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赤羽で噛みしめた幸せ

今日の東京は青空になるのかと思いきや、思っていたよりも雲がありますね。でも昨日より晴れていて暖かい。

心地よいJAZZを聴きながら、外で食べたら軽く1500円はするよ!と思いつつ、昼食の和定食を作りました。

昨日は幼なじみと赤羽へ。赤羽…。なぜ赤羽?(笑)今日はその時に思ったことを書きます。

年月を経たことで
定義が変わることもある

そう、昨日は幼なじみと赤羽に行きました。

普通に「幼なじみ」と書いているけど、実はいつ頃かまで、私は彼女のことを幼なじみとは表現していませんでした。なぜかというと、彼女には私より前に幼なじみがいたからです。なんとなく気が退けていたんですね。(いま考えても繊細だな。)

で彼女と私、何歳からの友だちかというと、4歳からの友だちなんです(笑)

笑えるでしょ。十分、幼なじみなんですよ。そう思ったのは40歳くらいだったかな。だから今は平然と「幼なじみ」だと言っています。

彼女とは、大人になって付き合いが復活した~とかでもなく、数年くらい連絡が途絶えた時もあったりした気もするけど、どの年代も比較的会っていました。だからどの時のことも知ってる…。PTAも一緒にやりましたしね。

こんなに長く一緒にいることになるとは、出会った頃には全く思っていませんでした。待合せ場所に向かいながら、まず1つ目の幸せを噛みしめました!

趣味が同じで仲よくなったんじゃなく
たまたま趣味が同じなんだな

一路、赤羽へ!
なぜ赤羽に行ったのか…。

それは私たちがエレファントカシマシのファンだからです(笑)エレファントカシマシといえば赤羽。赤羽といえばエレファントカシマシ。そう、赤羽はエレカシの聖地なんです。

同じ東京都内とはいえ、赤羽と三鷹はなんだか縁遠くて、なかなか行かない場所だったりします。前回行ったのは、エレカシの35周年さいたまスーパーアリーナの時。今年は40周年なので、もう5年前になります。早いな!

しつこいようですが、私たちは4歳からの友だちで、もう50代だということを考えると、私たちが知り合った頃にはエレカシはない訳で、それぞれがエレカシを好きになったのは、だいぶ後になってから~ということになります。

こういうふうに書くと、どちらかが先にエレカシを好きになって、もう片方に勧めたんじゃないの?と、思う人もいるかもしれませんが、違うんですよ。私たちは偶然、それぞれがエレカシを好きになって「え、だったらチケット取りを協力して、一緒に行こうよ!」という感じでした。

彼女とは中高生の頃も、同じ音楽グループを好きで、一緒にコンサートに行っていたので、歴代の音楽の話、地元のこと、同級生の話、家族や親族の話、どの話をしてもほぼ通じます。

しかも、私たちのダンナや息子はちょっと癖が強い…。毎回話は尽きません。

そういうのって急に作れる関係じゃないし、やっぱり50年という月日と、長く趣味が同じということの成せる技だな~なんて、風に吹かれながら、2つ目の幸せを噛みしめました!

荒川の、風に吹かれて

同い年だからこその話の中で
自分の人生の位置を知る

50歳を越えた頃から、若い時には全く考えもしなかったことが、いろいろと起こりはじめました。

たじろぐ私…。

こんなにボロボロって何か病気?!私だけがこんなに弱いの?もしかしてうつかな…なんて思ったり。でも同い年でもある幼なじみと話したら、私だけのことじゃなく、みんな大差ないんだ!と思うことができました。

40代になった頃、周囲で老眼の話が出てきて、大盛り上がりした記憶があるけれど、50代はそんなものじゃ済まなくて、本当にびっくりしたり、落胆したりしました。

はさみで固いものをちょっと切り続けただけで腱鞘炎。掃除をするために、スプレーをしばらくシュッシュッと蒔いただけで腱鞘炎が悪化。タオルも絞れない。足を捻挫したら、痛みが半年以上消えず、足の左右差が顕著に…。手の指の第1関節が赤く腫れて痛い…。関節がぽわっと熱くて痛い。

日によって目の見えがえらく違う。コンタクトレンズを入れるとクラクラする日が増えた。凄く明るい場所以外で物を見るのが辛い。コンタクトレンズを使うために、遠くの見えを以前より悪くして、近くを多少見やすくしてるけど、それでも咄嗟に見えない時がある。

そして気圧や天気にかなり左右される。

もう書きはじめたらキリがない!

そんなことが突然降って湧いて、とにかくどう対応したらいいのか困る…。がんの闘病の時は医者に囲まれていたけど、今はそうじゃないからわからないことだらけ。

痛みが伴うことや、理由なく怠いことが多いし、そもそも痛いのって疲れるんですよね…。とにかく何もしなくても疲れるから、めんどうなことなんかしたくない…。

こんなに早くにボロボロになるなんて思っていなかったし、50代でこんなだと、60代や70代はどうなっちゃってるんだろう!?!…って思っていたんだけど、幼なじみもそう思っていたらしい(笑)

そうか、そんなものか。

同い年と話したからこそわかった、自分たちの年齢の状況と、人生の中の今の位置。同い年の友だちがいてよかった。3つ目の幸せを噛みしめました!

人生は思っていたより短い

最後に…。

この1年半くらいの間で、スズメベースにいることが辛くなりました。理由はいくつかあると思っていましたが、そのうちの1つは明るさなんだと、昨日気づきました。スズメベースの明るさだと、私にはかなり見えづらいんです。

人間は目を開けていると、見えづらい環境でも一生懸命見ようとしてしまうみたいで、大したことをしていなくても、そこにいるだけで疲れます。そんなこと、今まであまり考えたことがありませんでした。スズメベースにいると辛くなる理由の1つは、たぶんそれでした。

大きな窓があるカフェなどは明るくて、そこではやれることが、スズメベースではかなりやりづらい…。疲れるし、イライラする。

昨日荒川の岸辺で、彼女の目が見えにくい話を聞いていて、そうかそうなのか!と、思いました。

そんなことにも気づかなかっただなんて、ちょっと自分に閉口してしまいました。

そして、窮屈なことが辛いということも、最近の私の思いです。

逗子や鎌倉の海に行った時にも、薄々感じていたことですが、以前よりも広いところにいたい!という気持ちが強くなりました。荒川を見ていて思いました。

それは環境や視界のことだけじゃなくて、まず洋服のことからはじまった感情でした。窮屈なものや、締め付けられるような洋服が、本当に嫌いになりました。

私は視力が悪く、裸眼は0.03程度の視力しかありません。それを以前はコンタクトレンズを使って、1.0くらいにしていましたが、今は0.5くらいにしかしていません。人の顔がはっきりとはわかりません。それでなんとか近くは見えます。

それでも薄暗い日はそれでも見えなくなるし、体調によっても見え方が変わります。だから遠くも近くも大体で生活しています。

以前より不自由です。

この先、もっと見えなくなるかもしれない。さらに耳の聴こえも悪くなるかもしれない。どこかがもっと痛くなるかもしれない。歳を取るってこういうことなのか~と思いつつ、今の幸せも噛みしめています。

静勝寺は静かだった

東京三鷹生まれの三鷹育ち。自分の居場所を求めて富良野、京都、東京多摩地区を転々としたのち三鷹に戻り、以降ずっと三鷹に在住。2016年2月、本好きと、長く続いた居場所探しの経験を活かし、地元でゆるい感覚のまちライブラリーをスタート。ひっそり人好き。地域クリエイター。