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このごろ詩や和歌が心に沁みるという話

韻文を読まなかった時代

 僕はもともと小説が好きだった。

 それも、ストーリーが明確で、ワクワクするもの。いわゆるエンターテイメント小説が、僕が文芸関係へ足を突っ込むきっかけとなった。

 読書歴はそんなに長くない。高校生のとき、不登校になってからさまざまな出会いがあって、本格的に「本を読む」という行為にのめり込んでいった。

 橋本紡、宮部みゆき、京極夏彦が多かった。赤川次郎や、図書館にあった友野詳の『ルナル・サーガ』も読んだ(TRPGという言葉をここで初めて知った)。あとは、作家や作品に詳しくなかったので、気のすむまで駅前の本屋に入り浸って陳列されている本のタイトルをゆっくりじっくり舐めまわすように見て、タイトルやあらすじに心ひかれたものを手当たり次第に読んだり、背伸びして文学にかぶれ、教科書に出てきた芥川龍之介や森鴎外の本を読んだりしていた。

 おかげで本を読むことに楽しさを感じるようになり、法学部志望だったのを文学部志望に方向転換することになった。

 けれど、詩歌、いわゆる韻文についてはさっぱり魅力を見い出せなかった。というか、よくわからなかった。僕にとって韻文の言葉は難しく、何か自分の理解できない特別なジャンルの言葉なのだと思っていた。

 この傾向は大学生のときまで引っ張り、僕は「なんか言葉で書かれている独特の世界観をもったもの」としてずっと敬遠していた。和歌(特に短歌)は、大学受験対策には欠かせないものだったので、問題に出てくれば解釈くらいはできるようにしていたが、それを自分の人生に組み込んで感動するようなことはないと思っていた。

 そのころは、散文で書かれたものの方が圧倒的に面白く感じたのだ。

 そんな僕の目を韻文方面へと開かせたのは、ある一冊の歌集だった。

現代短歌:萩原慎一郎『滑走路』と出会う

 萩原慎一郎の『歌集 滑走路』を読んだ。

 書店に平積みされていたこの歌集の、帯についているいくつかの短歌を読んだ時、僕は衝撃を受けた。

 今まで読んだどんな短歌とも違う。こんなに素朴で、率直で、他者への激励と哀しみに満ちた短歌があるのか。僕はすぐにこの歌集をレジに持って行った。

 この歌集の特徴は、労働を詠ったところにある。非正規労働者の悲哀と、生活や創作に対する希望が詠み込まれていた。ちょうど、仕事でしわ寄せがくる部分でボロボロになっていた僕の乾いた心に、ぐんぐん染み渡っていくような、哀しく、美しく、力強い短歌だった。

非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

 いったいどうやったらこんな短歌が詠めるのか。いったいどんな人なんだ。もっとこの人が作った歌を読んでみたいと思った。けれども、それはかなわない希望だった。

 この歌集の作者は、もうすでに亡くなっていたのだ。

言葉が心に沁みてくる

 萩原慎一郎が亡くなったいきさつは、あまりにも悲しかった。僕はここで、彼の死について語る言葉を持たない。歌集を読んでくれ、としか僕には言えない。

 この歌集で、短歌というものに興味が向いてから、それまでよりも短歌というものを自分の人生に照らして楽しめるようになった。三十一文字の中に、言葉選びや区切れの戦略があることが感じられて、読んでいて面白くなった。そんな言葉のつなげ方があるのか!と、歌人の創意工夫や想いに感動できるようになっていた。

 我が郷土の歌人、若山牧水の代表作で、授業でも習ったのにさっぱり良さがわからなかったはずの「白鳥や哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」も、そこに漂う孤独感や寂寥感を感じ取ることができるようになっていた。

 詩では、茨木のり子との出会いが大きかった。

「自分の感受性くらい」と厳しく読者を叱咤する茨木のり子に「汲む」という優しい詩があることを知ることができた。この詩が、僕の生き方を支えてくれることが何回もあった。

 30歳を前にして急に、韻文の言葉が心に沁みてくるなあ、と感じる。

 昔なら、たぶん見向きもしなかったはずだ。詩歌の言葉が僕の上を上滑りしていって、僕の心には何も起こらなかったと思う。じゃあなぜ、それまで受け取れなかった詩歌の言葉を、僕は受け容れられるようになっていたのだろうか。

心に寄り添う優しい言葉たち

 思うに、人には言葉を受容できる最適なタイミングというものがあるのだ。

 生活のなかで、自分の心が変形してしまって、今までの自分ではいられなくなったちょうどそのときに、足りない部分を埋めるように、そして過剰に出すぎた部分を優しく包むように、詩の言葉は僕たちの心に寄り添ってくれるのだろう。そんな心の変形を早く迎える人もいれば、僕のようにアラサーになってから実感する人もいる。

 そう考えると、僕は運が良かった。しんどい仕事だが、言葉に触れ続ける機会が、僕を詩歌のところまで連れて来てくれたのかもしれない。

 今日書いたこの記事のTOP画像は、一昨日買った池澤夏樹、穂村弘、小澤實編『近現代詩歌』だ。近現代を代表するたくさんの韻文が、鑑賞文とともに収録されている。

 この本をゆっくりと紐解いていくことが、今から楽しみでたまらない。

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