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3つ子の魂とお風呂

何か新しい考えが浮かぶ時って、だいたいお風呂場に居る時だ。

それはたぶん、お風呂場って何もないから。
スマホもテレビも漫画もない、すっぽんぽんの自分だけの空間で、いつもと変わらない手順で、頭を洗って身体を洗って顔を洗う。
ほぼ脳の本能的な部分?に刻まれてる動きをするだけ、って感じがする。
ベロベロに酔っぱらった人がなんだかんだ帰巣本能で自宅に帰れちゃう原理と同じような。

だからきっと、暇を持て余した脳みその「考える部分」が勝手にあれこれ考えちゃうんだろう、と思う。



何もないから、むしろ何も考えないこともできる。

温かい湯船に浸かって脱力して、深く呼吸をして、ただ心地よさに身を委ね、他のことは何も考えない、そういう時間もわたしは好きだ。
考えすぎて疲れた1日には一旦空っぽになる、そんな癒しの時間も大切。

空っぽになることで見えてくることもある。


そういえば、高校生の頃にゆるく書いていたブログも、浴槽というページ名にしていた。
無意識にあの頃と同じ発想になってた。


15歳の自分と30歳の自分。

3つ子の魂100までとは確かにそうかもしれない、
と思うことが日常において多々ある。
小さい頃から、気質というか癖というか、無意識に変わらない自分の傾向があるんだよな。
生まれ持った性質、ということなんだろうか。
不思議。

わりと自分は、家系とかそういう生まれつきの自分の力じゃどうにもならないものに争っていきたい人間ではあるけれど、そうはいかない無意識の部分って絶対あって。
それこそが自分を自分たらしめているものでもあり。
永遠に向き合っていく自分の特性、障害、アイデンティティ。
自分とどう付き合っていくかが人生を良くする重要なポイントのひとつだと思う。


この歳になってもまだこんなこと考えているなんて、15歳の自分はまさか思わなかったな。
年齢を重ねることのあるある、「あの頃思い描いてた◯◯歳って、もっと大人だった」。
なにも自動的に大人になるわけではなかった。
当たり前のことなのに気づけなかったのは、当時それだけ未熟だったから。

毎日、脱衣所の鏡の前に立つと、ほんの少しずつ昨日とは違う自分に気付かされる。
30歳。30歳か。
まだまだ実感が湧かない。
心もアップデートしていかねば。

旅するギター/ラッキーオールドサン

(ラジオ気取りで、今の脳内BGMを添えてみる)

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