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歌集「シジフォスの日々」

病に倒れて5年、首から下がマヒし、寝たきりで歌を詠む歌人、有沢蛍さんの歌集です(2017年 短歌研究社刊)。
教職の定年を2年後に控えた2013年、黄色ブドウ球菌の感染による髄膜炎で倒れ、目覚めた時は、四肢が動かず、自発呼吸もできない状態だったそうです。
また、2歳で脊椎カリエスを病み、学齢前に既に仰臥の人だったとのこと。
「あとがき」で「寝たきりの生活の中で歌を詠み始めた私は、再び寝たきりの生活に戻り、言葉を歌に乗せて飛ばすことになった」と述べています。

目次です。

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三十一回五十音図を読む友に頷きながら歌は生まるる
ベッドサイドでのお友だちとのコラボで生まれる歌。  

転院の朝贈られし寄せ書きに「ありがとう」と書けり若きナースは
看護師から感謝される患者としての有沢さん。

信仰はたすけになりしかと問ふ友に祈られをりしことが支えと
お友だちの祈り=信仰、という姿。

背を上げて足を下ろせば人並みに生きた心地し口紅をさす
患者であって女性。

見送りの青年作業療法士 患者輸送車追ひつつ涙
青年の思いに、有沢さんも涙したことでしょう。

パンケーキ口いつぱいに頬張りて心残りをひとつ減らせり
減った心残り、プラスになる明るさ。

聖書読む弟の声歌うたふ義妹の声に涙流れぬ
いのち通う聖姉弟義妹。

「こんな目におあひになつて」と泣く人にさうは思はぬ我に気づけり
「こんな目」とは思はざりけりかくも深く人と関はる幸せ知れば

障がいに向き合い抜け、感謝する境地。有沢さんの深さ。

「貴女が笑つてゐると嬉しい」と言ひし医師あり重篤の頃
有沢さんに感謝している医師。

シジフォスの神話のごとく幾たびも新しき「我」を選び直さな
症状が変化する度、「新しき『我』」と受け止める強さ、しなやかさ。

四十三インチのテレビ画面にあふれたるマツコ・デラックスに癒やされてをり
有沢さんの笑みが浮かびます。

三月にわれを見舞ひて八月に喉頭癌にて逝きし教へ子
有沢さんの思いはいかばかりだったか。

ビニールの袋に入りし聖体を若き神父は鞄より出す
ホスチアを掲げらるればたちまちにわが枕辺は聖堂と化す
横たはるままに拝領終えたれば溢れし涙耳へと流る

ベッドサイドの儀式、祈祷。涙の深さ。
※ホスチアは聖体拝領で用いるパンです。

やまゆりの園生の闇に振るはれし刃はわれの心をも刺す
感謝しつつ静かに前向きに生きていた有沢さんの心は、事件により、言葉に表せないほどに深く傷ついたことでしょう。

いのち落つるときはたちまち九仞の功をいつきにかくごとくなり
それでも降りてくる不安。運命との折り合い。

以上、特に印象に残った歌ですが、「あとがき」で「病や障害に直面したときの魂の痛みを詠ったものだが、意外なことに、蓋を開けてみると箱の中には小さな『希望』が羽根を震わせているような気がした」と述べておられるとおり、全体的に底暗さはなく、障がいに向き合い、受け止め、前向きな姿勢を通奏低音として、詠っていらっしゃいます。

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2018年4月4日 朝日新聞(夕刊)より。  

添えられた「栞」で、歌人の酒井祐子さんが正岡子規の「仰臥漫録」に触れていますが、有沢さんご自身が、

痰だけは正岡子規に負けるまじ日に三箱のティッシュを空ける

と詠んでおられ、同「栞」で、歌人の小池光さんが、

「考えられる最大のハンディを背負いながら、嘆かず、絶望せず、常に前を向いて生きている。失ったものを振り向かず、残されたものに感謝して生きている。それがすばらしい」
「言語に絶する運命をしずかに引き受けて、能動的に活動する意欲を失わず、春になれば花を見に行く。コンサートにも行く。クラス会にも行く。短歌を作り、エッセイを書く。国民の権利である選挙の投票までする。すべてそれを助け、援助してくれる人々がいればこそのことであるが、そういう人々を回りに引き寄せやまない人間としての力が(それを「徳」というべきか)有沢蛍には備わっている。わたしは、ただ頭を下げるのである」

と、讃えていて、一冊まるごと、すべての歌をご紹介したいくらいです。
いつも、noterの皆さんのお言葉に安らぎ、力を与えていただき、感謝していますが、この歌集にも、詠うこと、奏でることにインスパイアされました。  

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