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「自分がされて嫌なことは人にしない」という言葉の不完全性

今日は教育の場でよく耳にする「自分がされて嫌な事は人にしない」という言葉についてです。

私は、この言葉の考え方だけでは、他人の言動に傷つく人をゼロにはできないと考えています。

なぜなら、この言葉は、「自分と相手の感受性が全く同じである」ことが前提だからです。

この言葉の通りに動けば、自分と同じレベルの感度の人を傷つけないことはできます。
ですが、感受性のレベルは人それぞれですし、そもそも育ってきた環境も、置かれている状況も様々です。

だから、私たちは、自分が発した些細な言葉やちょっとした態度に、深く傷つく人がいるかもしれないということを念頭に入れておかなければいけません。

と言いつつ、他人の気持ちを想像することは、すごく難しい。

この「他人の気持ちを想像する力(以下、想像力)」は、ある一定のラインを超えたら、達成されるものではなく、生きていく中で常に鍛え続けなければいけない力と考えます。

じゃあどうやって想像力は鍛えられるのか

そもそも人は自らの経験や知っている情報をもとにしか想像を膨らませることができません。

なので、人の気持ちについての想像力を鍛えるには、まず「自ら傷つく経験をすること」が大切です。

自分自身が心の痛みを知らないと、人の痛みを想像するのは難しいからです。

とはいえ、体は一つなので、実経験には限界がある。

そこで「傷ついた人たちの声を”本気で”聞くこと」とも重要だと思います。

それは口頭でも聞くのでも良いし、その場所に足を運んだり、もしくは本でも映画でも良いと思います。

実経験にはかなわなくとも、人の痛みに触れ、思いを馳せ、共体験することで、
人の気持ちについての情報がたまり、想像力が増します。

前者の「自ら傷つく経験をすること」は自分の意思でコントールできませんが、
後者の「傷ついた人たちの声を”本気で”聞くこと」は自分で心がけることで取り組めることかなと思います。

念のため、お断りしておくと、私はこの言葉を否定したいわけではありません。
まずは、「自分がされて嫌な事は他人にしない」ができて、その上で、他人の気持ちを想像する力を鍛えていくことができると思います。

こんな御託を並べている私も、もちろん想像力を鍛えている途中の人間です。上記は全て自戒です。

でも、1人でも多くの人の気づきになれば嬉しいです。

では。

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