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スウェーデンってこんな国

人口1000万人をついに超えたスウェーデンの面積は日本の1.2倍です。地形は縦長で、北部は北極圏になり、人間よりもトナカイの方が多く住んでいます。公用語はスウェーデン語ですが、90%の成人は英語もほぼ完璧に話します。英語が話せない人がいたら、それは移民です。

スウェーデンの首都ストックホルムは14の島からなり、北欧のベニスと呼ばれる水の都です。日本では魔女の宅急便のモデルとなった街としても有名です。

スウェーデンの暮らしでもっとも厳しいのは、半年は続く長い冬です。北極圏では冬のあいだ太陽が昇らない極夜となります。ストックホルムでも冬の日照時間は7時間程度で、朝9時から午後2時ごろまでしか明るくなりません。その代わり夏は反対に日照時間が長くなり、北極圏では真夜中の太陽を見ることができます。

人口も少なく気候も厳しい環境の中で、スウェーデンはほんの100年前は欧州の貧困国として喘ぎ、多くの人々がアメリカなどへ移民として国を離れていきました。

そんな北欧が、今の社会福祉大国として成長していったのは、戦後からでしょうか。中立国だったスウェーデンは第二次大戦で大きな痛手は負わなかったため、戦後に積極的な政策を推し進められたようです。

70年代のスウェーデンでは、今の日本のように、女性の社会進出が進み、さまざまな議論や改革が進められました。育児休暇期間の収入を保証する両親保険制度が始まり、両親ともに育児に参加する男女平等のあり方は、その後の政策で最も重要な課題となりました。

70年代に導入された両親保険制度の背景には労働力不足と男女平等議論があり、国は高等教育を受けた女性の能力を必要としていました。国民の半分にあたる女性が労働力外にあることは国の損失であり、税収の増加にもつながる女性の社会進出は、その後の社会福祉を充実させるためにも必要不可欠な課題でした。

話しがだんだん難しい方向に進んでしまいましたが、何が言いたいかというと、福祉国家、ダイバーシティ、男女平等、母親が世界一幸せな国、となったのは人々の努力の賜物なのです。特に女性がここまで暮らしやすくなった最大の理由は、先人の女性たちがものすごく努力をしたからです。そして今でも、女性たちは前向きで、暮らしをよくするための努力を怠りません。その姿勢には、私もとても刺激を受けています。

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