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“いちばん大きなかなしみ”に贈られる詩

この世を去った人から、残された人に贈られた42行の詩です。
タイトルはありません

先月7日の朝日新聞「多事奏論」に文化部記者の河合真美江さんが書かれた記事とX(Twitter)の記事で存在を知りました。

書名「さよならのあとで」は恐らく後記しました発行人の方が付けられたのだと思います。
作者は、英国教会の神学者であり、哲学者で、ロンドンのセント・ポール大聖堂のカノン(聖職者)であったヘンリー・スコット・ホランド(1847~1918)です。
海外では、葬儀や追悼式など、故人を偲ぶ多くの場で、読まれているそうです。
翻訳者は匿名の方で、イラストは高橋和枝さん、発行された方は島田潤一郎さん、2012年に「夏葉社」から刊行されました。
翻訳者の方も大切な家族を失っておられ、「あとがき」では発行人(恐らく島田さん)の方の従兄が早世されていることに、感謝と共に触れていらっしゃいます。

1~3行のことばが高橋さんの温かみのあるイラストを挿んで1~3ページおきに書かれていて、ページ番号はなく、42行でも、厚さ1㎝ほどの本です。

イラストは例えばこのような感じです。

全文です。

死はなんでもないものです。

私はただ

となりの部屋にそっと移っただけ。

私は今でも私のまま

あなたは今でもあなたのまま。

私とあなたは

かつて私たちが
そうであった関係のままで

これからもありつづけます。

私のことをこれまでどおりの
親しい名前で呼んでください。

あなたがいつもそうしたように

気軽な調子で話しかけて。

あなたの声音を変えないで。

重々しく、悲しそうな

不自然な素振りを見せないで。

私たち二人が面白がって笑った
冗談話に笑って。

人生を楽しんで。

ほほえみを忘れないで。

私のことを思ってください。

私のために祈ってください。

私の名前がこれまでどおり
ありふれた言葉として呼ばれますように。

私の名前が
なんの努力もいらずに自然に

あなたの口の端に上りますように。

私の名前が
少しの暗いかげもなく
話されますように。

人生の意味は
これまでと変わってはいません。

人生はこれまでと同じ形でつづいています。

それはすこしも途切れることなく

これからもつづいていきます。

私が見えなくなったからといって

どうして私が
忘れられてしまうことがあるでしょう。

私はしばしあなたを待っています。

どこかとても近いところで。

あの角を曲がったところで。

すべてはよしです。

原詩です。

死が人を分かつことではなく、魂とも、霊とも言わず、“となりの部屋にそっと移っただけ”、そして最後に“すべてはよし”としています。
“儀式”における死の次元とは異なり、死=無ではない、慈しみの深い、生への、死への福音のことばと読みました。

発行人の方の「あとがきにかえて」より。

(前略)
 人はだれでも死別を経験します。
 親しい人、ときには、自分の命を失っても守りたい人とさえ、別れます。
 それは、人生を生きていくうえで、一番つらい出来事です。
 だれかの言葉や、匂いや、音や、光や、空気や、風や、すべてのことが、その人の不在を静かに告げます。
 私はもう二度と立ち直れないのではないか。
 何度も、何度も、そう思います。
 けれど、私たちは思い出すことができます。
 その人のいた場所や、いつも座っていた椅子、読んでいた本、ずっと履いていた靴、微笑み、くしゃみ、声、指の先。

 その人がどれだけ私のことを愛してくれていたのか。

 そのことに思いをはせたとき、私たちは、再び、ゆっくりと立ち上がることができるのだと思います。
(中略)
 そして、早世した愛する従兄にも。
 ありがとう。

 この詩が悲しんでいる人の心を支えてくれるならば、こんなに嬉しいことはありません。

                                                   発行人

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