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保健所政令市はどのようなきっかけで保健所政令市になったのか

まえがき

 所沢市で中核市移行の検討が進んでいる。小野塚新市長は市長選の公約としても掲げていたように、就任後のあいさつで中核市移行準備プロジェクトチームの立ち上げを発表した。大野県知事もこういった動きを「歓迎をしたい」と発言しており、今の所沢市政で最もホットなトピックのひとつになっている。所沢市の中核市移行については、当摩元市長時代にはプロジェクトチームによる調査、分析が行われていたものの、藤本前市長時代には執行部側の動きはほとんど見られなかった(市サイトを検索しても、当時の動きに相当するページはせいぜい2件である)。その一方で、議会側からはかねてから中核市移行をうったえる声があり(浜野議員桑畠議員など)、また2020年以降は国内での新型コロナウイルス感染症の流行をきっかけに保健所を設置できる権限が改めて注目されてきた(荒川議員平井議員など)。

「中核市」というものをざっくり言えば、政令指定都市(例:さいたま市)ほどではないがある程度大きい市への権限移譲の制度である。地方自治法第252条の22第1項の規定により、政令指定都市ほど広範かつ強力ではないものの、都道府県が処理することとされている事務を都道府県に代わって処理できる。要件は人口20万以上であり、同法第252条の24の規定による市議会の議決と都道府県の同意を経て市が国に申し出、政令で指定されると中核市になる。2023年12月末日時点で所沢市の人口は34万強であり、中核市の要件を満たしている。2023年4月1日時点で全国には中核市が62市あり、埼玉県内では川越市越谷市川口市(指定日順)の3市が中核市である。また、中核市市長会のサイトには「中核市移行を検討している都市」として春日部市や草加市の名前が挙がっている。

 さて、ここまで中核市について書いてきたので肩透かしになってしまうかもしれないが、この記事の主題は中核市ではなく、いわゆる「保健所政令市」である。市独自の保健所の設置のみを目的とするなら保健所政令市で十分という発想はありうるのだ。もちろん、中核市には保健所以外の権限もあるし、自治体としても「箔が付く」ので、中核市移行は決して否定されるものではない。私も、保健所政令市という中間解よりは、今の所沢市が目指し得る最終解である中核市移行を目指すべき、という立場である。

 記事を書いた経緯は私のふとした疑問だ。なぜ保健所政令市は、中核市ではなく保健所政令市の道を選んだのか、と。そしてそれを知ることで、今の所沢市の中核市移行をよりよく分析できるようになるかもしれない、と考えた。そこでこの記事では、2023(令和5)年5月8日時点(地域健康法施行令の最終改正日)での保健所政令市5市が保健所政令市へ移行したきっかけを調査した。各市のサイトで概要をつかみ、議論を深追いするために議会の会議録にあたっている。なお、過去には5市以外にも保健所政令市が存在していたことは承知しているが、対象を広げるとキリがなくなりそうなので、今回の調査は5市にとどめている。あわせて、各市の中核市移行に対する温度感やその移り変わりについても調べた。なお、中核市要件は地方自治法の改正により変遷しているため、記事とあわせて総務省資料も参照されたい。

保健所政令市とは

 保健所は地域保健法第5条第1項の規定により、都道府県、政令指定都市、および中核市に設置される機関であり、地域住民の健康と衛星の拠点である。そしてこれらの自治体に加えて、さらに「その他の政令で定める市」も保健所を設置する旨が定められている。このような市がいわゆる保健所政令市である。

第五条 保健所は、都道府県、地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項の指定都市、同法第二百五十二条の二十二第一項の中核市その他の政令で定める市又は特別区が、これを設置する。
 (略)

地域保健法(抄)

 ここでいう「政令」とは地域保健法施行令であり、その第1条で保健所を設置する市を定めている。全部で3号あるうちの第1号が政令指定都市、第2号が中核市である。そして第3号が、そのいずれでもないが保健所を設置する、いわゆる保健所政令市であり、具体的には小樽市、町田市、藤沢市、茅ヶ崎市、および四日市市の5市である。

第一条 地域保健法(以下「法」という。)第五条第一項の政令で定める市は、次のとおりとする。
 地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)第二百五十二条の十九第一項の指定都市
 地方自治法第二百五十二条の二十二第一項の中核市
 小樽市、町田市、藤沢市、茅ヶ崎市及び四日市市

地域保健法施行令(抄)

 ここからは5市の各市が保健所政令市へ移行したきっかけを見ていく。

保健所政令市のきっかけ

小樽市(北海道) ― 未調査だが保健所の歴史は古い

 さっそくで申し訳ないが、小樽市のきっかけは調べられていない。小樽市議会の会議録には議会が準備した検索システムがなく、また Otaru Open City小樽市議会会議録検索システムも不調のためか利用できず、詳しい調査をするには時間がかかりすぎそうだと思われたためである。

 ただ、小樽市保健所ページに掲載されている衛生小史を見たところ、小樽市の保健所の歴史は相当古いことは少なくとも分かった。第二次大戦前の1939(昭和14)年に道庁小樽保健所として業務開始し、戦後の1948(昭和23)年に道から市に移管されて小樽市保健所となった、とのことだ。保健所発祥の地と言われる所沢の農村保健館の開設が1937(昭和12)年なので、それとほぼ同時期から今日まで保健所業務が続いていることになる。

町田市(東京都) ― 都からの要請により

 町田市は2011(平成23)年4月に保健所政令市へ移行した。同年3月の広報まちだの『町田市保健所特集号』には「東京都町田保健所の業務を引き継ぎ、町田市として保健所を運営していきます」と書かれている。また、東京都のサイトにも同様の旨のページがある。

 町田市を含む多摩地区について、東京都は1997(平成9)年から2004(平成16)年にかけて保健所を再編してきた。それと並行して、2001(平成13)年ごろから都は町田市に対して町田保健所の市への移管を要請していたようだ。

 そんなふうな関連やら、もう1つは、東京都から最近新たに示されているのは、保健所の問題でありまして、保健所は30万人以上の市は受けるということに、これは保健所政令市という言い方になっておりますが、これを求められております。ただ、町田市にはそういう条件といいますか、体制がまだ整っていないということで、具体的な東京都との協議に入るにはまださまざま問題があるという回答をしている段階でありますが、地方分権の流れの中でいろんな議論がありますから、そういうことなども、時には学識経験者等の参画も得ながら十分検討を加えつつ、場合によっては必要に応じては市民のアンケートなども将来考えるということもあるだろうと思っておりますので、そういうふうに受けとめさせていただきたいと思います。

長村敏明議員の一般質問に対する寺田和雄市長の答弁(抜粋)
町田市議会会議録「平成13年3月定例会(第1回)-03月08日-03号」より)

 その後、町田市保健医療計画2007年改定において、保健所政令市移行について取り組む旨が示された。そして2011(平成23)年4月の移行に至った、ということのようだ。

◎健康課長 3月に改定の概要を報告させていただきました町田市保健医療計画2007年改定につきましてご説明させていただきます。
(略)
 19ページから20ページの「第4 重点的な取組み」には、16の施策のうち、特に積極的に推進すべきものとして子育ての支援、子どもの健康、働き盛り世代へのアプローチ、地域での子育て支援、地域や市民団体、企業、学校等と連携した健康づくり、医療機能の向上、救急医療体制の充実、これら7つの施策を取り上げ、保健所政令市移行についても具体的に取り組む事項としております。

町田市保健医療計画2007年改定について健康課長の報告
町田市議会会議録「平成19年保健福祉常任委員会(9月)-09月14日-01号」より)

 こういった保健所政令市への移行と並行して、かつての町田市は中核市移行にも積極的な姿勢を示していた。中核市の面積要件が廃止される動向(2006(平成18)年改正で成立)を踏まえて市は「いよいよ検討に入っていいのではないかという気持ちであります」と答弁している。

 つい最近、国がこの辺について少しく要件を緩和して、30万以上の市であれば、面積要件を外すというふうな動きが出てきております。そうしますと、今まで随分有力な市がどんどん中核市に移行しておりましたけれども、面積要件のところで足かせがあったところは、我が町田市を初めとして藤沢市、枚方市、豊中市、吹田市、尼崎市、西宮市、それから那覇市ですね。これらの市が中核市に移行できる、こういう状況になってきているわけであります。
 こういうふうに国の方の方針も大分変わってきておりますので、この際、私は、金銭の問題は別にしまして、この移行の問題について内部的にも、あるいは東京都等も含めて、保健所の問題もありますので、いよいよ検討に入っていいのではないかという気持ちであります。

吉田つとむ議員の一般質問に対する寺田和雄市長の答弁(抜粋)
町田市議会会議録「平成17年9月定例会(第3回)-09月15日-05号」より)

 しかし保健所政令市に移行した後の2012(平成24)年時点では中核市移行に消極的な姿勢に転換したようで、市は「現時点では中核市への移行ということは考えておりません」と答弁している。転換の理由についてはよく分からなかったが、当時の町田市は保健所業務以外にも都から様々な事務移管が検討されていて市の事務が多くなりそうだった、ということのようで、中核市移行によるさらなる移管はキャパシティ的に難しかったのかもしれない。

 まず、(1)の中核市移行への考えはあるかについてですが、町田市は2011年、昨年4月から保健所政令市となっております。このことによりまして、保健衛生に関する多くの権限は既に移譲をされております。また、現在、身体障害者手帳の交付、特別養護老人ホームの設置認可、保育所の設置認可や監督などの事務移管が検討をされております。これらの事務移管が実現をいたしますと、町田市は一般市のままで中核市に相当する多くの事務を執行するということになります。したがいまして、現時点では中核市への移行ということは考えておりません。引き続き、今、議員のご指摘のありました八王子市の状況、あるいは権限移譲の動向などを注意深く見守ってまいりたいと思います。

おさむら敏明議員の一般質問に対する石阪丈一市長の答弁(抜粋)
町田市議会会議録「平成24年6月定例会(第2回)-06月01日-02号」より)

 近年の町田市は「中核市ベンチマーキング」なる自治体間ベンチマーキングを実施しているとのこと。ただ、これは町田市の比較対象としては(政令指定都市や一般市よりは)中核市くらいが「ふさわしい」ということのようであって、町田市の中核市移行の意向とはちょっと違う話のように見えた。

藤沢市(神奈川県) ― 県からの要請により

 藤沢市は2006(平成18)年4月に保健所政令市へ移行した。市のサイトには保健所のページはあるものの、移行の経緯などがまとまったページは見つけられなかった。

 藤沢市には以前から神奈川県の保健所が所在していたところ、1995(平成7)年、既に人口30万以上だった藤沢市に保健所業務を移管するために、県から市に対して保健所政令市に移行するための検討を進めてもらいたい旨の要請があり、その後も再三にわたって要請があったとのことだ。同様の要請は相模原市に対してもあったところ、相模原市は2000(平成12)年4月に保健所政令市に移行している(その後の相模原市は中核市を経て現在は政令指定都市である)。

 次に、保健所の移管問題についてでございますが、平成6年7月に従来の保健所法にかわりまして地域保健法になりました。この法律を受けまして、同年の12月に「地域保健対策の推進に関する基本的な指針」が厚生省から告示されました。その中で、保健所の整備につきましては、「住民に身近で頻度の高い保健サービスを一元的に提供する体制を整備することが望ましいことから、人口30万人以上の市は保健所政令市への移行を検討すること。」としております。これを受けまして、平成7年1月神奈川県から藤沢市、相模原市に対しまして、保健所政令市に移行するための検討を早急に進めるよう文書で要請が寄せられております。市といたしましては、保健所移管による財政負担や、現総合計画の事業対象外であるため、「現在の総合計画の期間内では対応は困難です。」と回答してきたところでございます。その後再三にわたって、県から事務レベルにおいてこの問題に対する取り組み要請が寄せられております。一方、相模原市は、平成8年6月保健所機能検討会議を設置しまして、具体的に着手し、総合保健医療センターの整備に合わせ、本年4月から保健所の開設に至っております。平成10年には神奈川県の行政改革システム推進本部の平成12年以降の改革課題に、「藤沢市へ保健所業務を移管する方向で調整を進める」と記載されておりまして、県の具体的な行政改革課題ともなっているところであります。

井上広男議員の一般質問に対する山本捷雄市長の答弁(抜粋)
藤沢市議会会議録「平成12年9月定例会-09月21日-06号」より)

 そして藤沢市も2001(平成13)年、総合計画で保健所政令市への移行を具体的課題として計画し、検討に入った。そして2006(平成18)年4月の移行に至った、ということのようである。

 続きまして、県からの保健所移管と今後の保健行政についてお答えを申し上げます。神奈川県の打診に対しまして、今までは「現在の総合計画期間内では受け入れは困難である」と回答してまいりました。これは、現総合計画に事業として位置づけがなされていないこともあったわけでありますが、私としても少し時期尚早ではないかという思いがしていたところであります。しかしながら、今回、新総合計画2020の基本計画策定に当たって、保健所政令市移行を具体的課題として計画し、検討に入るわけであります。これは、「身近な保健・福祉サービスは市町村から一元的に提供されることが望ましい」、あるいは「人口30万人以上の市は保健所政令市の移行を検討すること」とする厚生省の地域保健法に基づく「地域保健対策の推進に関する基本的な指針」による考え方と、地方分権による権限移譲の時代的な要請を踏まえて判断したものであります。

高松みどり議員の代表質問に対する山本捷雄市長の答弁(抜粋)
藤沢市議会会議録「平成13年2月定例会-03月06日-04号」より)

 藤沢市の面積は70km^2弱。検討に入った2001(平成13)年当時の中核市要件は人口30万かつ面積100km^2以上であり、藤沢市は面積要件を満たしていなかったために中核市移行という選択肢はなかったものと伺える。

 ちなみに、保健所政令市に関する話題の中で、藤沢市が「中核市業務の7割は保健所業務と言われておりまして」と答弁している点は興味深い。中核市移行において保健所が注目されたり、中核市とまではいかない保健所政令市移行であっても議論がホットになったりするのは、まさに保健所業務の大きさ(強い権能、重い責務、必要な経費)が理由なのだろう。

 次に、政令市移行のメリットでございますが、中核市業務の7割は保健所業務と言われておりまして、新たに広範な公衆衛生行政を担うことによる自治権の拡大と施策の多機能な展開を期待することができます。また住民に身近な基礎自治体として、今以上に市民の生涯にわたる保健・医療・福祉の充実とその責任と主体性により快適な生活環境を確保できると考えております。また、市民に対しましても福祉と保健・医療にまたがる市民ニーズに対し、より一元的で質の高いサービスの提供と、より専門性が高いサービスを展開することができるようになると考えております。

国松誠議員の代表質問に対する窪島高大助役の答弁
藤沢市議会会議録「平成13年2月定例会-03月07日-05号」より)

 その中核市移行については、2006(平成18)年に中核市の面積要件が廃止されて以降、会議録を調べた限りでは市の積極的な動きは見えなかった。

茅ヶ崎市(神奈川県) — 市役所の近くに保健所を留めたかった

 茅ヶ崎市は2017(平成29)年4月に保健所政令市へ移行した。同市サイトには移行前の情報が残っている。

 茅ヶ崎市の事例では市役所など市政の中心地と保健所の物理的な距離を離したくなかったことが伺える。市内にはもともと神奈川県の茅ヶ崎保健福祉事務所(保健所と福祉事務所を統合した機関)が所在しており、市役所と同じ丁目にあって距離が近かったようだ(Google マップによれば約550m)。しかし2013(平成25)年2月に保健福祉事務所の移転の方向性が示され、同市内にある県衛生研究所内に移ることになった。この移転で市役所から衛生研究所まで距離ができる(約2.2km)と「地域保健行政との連携にも少なからず影響が生じることが考えられ」たことから、「さまざまな保健サービスの提供や公衆衛生業務の推進を主体的に身近な地域で実施できるようにするため」、保健所政令市へ移行して市役所の近くに市の保健所を留め置くことになった、ということのようだ。現在の茅ヶ崎市保健所はかつての保健福祉事務所と同じ「茅ヶ崎一丁目8-7」に所在する。

 平成25年2月、神奈川県緊急財政対策の取り組み状況の中で、神奈川県茅ヶ崎保健福祉事務所を、下町屋にあります神奈川県衛生研究所内に移転する方向性が示されました。茅ヶ崎保健福祉事務所が移転されますと、市民の皆様に御不便をおかけすることになるとともに、市役所周辺の行政拠点地区から離れることとなり、本市の地域保健行政との連携にも少なからず影響が生じることが考えられます。人口要件につきましては、平成25年4月に厚生労働省へ事務レベルで相談に伺ったところ、人口30万人以上とされているのは実効的な基準であり、実質的な基準ではない、地域の自主性と自立性を高める視点から人口要件は必須の要件ではないとの見解が示されました。以上の事項を総合的に検討いたしまして、本市がさまざまな保健サービスの提供や公衆衛生業務の推進を主体的に身近な地域で実施できるようにするため、平成29年4月に保健所政令市への移行を目指すことを表明いたしたものでございます。今後、保健所政令市への移行に向けた準備、検討及び神奈川県との協議をしっかり行ってまいりたいと考えております。

松島幹子議員の一般質問に対する服部信明市長の答弁(抜粋)
茅ヶ崎市議会会議録「平成25年12月第4回定例会-11月27日-01号」より)

◆岸高明 議員 5ページの将来構想にかかわることで、現状の保健所の建物が老朽化しているため、将来的には新しい施設が必要とのくだりがある。市の保健センターが遠いという理由の中に、例えば、新国道が本来開通していれば、新国道のトンネルの前と出たあたりで、直線距離、移動距離では相当近いはずであるが、開通がされないがために遠く感じている部分もある。例えば、県の今の保健所が近いかというと、直線距離では近く見えるが、そこには電源開発株式会社があってあの中を通り抜けることはできないため、実際にはイオンを回りながら外側を回っていくことになる。決して見たほど近くはない。将来的にこどもセンターも遠いから統合したいという話になると、この話を見ると、最後に適地と言っているのは、相当限られた公共施設の庁内のところに持ってくるととれるが、そういう解釈でよいのか。
◎保健所準備担当課長 現時点で保健所施設新設の場所については、市役所周辺の行政拠点地区内と考えている。茅ヶ崎保健福祉事務所から離れた場所にはならないようにと考えている。

茅ヶ崎市保健所政令市移行基本計画(骨子案)についての質疑(抜粋)
茅ヶ崎市議会会議録「平成26年4月全員協議会-04月16日-01号」より)

 茅ヶ崎市の統計を見ると、保健所政令市移行を表明した2013(平成25)年時点での人口は24万弱。当時の中核市要件は人口30万以上だったことから、人口要件を満たしていなかったため中核市移行の選択肢はなかったものと思われる。なお、保健所政令市についても同様の人口基準があったようだが、厚生労働省の通知には「人口が30万人未満の市であっても、保健所政令市となっている場合があることを申し添える」と書かれており、あくまで基準であって必須の要件ではなかったことが伺える。

 しかしその後、2014(平成26)年に中核市の人口要件が緩和されてからは、茅ヶ崎市は中核市移行の調査を進めるなど積極的な姿勢を見せていた。ちなみに、関連する話題の中で、当時の服部市長が「中核市事務のうち約6割は保健所関連事務となっております」と答弁している点は興味深い。藤沢市と数字はわずかに異なるものの、おおまかな割合としては3分の2が保健所関連の業務といったところか。

 平成26年5月に地方自治法の一部改正が行われ、本年4月より特例市制度が廃止されるとともに、中核市の指定要件が緩和されました。これにより、本市も中核市に移行し、処理事務の範囲を拡大することで、よりみずからの判断と責任で地域の実情に合った効率的かつ効果的な行政運営を行うことが可能となりました。このような状況を踏まえ、中核市への移行の可能性について検討すべく、平成26年度に神奈川県に対し中核市移譲事務に関する事務に要する経費や年間の処理件数、処理時間等の調査を行いました。この調査結果を踏まえ、庁内関係課かいとヒアリングを行うとともに、市議会各会派等との意見交換、市民の皆様を対象とした中核市制度に関する説明、意見交換会等を実施してまいりました。これらの意見交換会では、中核市への移行について、真の自立を目指すのであれば中核市に移行し、さまざまな権限を受け、都市間競争に勝つための体制づくりが必要、市民にとって一番身近な市が国や県から積極的に権限移譲を受けて、事務の効率化や血の通った行政サービスの提供を目指してほしいといった中核市への移行を推進する意見をいただく一方で、必要となる人材や財源をきちっと精査する必要がある、住民サービスの向上につなげるためには職員のスキルアップが必要といった移行に当たっての課題についても御意見をいただいたところでございます。
 また、検討状況といたしましては、中核市事務のうち約6割は保健所関連事務となっておりますが、保健所の設置につきましては本市は既に平成26年10月に茅ヶ崎市保健所政令市移行基本計画を策定し、平成29年4月の保健所政令市への移行に向けて準備を進めているところでございます。他の施行時特例市にあっては、保健所の設置も含めて中核市への移行を検討しているところが多い中、既に本市では保健所の設置について検討を行っていたことからも、他市より中核市移行への検討が先行しているものと認識をしております。なお、全国の特例市に対し、ことし3月に中核市への移行に関するアンケート調査をしたところ、39市中、7市が移行を公表している、12市が移行に向けて検討していると回答しており、約半数の市が中核市への移行に向けて準備を進めている状況であります。
 このような中、現在、本市では、これまでの検討結果を踏まえ、中核市への移行に関する基本的な考え方をまとめているところでございます。今後、素案としてまとまり次第、パブリックコメント等を実施し、市民の皆様や市議会議員の皆様の御意見をいただきながら、市として中核市への移行に関する基本的な考え方を策定してまいりたいと考えております。なお、今後の手続といたしましては、中核市への移行に関する考え方の策定後、本考え方に基づき、移行に向けた詳細な内容をまとめた基本計画を策定いたします。その後、基本計画の内容に基づき、神奈川県及び国との協議、調整を経て、最終的に中核市指定の申し出に関する議案として市議会に提出することを考えており、これらの過程の中で、継続的に市民の皆様や市議会議員の皆様との議論を進めてまいりたいというふうに思います。

花田慎議員の一般質問に対する服部信明市長の答弁(抜粋)
茅ヶ崎市議会会議録「平成27年6月第2回定例会-06月12日-02号」より)

 だが2018(平成30)年10月に服部市長が急逝し、新たな市長になって以降は、茅ヶ崎市の中核市移行の話題はトーンダウンしたように見える。2022(令和4)年12月時点での市の答弁は「慎重に検討してまいります」と、それほど前向きには見えない言葉である。

四日市市(三重県) ― 処分場問題が解決されなかった

 四日市市は2008(平成20)年4月に保健所政令市へ移行した。市サイトには当時の市広報が残っているとともに、「中核市移行について」というページも存在する。四日市市は中核市移行を意識的に目指していたものの、実際には暫定解として保健所政令市に移行した市なのだ。市広報の説明には「中核市移行を目指すという本来の目標は変わりませんが、中核市移行へのステップとして、まず『保健所政令市』へ移行する」と書かれている。

 四日市市は2005(平成17)年2月、いわゆる平成の大合併により、隣接していた楠町を編入した。これにより当時の中核市要件を満たし、2007(平成19)年4月の中核市移行を目指していた。しかし当時の四日市市は大矢知地区をはじめとした三重県の産業廃棄物処分場の問題も抱えており、特に同地区は2004年6月から2005年6月にかけての県調査によって大規模な不法投棄が明らかになった。そして中核市に移行すれば産業廃棄物に関する事務も県から移譲される(総務省サイト「中核市・施行時特例市」ページも参照)。やっかいな処分場問題は中核市移行前に県の方で解決してほしいと言わんばかりに、市は「移管を受ける前には解決されるよう、この点、県に対し強く要請をいたしてまいりたい」との考えを示した。

 最後に、中核市となった場合に、本市に産廃に関する権限が移管されるわけですが、その前に三重県に対し解決させるようにすべきではないかというご指摘をいただきました。同じような考えでございまして、中核市となった場合につきましては、保健所設置と同時に、産業廃棄物に関する事務は市に移管されてまいることになります。しかしながら、議員のご意見にもございましたように、本件につきまして、もし現状のまま移管を受けるということになりますと、解決が困難な事務となることも危惧されるところでございます。移管を受ける前には解決されるよう、この点、県に対し強く要請をいたしてまいりたいと考えております。

三平一良議員の一般質問に対する庭田勝弘環境部長の答弁(抜粋)
四日市市議会会議録「平成16年3月定例会(第6日)本文 2004-03-04」より)

 しかしその後も処分場問題は解決されないまま時は流れ、四日市市は中核市移行を断念。代わりに保健所政令市へ移行する計画を示した。そして実際の移行に至った、ということのようである。

 平成19年4月中核市移行を目指して、18年度に18名の職員を県に派遣し、しかし今、大矢知の産廃問題やらフェロシルト問題の決着がつかずに中核市移行を19年度は断念と、4月7日に井上市長が表明をいたしました。また最近では、20年度移行も困難との判断で、11月20日知事との話し合いの結果、保健所政令市に向けて20年度移行の計画が22日の議員説明会で示されました。(略)

藤岡アンリ議員の一般質問(抜粋)
四日市市議会会議録「平成18年12月定例会(第6日)本文 2006-12-12」より)

 その後はどうなったのかというと、2023(令和5年)2月、四日市市は当面の間は中核市移行の時期を見送る旨を示した。なお、往時の処分場問題については、四日市市が中核市に移行した後も、県が本来果たすべき責任は県が果たす旨の確認を、2006(平成18)年の時点で交わしていたとのことである。

 持続可能性を重視するという観点からは、東海エリアにおける西の中枢都市として地域を牽引するため、本市は都市機能の集積と高次化を図っています。市域という枠組みにこだわらず、周辺市町とも連携、協力しながら、本市の関係人口や交流人口を増やすことにより、元気都市四日市としての存在感をさらに高めてまいります。また、中心市街地再開発プロジェクト、ふるさと納税への対策など推進するべき重点的な取り組みが多い中において、当面の間は、中核市移行の時期を見送ってまいります。

令和5年2月  市長所信表明(抜粋)

 このような状況において、本市が中核市に移行し産業廃棄物に関する権限が移譲された場合、これらの産業廃棄物不適正処理事案等への対策に関して、平成18年に法律に基づき三重県が本来果たすべき責任を、四日市市が中核市に移行した後においても引き続き果たすことといった内容の確認を本市と三重県の間で交わしました。

三木隆議員の一般質問に対する森智広市長の答弁(抜粋)
四日市市議会会議録「令和5年2月定例月議会(第3日)本文 2023-02-21」より)

所感

 町田市や藤沢市の事例を見ると、市の自発性ではなく都や県からの要請をきっかけに保健所政令市に移行したというのは、どうしても後ろ向きに見えてしまった。一方で茅ヶ崎市の事例を見ると、地域保健行政の転機をきっかけに保健所政令市に移行したことは、課題意識の高い主体的かつ積極的な事例として高く評価されるべきことのように思えた。

 藤沢市や茅ヶ崎市の事例で紹介したように、中核市業務の3分の2は保健所業務と言われているようだ。中核市移行において保健所が注目されることに改めて納得しつつ、保健所政令市移行だとしてもかなりの大事(おおごと)であることが分かった。

 四日市市の事例は今回調査したものの中で最も示唆に富むものだろう。中核市移行に積極的であっても、移管される業務が重すぎれば移行を断念せざるを得ない。保健所業務が注目されがちだが、他に移管される業務も総点検することが中核市移行を検討する上でのポイントのように思えた。

 小樽市の事例を詳しく調べられなかったのは残念だったが、その保健所の歴史が所沢の農村保健館と同じくらい古いというのは思わぬ勉強になった。また、その頃から現在まで80年以上脈々と保健所業務を継続していることは率直に言ってスゴイことだ。遠く離れた市でありながら親近感を、そして敬意を覚えた。