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甘野菜農園、開園。甘野菜とは?知ってもらうためにまず自己紹介!

【読み終わるまでの時間: 04:00】
はじめまして。甘野菜(あまやさい)と申します。本日ここに「甘野菜農園」を開園しました!甘野菜の活動についてや、日々思ったことなどをマイペースに発信していこうと思います。

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甘野菜?なにそれ

って、いやいや、いきなり甘野菜農園といわれても、甘野菜ってだれやねん?と思った方もいらっしゃるでしょう。そうですよね、それが普通の反応だと思います。ネット上で作品を発表しててうんぬんって、見方によってはちょっと怪しいですよね。ということでまずはぼくの身の上話から語ることにますか。

それでは自己紹介、いってみよう!

きっかけは村上春樹?「ひとりバンド」。それが、甘野菜のスタイル

村上春樹『風の歌を聴け』
引用元: 講談社BOOK倶楽部

甘野菜は、ひとことでいえば「ひとりで活動しているシンガーソングライター」です。趣味の延長でバンドとか弾き語りのようなジャンルの音楽を作り続けている、ごく普通の青年のうちのひとりですね。

ぼくが「音楽」というものの存在を知ったのは、中学時代に村上春樹の小説の中で読んだビーチ・ボーイズの歌詞でした。その歌の詩に異様なまでの興味をそそられたぼくは、CDショップでBの行から「The Beach Boys」のベスト盤を見つけ出し、お小遣いをはたいて買ったのです。今思えば、CDラジオのスピーカーから流れるビーチ・ボーイズの音楽は、音楽配信全盛期が始まる前の最後の残り香だったのだなあと振り返ります。

もうすぐ高校進学という頃になると、中学時代にやっていた剣道を辞めて、高校では軽音楽部に入ってバンドを組んでやるという思いが揺るぎないものになりました。CDショップに通うようになったぼくは、B行のビーチ・ボーイズの隣にあったビートルズの存在に気がつき、同時に本屋では「ノルウェイの森」の鮮やかな補色を手に取りました。そしていつしかぼくは自転車のブレーキレバーをベースの弦に見立て、フィンガー・ピッキングで弾くポールの真似をしながら「プリーズ・プリーズ・ミー」を口ずさむ思春期の少年に変わっていったのです。

早く高校でバンドをしたい!そう思いながら、悩ましい中学時代を通り越してゆきました。

高校入学、入部、運命のバンド作結成とテキトーな甘野菜の由来。

「軽音楽部がある高校」を密かに進路選びの基準にしていたぼくは、県立高校に入学して早々、一目散に軽音楽部入部を志願しました。軽音楽部の入部式では、早速バンドを組む時間になりました。ぼくはビートルズが好きだと自己紹介しましたが、果たして仲間は集まるのでしょうか?

前の席にいた生徒が、こちらを振り返ってこう言います「きみビートルズが好きなんだって?」そして後ろにいた生徒もこっちでしている「洋楽」の話を興味深そうに聞いています。そこにもうあと2人が加わり、5人編成のバンドが出来上がりました。

ぼくたちはその日はとりあえずメアドを交換して帰宅します。その夜、バンド名はどうする?という話になり、あれやこれや考えているうちに、最初にぼくに話しかけてきた子が、あるバンド名を提案しました。全員の苗字の頭文字とって色々並べ変えてたら「あまやさい」になったからこれでどう?と。

いいな、となぜかみんなが賛成し、もう1人の洋楽好きが、ローマ字やカタカナをバンド名に使うのはダサいという謎の提案をした結果「甘野菜」というバンド名が出来上がりました。以後ぼくたちは甘野菜として卒業まで活動していくことになります。

あのころは、スマホこそありましたがLINEは無く、これらのやりとりはメールの一斉送信でやっていました。今考えると古風なセピア色の1シーンのように思えてしまいます。かくあれ、これがバンド「甘野菜」誕生の瞬間でした。


嫌われてシラけても!好きな洋楽を突き通した異彩バンド「甘野菜」

ぼくが高校に入学した頃、世の軽音楽部界隈はあの京アニ制作の伝説的アニメ「けいおん!」ブームの余波がまだ色濃く残っていた時代でした。ギターショップにはジェットブルーのムスタングや緋色のレスポールなどがたくさん並んでいたのを覚えています。ギター担当になったぼくはそれでも「ジョンだ」と喜び、街のギターショップで新品ピカピカなギターを手に入れたのでした。

選んだのはエピフォン・カジノ。ビートルズのジョン、ジョージ、ポールの3人が使用した、これまた伝説的なギターです。円高だった当時は新品でも6万円程度で手に入り、リッケンバッカーやギブソンは到底手が届かない高校生のファーストギターとしては、手に入れられる最高のブランドでした。

そうして機材を手に入れた甘野菜はバンドとしてステージに立っていきます。しかし、甘野菜には他のバンドと決定的に違う「ハンデ」がありました。それは、「洋楽」を専門にやっていくバンドだったということです。

軽音楽部でライブハウスを貸し切って主催するライブは、客のほとんどが同じ高校の生徒たちでした。当然出演バンドは同い年が好みそうで、盛り上がりそうなセットリストを用意してきます。しかし「甘野菜」は頑固なまでに「洋楽」を貫き、そのせいでかなり煙たがられることとなります。

おまけに甘野菜は、ぼくがバンドのテーマソングとして作った「素敵な甘野菜」というオリジナルの曲も演奏していたので、「ノれない、知らない、(歌詞の言葉が)わからない」のシラけの3本槍が、ライブのたびにぼくらをグサグサと突き刺しました。

誰も見向きもしない中でも甘野菜は自分たちの美学を貫いていきました。最後の方には、シラけさせることで他の大部分がやっている決まり切ったルールのようなものに抵抗しているような感覚を楽しんでいたと思います。

卒業ライブでは、受験などの理由でメンバーは3人になり、ぼくはベースボーカルとしてポールのフリをしていました。その時のライブの冒頭で演奏したのは、ビートルズの「ゲット・バック」。「Get Back!(帰れ!)」という歌詞に、最大級のジョークと愛を込めて演奏しきりました。

甘野菜、1人になる。

ぼくは甘野菜の中でも高校時代から演奏用の曲作りに専念していました。ぼくはビートルズが音楽を作るバンドであったことのように、軽音楽部でも曲を作ることが当然だと思っていたのです。しかし実際には、周りのバンドにはコピーばかりで、曲作りをする人はいませんでした。

甘野菜でも、バンドで演奏できたのは「素敵な甘野菜」のみで、ぼくが作った他の曲はライブでは発表する機会が得られませんでした。そこでぼくが思いついたのが、アルバムして配ることでした。iPhone4sのガレージバンドで作った音源をCDに焼いて配る。これはかなり納得のいくやり方に思えました。

高校卒業近くになって、ぼくはこれを卒業アルバムとして配布しました。その時のアルバムは4曲構成。この小さな出来事が、現在のひとり甘野菜を生み出したのです。

そして今、ひとり甘野菜は動き出す。

大学卒業時も、高校の頃と同じように卒業アルバムを制作しました。10曲構成のそのアルバム「Lovely Litter」はMUSICLINE MUSICで聞くことができます。個人的なアルバムですが、よければ検索して聴いてみてください。

自分の曲が店にある
自己満足かもしれないけど、やっぱり嬉しいことだよね。

こうやって、作品名を言うだけでアルバムを広めることができる時代です。CDを配っていたあの頃と比べて、世の中は圧倒的に便利になったと感じさせられます。世の中はどこまでいくのでしょうか?

甘野菜としてのぼくの創造性はどこまで行くことができるのでしょうか?これからも探求していきます。そのために、ぼくを応援してくださいね。

ここまで読んでくれてありがとうございます。フォローやスキ・コメント・シェアなど、ぜひぜひよろしくお願いします!それではまた次回の投稿やツイッター@sweet_vegeでお会いしましょう!またね!!

アルバム「Lovely Litter」

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