まえがき
所沢市で中核市移行の検討が進んでいる。小野塚新市長は市長選の公約としても掲げていたように、就任後のあいさつで中核市移行準備プロジェクトチームの立ち上げを発表した。大野県知事もこういった動きを「歓迎をしたい」と発言しており、今の所沢市政で最もホットなトピックのひとつになっている。所沢市の中核市移行については、当摩元市長時代にはプロジェクトチームによる調査、分析が行われていたものの、藤本前市長時代には執行部側の動きはほとんど見られなかった(市サイトを検索しても、当時の動きに相当するページはせいぜい2件である)。その一方で、議会側からはかねてから中核市移行をうったえる声があり(浜野議員、桑畠議員など)、また2020年以降は国内での新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけに保健所を設置できる権限が改めて注目されてきた(荒川議員、平井議員など)。
「中核市」というものをざっくり言えば、政令指定都市(例:さいたま市)ほどではないがある程度大きい市への権限移譲の制度である。地方自治法第252条の22第1項の規定により、政令指定都市ほど広範かつ強力ではないものの、都道府県が処理することとされている事務を都道府県に代わって処理できる。要件は人口20万以上であり、同法第252条の24の規定による市議会の議決と都道府県の同意を経て市が国に申し出、政令で指定されると中核市になる。2023年12月末日時点で所沢市の人口は34万強であり、中核市の要件を満たしている。2023年4月1日時点で全国には中核市が62市あり、埼玉県内では川越市、越谷市、川口市(指定日順)の3市が中核市である。また、中核市市長会のサイトには「中核市移行を検討している都市」として春日部市や草加市の名前が挙がっている。
さて、ここまで中核市について書いてきたので肩透かしになってしまうかもしれないが、この記事の主題は中核市ではなく、いわゆる「保健所政令市」である。市独自の保健所の設置のみを目的とするなら保健所政令市で十分という発想はありうるのだ。もちろん、中核市には保健所以外の権限もあるし、自治体としても「箔が付く」ので、中核市移行は決して否定されるものではない。私も、保健所政令市という中間解よりは、今の所沢市が目指し得る最終解である中核市移行を目指すべき、という立場である。
記事を書いた経緯は私のふとした疑問だ。なぜ保健所政令市は、中核市ではなく保健所政令市の道を選んだのか、と。そしてそれを知ることで、今の所沢市の中核市移行をよりよく分析できるようになるかもしれない、と考えた。そこでこの記事では、2023(令和5)年5月8日時点(地域健康法施行令の最終改正日)での保健所政令市5市が保健所政令市へ移行したきっかけを調査した。各市のサイトで概要をつかみ、議論を深追いするために議会の会議録にあたっている。なお、過去には5市以外にも保健所政令市が存在していたことは承知しているが、対象を広げるとキリがなくなりそうなので、今回の調査は5市にとどめている。あわせて、各市の中核市移行に対する温度感やその移り変わりについても調べた。なお、中核市要件は地方自治法の改正により変遷しているため、記事とあわせて総務省資料も参照されたい。
保健所政令市とは
保健所は地域保健法第5条第1項の規定により、都道府県、政令指定都市、および中核市に設置される機関であり、地域住民の健康と衛星の拠点である。そしてこれらの自治体に加えて、さらに「その他の政令で定める市」も保健所を設置する旨が定められている。このような市がいわゆる保健所政令市である。
ここでいう「政令」とは地域保健法施行令であり、その第1条で保健所を設置する市を定めている。全部で3号あるうちの第1号が政令指定都市、第2号が中核市である。そして第3号が、そのいずれでもないが保健所を設置する、いわゆる保健所政令市であり、具体的には小樽市、町田市、藤沢市、茅ヶ崎市、および四日市市の5市である。
ここからは5市の各市が保健所政令市へ移行したきっかけを見ていく。
保健所政令市のきっかけ
小樽市(北海道) ― 未調査だが保健所の歴史は古い
さっそくで申し訳ないが、小樽市のきっかけは調べられていない。小樽市議会の会議録には議会が準備した検索システムがなく、また Otaru Open City の小樽市議会会議録検索システムも不調のためか利用できず、詳しい調査をするには時間がかかりすぎそうだと思われたためである。
ただ、小樽市保健所ページに掲載されている衛生小史を見たところ、小樽市の保健所の歴史は相当古いことは少なくとも分かった。第二次大戦前の1939(昭和14)年に道庁小樽保健所として業務開始し、戦後の1948(昭和23)年に道から市に移管されて小樽市保健所となった、とのことだ。保健所発祥の地と言われる所沢の農村保健館の開設が1937(昭和12)年なので、それとほぼ同時期から今日まで保健所業務が続いていることになる。
町田市(東京都) ― 都からの要請により
町田市は2011(平成23)年4月に保健所政令市へ移行した。同年3月の広報まちだの『町田市保健所特集号』には「東京都町田保健所の業務を引き継ぎ、町田市として保健所を運営していきます」と書かれている。また、東京都のサイトにも同様の旨のページがある。
町田市を含む多摩地区について、東京都は1997(平成9)年から2004(平成16)年にかけて保健所を再編してきた。それと並行して、2001(平成13)年ごろから都は町田市に対して町田保健所の市への移管を要請していたようだ。
その後、町田市保健医療計画2007年改定において、保健所政令市移行について取り組む旨が示された。そして2011(平成23)年4月の移行に至った、ということのようだ。
こういった保健所政令市への移行と並行して、かつての町田市は中核市移行にも積極的な姿勢を示していた。中核市の面積要件が廃止される動向(2006(平成18)年改正で成立)を踏まえて市は「いよいよ検討に入っていいのではないかという気持ちであります」と答弁している。
しかし保健所政令市に移行した後の2012(平成24)年時点では中核市移行に消極的な姿勢に転換したようで、市は「現時点では中核市への移行ということは考えておりません」と答弁している。転換の理由についてはよく分からなかったが、当時の町田市は保健所業務以外にも都から様々な事務移管が検討されていて市の事務が多くなりそうだった、ということのようで、中核市移行によるさらなる移管はキャパシティ的に難しかったのかもしれない。
近年の町田市は「中核市ベンチマーキング」なる自治体間ベンチマーキングを実施しているとのこと。ただ、これは町田市の比較対象としては(政令指定都市や一般市よりは)中核市くらいが「ふさわしい」ということのようであって、町田市の中核市移行の意向とはちょっと違う話のように見えた。
藤沢市(神奈川県) ― 県からの要請により
藤沢市は2006(平成18)年4月に保健所政令市へ移行した。市のサイトには保健所のページはあるものの、移行の経緯などがまとまったページは見つけられなかった。
藤沢市には以前から神奈川県の保健所が所在していたところ、1995(平成7)年、既に人口30万以上だった藤沢市に保健所業務を移管するために、県から市に対して保健所政令市に移行するための検討を進めてもらいたい旨の要請があり、その後も再三にわたって要請があったとのことだ。同様の要請は相模原市に対してもあったところ、相模原市は2000(平成12)年4月に保健所政令市に移行している(その後の相模原市は中核市を経て現在は政令指定都市である)。
そして藤沢市も2001(平成13)年、総合計画で保健所政令市への移行を具体的課題として計画し、検討に入った。そして2006(平成18)年4月の移行に至った、ということのようである。
藤沢市の面積は70km^2弱。検討に入った2001(平成13)年当時の中核市要件は人口30万かつ面積100km^2以上であり、藤沢市は面積要件を満たしていなかったために中核市移行という選択肢はなかったものと伺える。
ちなみに、保健所政令市に関する話題の中で、藤沢市が「中核市業務の7割は保健所業務と言われておりまして」と答弁している点は興味深い。中核市移行において保健所が注目されたり、中核市とまではいかない保健所政令市移行であっても議論がホットになったりするのは、まさに保健所業務の大きさ(強い権能、重い責務、必要な経費)が理由なのだろう。
その中核市移行については、2006(平成18)年に中核市の面積要件が廃止されて以降、会議録を調べた限りでは市の積極的な動きは見えなかった。
茅ヶ崎市(神奈川県) — 市役所の近くに保健所を留めたかった
茅ヶ崎市は2017(平成29)年4月に保健所政令市へ移行した。同市サイトには移行前の情報が残っている。
茅ヶ崎市の事例では市役所など市政の中心地と保健所の物理的な距離を離したくなかったことが伺える。市内にはもともと神奈川県の茅ヶ崎保健福祉事務所(保健所と福祉事務所を統合した機関)が所在しており、市役所と同じ丁目にあって距離が近かったようだ(Google マップによれば約550m)。しかし2013(平成25)年2月に保健福祉事務所の移転の方向性が示され、同市内にある県衛生研究所内に移ることになった。この移転で市役所から衛生研究所まで距離ができる(約2.2km)と「地域保健行政との連携にも少なからず影響が生じることが考えられ」たことから、「さまざまな保健サービスの提供や公衆衛生業務の推進を主体的に身近な地域で実施できるようにするため」、保健所政令市へ移行して市役所の近くに市の保健所を留め置くことになった、ということのようだ。現在の茅ヶ崎市保健所はかつての保健福祉事務所と同じ「茅ヶ崎一丁目8-7」に所在する。
茅ヶ崎市の統計を見ると、保健所政令市移行を表明した2013(平成25)年時点での人口は24万弱。当時の中核市要件は人口30万以上だったことから、人口要件を満たしていなかったため中核市移行の選択肢はなかったものと思われる。なお、保健所政令市についても同様の人口基準があったようだが、厚生労働省の通知には「人口が30万人未満の市であっても、保健所政令市となっている場合があることを申し添える」と書かれており、あくまで基準であって必須の要件ではなかったことが伺える。
しかしその後、2014(平成26)年に中核市の人口要件が緩和されてからは、茅ヶ崎市は中核市移行の調査を進めるなど積極的な姿勢を見せていた。ちなみに、関連する話題の中で、当時の服部市長が「中核市事務のうち約6割は保健所関連事務となっております」と答弁している点は興味深い。藤沢市と数字はわずかに異なるものの、おおまかな割合としては3分の2が保健所関連の業務といったところか。
だが2018(平成30)年10月に服部市長が急逝し、新たな市長になって以降は、茅ヶ崎市の中核市移行の話題はトーンダウンしたように見える。2022(令和4)年12月時点での市の答弁は「慎重に検討してまいります」と、それほど前向きには見えない言葉である。
四日市市(三重県) ― 処分場問題が解決されなかった
四日市市は2008(平成20)年4月に保健所政令市へ移行した。市サイトには当時の市広報が残っているとともに、「中核市移行について」というページも存在する。四日市市は中核市移行を意識的に目指していたものの、実際には暫定解として保健所政令市に移行した市なのだ。市広報の説明には「中核市移行を目指すという本来の目標は変わりませんが、中核市移行へのステップとして、まず『保健所政令市』へ移行する」と書かれている。
四日市市は2005(平成17)年2月、いわゆる平成の大合併により、隣接していた楠町を編入した。これにより当時の中核市要件を満たし、2007(平成19)年4月の中核市移行を目指していた。しかし当時の四日市市は大矢知地区をはじめとした三重県の産業廃棄物処分場の問題も抱えており、特に同地区は2004年6月から2005年6月にかけての県調査によって大規模な不法投棄が明らかになった。そして中核市に移行すれば産業廃棄物に関する事務も県から移譲される(総務省サイト「中核市・施行時特例市」ページも参照)。やっかいな処分場問題は中核市移行前に県の方で解決してほしいと言わんばかりに、市は「移管を受ける前には解決されるよう、この点、県に対し強く要請をいたしてまいりたい」との考えを示した。
しかしその後も処分場問題は解決されないまま時は流れ、四日市市は中核市移行を断念。代わりに保健所政令市へ移行する計画を示した。そして実際の移行に至った、ということのようである。
その後はどうなったのかというと、2023(令和5年)2月、四日市市は当面の間は中核市移行の時期を見送る旨を示した。なお、往時の処分場問題については、四日市市が中核市に移行した後も、県が本来果たすべき責任は県が果たす旨の確認を、2006(平成18)年の時点で交わしていたとのことである。
所感
町田市や藤沢市の事例を見ると、市の自発性ではなく都や県からの要請をきっかけに保健所政令市に移行したというのは、どうしても後ろ向きに見えてしまった。一方で茅ヶ崎市の事例を見ると、地域保健行政の転機をきっかけに保健所政令市に移行したことは、課題意識の高い主体的かつ積極的な事例として高く評価されるべきことのように思えた。
藤沢市や茅ヶ崎市の事例で紹介したように、中核市業務の3分の2は保健所業務と言われているようだ。中核市移行において保健所が注目されることに改めて納得しつつ、保健所政令市移行だとしてもかなりの大事(おおごと)であることが分かった。
四日市市の事例は今回調査したものの中で最も示唆に富むものだろう。中核市移行に積極的であっても、移管される業務が重すぎれば移行を断念せざるを得ない。保健所業務が注目されがちだが、他に移管される業務も総点検することが中核市移行を検討する上でのポイントのように思えた。
小樽市の事例を詳しく調べられなかったのは残念だったが、その保健所の歴史が所沢の農村保健館と同じくらい古いというのは思わぬ勉強になった。また、その頃から現在まで80年以上脈々と保健所業務を継続していることは率直に言ってスゴイことだ。遠く離れた市でありながら親近感を、そして敬意を覚えた。