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2023/10/9

🎫来月本番があります。チケットの予約、いつもよりちょっと手間と手数料がかかりますが、いいものお観せできるよう頑張るのでぜひ来てください。ご予約はこちらから。

📆誕生日も来たし久しぶりに日記でも書こうかな〜、と思ったら二日ぐらい経ってました。今年もなんかそんな感じで行くんだろうなと思います。

🎂記念すべき30歳のお誕生日だったので、ケーキも3種類食べた。30歳ともなると、ケーキばっかりたくさん食べて平気ってわけには行かないんだな………と痛感した。

🤔母が30のとき、私は確か5歳か6歳ぐらい。今の自分にそれぐらいの子どもがいるとしたら、みたいなことはちょっと想像がつかない。20歳から、精神的には大して成熟を実感することもなく、地続きのまま10年経ってしまった感覚がある……。ずっとTwitterしてたし………まさかTwitterのほうが先になくなるとは思ってなかった………。

☠️これまでの人生、闇に葬り去りたい後悔や失敗や憎しみがないわけでもないが、おおむねいい人生だったなと思っています。これからは後悔や失敗や憎しみは控えめにしつつ、そんな感じで引き続きいい人生になるといいなと思います。

✄ここまで誕生日によせての日記。ここから今日の日記。

🥺祝日に仕事があるのはもう平気なのですが、祝日にみんなが稽古してる中仕事があるのはまだまだしょんぼりする。稽古場写真がいっぱい流れてくる……悲しみ…………。

🎁ほぼ定時で上がってPEACH JOHNに行きました。お誕生日プレゼントにもらったeギフトカードを使うため。代わる代わる優しいお姉さんに採寸とフィッティングをしてもらい、かわいい紙袋を手に自己肯定感を上げて帰ってきた。

 優しいお姉さんのひとりから、「言葉遣いがとっても綺麗ですね」と褒めていただき、うへへ……となるなど。正直自信はないし緊張してるしお世話になりっぱなしだったけど、そういう自分にもちゃんといいところがあるじゃんね!という気持ち。さらにお姉さんの力を借りて可愛いアイテムまで手に入れたので、もう最高じゃんね!!の気持ち。

 たとえば外見的・表面的に好ましいかどうかは主観的なものであり、世の中にあるいろいろな価値基準のなかのひとつであり、私自身、私を価値付ける指標がそれだけでないのは重々承知の上だから、私が髪を切ったりおめかししたりなんだりしたときに誰かがそれをノータイムで「可愛い」って褒めてくれたらシンプルに嬉しいなと思うんですけど、こう感じるのもきっと、私が今までそういう表現や価値観に関して嫌な思いをしてこなかったからなんだろうな……。

 でも何にせよ、例えば国語ができてえらいねと誰かを褒めるのは、国語が苦手な誰かを貶めることであったり、数学や理科や社会の価値を否定することではないと思うんだけど、どうなんだろうな。国語至上主義は問題があるけど、国語至上主義を否定したいがあまりに表現を誤って、国語の成績を自分の支えにしてきた人や、成績の優劣に関係なく国語を学ぶのが好きな人を傷つけることになることもあるのではないかしら……という抵抗感がある。この例えで適切かどうか自信はないです。

 こういうことに限らず、なんか「自分が当たり前だと思っていることがどこかで誰かを傷つけてる」みたいなことが多く、もちろん、そういうことに対して自覚的になるのは良いことではあるんだけども、何かを主張したり表明したりするのがちょっと嫌になってる自分がいるな〜と思う。
何かに触れたときに「あの人これ大丈夫かなぁ」より、「あの人これ好きかな」という思いの馳せ方をしたい……………。物事に対しても、その人に対しても………。

🦴何だかんだこれも主張の端くれみたいなものだから、不安。慣れないことをするものではない。寝よう。明日は整体!

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