時間というのは、疲れを忘れさせる。

通路を挟んだ座席のおじさんが缶ビールの栓を開ける音なんかもBGMとして、「ああ、今度は缶ビールとシウマイ弁当を買ってグリーン車もイイかもな……」などと思いながら、品川駅から千葉駅までの1時間ほどを、夢と現の合間で過ごす。

ここまででだいぶ疲れが消えるが、ここからさらに疲れにとどめを刺す。

千葉駅の近くに、個人経営の焼き鳥屋がある。持ち帰り専門店なのだが、これが不思議と旨いのだ。この焼き鳥屋は、焼き立ても旨いのだが冷めても旨いしレンジで温め直しても旨い。

その店では、ある程度焼いた焼鳥がカウンターに並んでおり、注文するとそれらを炭火で焼き直してくる。つまり、元から温め直した状態で旨い状態を想定しているのかもしれない。

実際にそうかは置いておいて、その焼き鳥屋で焼き鳥を4本か5本ほど買い、コンビニで酒を買って家へと帰る。

帰ったら風呂に湯を張る。いつもはシャワーだが、こういうときには湯を張る。湯を張っている間に軽く運動し、少し汗を流したところで風呂に入る。もうこの時点でかなりのやりきった感があるが、まだ最後の仕上げが残っている。

風呂から上がったら、勝ってきた焼鳥をレンジで温め直し、風呂に入っている間に冷やしておいた酒を出し、一人酒だ。これがもう旨い。

普段は乗らないグリーン車に乗り、普段は買わない特別な焼き鳥を買い、普段は入らない湯船に浸かり、普段は飲まないちょっといい酒を呑む。さながら自宅にいながら小旅行のような雰囲気である。

そんな小旅行気分に浸りながら、酔いが回ってきたあたりで食器を洗い、葉を磨いたりして寝るのだ。これで金曜日も頑張れるという算段だ。

……というような話を、焼き鳥を肴に酒を飲みながら書いている。今夜は少し飲みすぎた気もするが、まあしかし、それも精神的な健康で明日の元気につながるわけで、月に1回か2回は、こういった日が当ても良いんじゃあないかと思いながら、筆を置くのであった。

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