奈良時代

大宝律令が施行され、
都を平城京に遷都したことによって、
日本が世界に対して
1つの国家があることを宣言しました。
しかし、
海外に向けては侵略問題から解決した一方で、
20年経つと
内部の政治が律令にそぐわなくなってきました。
さらに大宝律令のもとで政治してきた
貴族たちの対立関係も浮上してきました。
それが、

皇室の親族 VS 藤原氏 
という構図になります。

皇族の親族代表を長屋王といい、
藤原氏の代表を
武智麻呂、房前、宇合、麻呂の
藤原四兄弟といいます。
以前は藤原四兄弟の父藤原不比等が
長屋王と藤原四兄弟まとめ上げていたのですが、
藤原不比等が亡くなると、
妹を皇后にしたい藤原四兄弟に対して、
それを阻止したい長屋王の間で対立が生じ、
思うように進まなくなってしまったようです。

業を煮やした藤原四兄弟はとうとう
長屋王を策略し自害に追い込んでしまいます。
その結果、
藤原四兄弟は妹を皇族以外で
初めて天皇の皇后にすることに成功します。
しかしその10数年後、
日本は天然病が大流行し
藤原四兄弟は全員天然痘で亡くなってしまいます。

残された天皇と皇后は困ってしまうかと思いますが、
意外と人材はそろっており
藤原氏に遠慮しない勢力を重用します。
その勢力が
橘諸兄と玄昉という反藤原勢力となります。

天皇は天然痘のあおりを受け、
平城京から何度か都を移したりして
政治の安定化を図りますが、
結局平城京に戻ります。
そして熟慮の結果、
大仏を作ることを決意します。
その天皇の名前は聖武天皇といいます。

聖武天皇は大仏を作ることによって、
世の中の情勢を良い方向にしようと祈りをこめます。
その結果、
大仏造営計画は多くの雇用を生み出すと同時に、
民衆の覇気を上げることに成功します。

またその大仏が
仏法に基づいた大仏だと認めさせるために
海外から僧侶を呼び寄せます。
その僧侶の名前を「鑑真」と呼びます。
鑑真は4度も難破しながらも
諦めず日本にやってきてくれました。
日本にやってきたときには
既に失明していたとのことです。

鑑真が来日したことによって、
晴れて大仏は開眼し現代においても
その存在は計り知れないものとなってます。
しかしその数年後、
聖武天皇、橘諸兄が相次いで亡くなると
新たな勢力が政治に登場します。

その名前が藤原仲麻呂、
藤原四兄弟の長男武智麻呂の長男になります。

藤原仲麻呂は何故表舞台に登場出来たか?
それは人臣として初めて皇后となった
聖武天皇の皇后であり、
藤原四兄弟の妹が後ろ盾となったからです。
その名を光明皇后と言います。

よって、
藤原仲麻呂は光明皇后
(仲麻呂の伯母)の後ろ盾を背景に
不比等が作成した養老律令を施行するなど、
大きな存在感を示していきました。

そんな状況に当時の天皇であり、
聖武天皇の皇女であった
孝謙天皇は士気の低下か、譲位してしまいます。
いよいよ藤原仲麻呂の時代というとき
彼は大きな決断をします。

それが新羅征伐です。
つまり侵略戦争を仕掛けるのです。

さすがに
これには孝謙上皇が黙っているわけにはいかず、
吉備真備を重用し
その計画を阻止するべく藤原仲麻呂を襲撃します。
藤原仲麻呂は打つ手なく
その襲撃に負け自害してしまいます。

平和を願うために大仏を造ったのに、
侵略戦争を仕掛けるという
状況に耐えられなかったかもしれません。
※藤原仲麻呂は途中で恵美押勝と改名してます。

新羅侵略戦争を阻止した孝謙上皇は
もう一度天皇なります。
その名を称徳天皇といいます。

しかし
称徳天皇は侵略戦争や貴族の争いなど
変わらない社会にとうとう嫌気がさしてしまいます。
そこで称徳天皇は
皇族以外に天皇を譲ったら
社会が良くなるのじゃないかと考えます。
つまり譲位を皇族以外にしようと計画をたてます。
その候補としてあがったのが、
道鏡という僧侶となります。

しかし多くの貴族が反対したことによって、
称徳天皇は目が覚めたのか
その計画を遂行せずに終わりました。

その後、
称徳天皇が亡くなるとある問題が起きました。
女帝は結婚できないので
皇子がいないということです。

そこで貴族たちは
称徳天皇の姪の旦那である白壁王(天智系)という
おじいちゃんを即位させます、
光仁天皇の誕生です。
とは言っても光仁天皇の後は
その子供が即位になる予定でしたので、
直系ではなくても
天武天皇からの血筋は維持できる一方、
光仁天皇は別の妃との間に生まれた
まぁまぁいい歳した皇子がいました。

そんな矢先、
光仁天皇の妃である、
井上内親王とその息子である皇太子が
皇籍を剥奪され謎の死を遂げます。
皇太子候補がいなくなったことで
天武天皇の血筋が途絶え、
まぁまぁいい歳した皇子が皇太子となり、
光仁天皇の死後、即位しました。

その名前を桓武天皇といいます。

時代は平安時代に向かおうとしてます。

※井上内親王の息子である皇太子=他戸親王
※まぁまぁいい歳した皇子=山部親王=桓武天皇

#歴史 #日本史 #奈良 #大仏

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