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普通の話。

書きたいことは山ほどあるんですが、バタバタしていたので久しぶりになってしまいました。

私はあまり、というか全く流行に乗るタイプではないんですが、3月に公開される実写映画の原作に友だちが関わっているので久しぶりに映画を観に行こうかと彼氏と話していました。

原作は漫画で、まぁ映画になる程ですからすごいことなんですけど「すごい」って言葉は心の壁を作ってしまう気がして私はあんまり好きじゃないんです。私もすごいと思ったらすごいって言うし、ただ、どんなすごい人も淡々と自分の目の前にあることに向き合って、着実に進んでいった結果が「すごい」と言われるものになった訳ですが、そしてそれは確かに素晴らしいことなんですが、どんな人だって自分と同じように心があって、喜んだり楽しんだり苦しんだり傷付いたりしながら進んでいるので、超人みたいに接するのは人と人との付き合いを阻害しかねないというか、なんかそういう風に考えてしまうんですよね。

例えば人気のあるものには人気のある理由が必ずあると思うんですが、根底には、どんな人にも心があって、その心を動かされるというところにあると思うんです。わかりづらいかもしれませんが、何百万個売れました、と数字にしてしまうとあまり感じられないけれど、その対象が一人に一個行き渡るものと仮定した時に、何百万人の心が動いているということですよね。それが見えなくなりがちなんですけど、忘れたらいけない部分だと私はいつも思うのです。私は数字に強くないので、あまり統計的な話はできないのですが、売れるものって間違いなく今の世の中に必要とされているものですから、好きなことで食べていきたかったら人に必要とされるものを生み出すスキルが必要ということですね。

先日、友人の結婚式に行ってきたんですけど、私の周りって好きなことを仕事にしてる人しかいないんです。でも、結婚式となると普段自分と深く関わっているような人種の人ばかりではないから、当然話題もいつも私が耳にしているような離しとは全く違うことを話しているんですよね。普段は馴染んでしまっているから忘れてるんですが「うわっ!こんなに違うんだ!」と、ちょっとビックリしました。悪い意味ではないです。私は自分の好きな世界でしか生きられなかった人間なので、そしてそれって結構大変なことだと思うので、ちょっとカルチャーショックみたいになったんですよね。

私は自分のことをものすごく普通の人間だと思って生きているし、何の取り柄もないなぁと落ち込むこともあるんですが、本当に「普通」というか、何かに特化していないバランスの取れた人というのはこういう人なのかと思い、私って全く普通の枠に収まれていなかったのだなぁ…なんてことを考えてしまいました。世の中には「普通」という言葉にあまり良いイメージを持っていない方もいるみたいですが、私は普通って一番難しくて、素晴らしいと考えているし、すごいと言われている人ほど実際に会ってみると「普通」と思うこともよくあって、どこに普通の定義を持ってくるかで上記の文章の意味合いやニュアンスが変わってきて難しい言葉なんですが、今回は「私ってあんまり普通じゃないのかも」と思ったというお話でした。

私の彼氏もだいぶ変わった人なんですけど、自分のことをめちゃくちゃ普通だと思っているから、何が普通とか考えるよりも自分の目の前のことや興味の向くことに意識を向けていればいいのかもしれませんね。そしたら、周りが頼まなくても勝手に評価したり定義付けしたりしていって、気付いたらそれが自分になっている。そんなものですよね。

まず、好きなことを仕事にしているかそうでないかでかなり生活も考え方も変わるし、子どもがいるかいないかでも変わるし、自分と似た考えの人と一緒に居るのって心地良いと感じることも多いんですが、いろんな人と関わって、自分とは違う考え方を知って、それを自分が身を置いている分野で活かすことができれば最高だなぁ、と思いました。

東京へ向かう新幹線の中で久しぶりに書けました。良かったです。文章を書くのは好きなので、これからもマイペースに頑張って書いていきます。

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