【思うこと】それぞれの環境にそれぞれの悩み
生活していると、何もできない日とか、何も動けない日というものが存在する。私の場合、ばからしいとは思うのだけど、過去のいやな思い出を思い出したのを掘り返して沈むパターンが多い。
楽しい記憶は幸せな思い出としてみんな形に残そうとするものだが、つらい記憶は残したくなくても残る呪縛だ。今はもう解決したもの、距離を置いたものなどさまざまあるが、ふとした時に当時のつらさやくるしさが込み上げてきて何時間も布団から動けなくなり、潰れてしまいそうになる。
(恋人にこの話をしたらうつじゃないかって言われた。そうかもしれない)
こういう時、今の暮らしがつらいと言う人に、貧困に苦しむ貧しい国の人々と比べたらよっぽど幸せだなんてことを言う人のことをよく思い出す。思い出す度に、それはきっとお門違いだ、と心の中で否定する。
つらい気持ちを抱えている人と別の誰かの苦しみを比べるのは、大変失礼なことではないだろうか。つらい気持ちをまっすぐ伝えてくれた相手の、「つらい」という気持ちを蔑ろにしている気がする。
まずは、「つらい」という気持ちを受け止めてあげるのが優しさだ、と自分の中で決めている。今よく話題になっているいじめ問題も、「当事者がいじめだと感じたらいじめだ」っとよく言っているのと同じで、つらいと思ったらつらいのだ。そんな時に、普段のあたりまえの生活に感謝しようだとか、甘ったれるなだとか、そういう意見は考える方向が違うからまた別の話だし、すなおに人を思いやれない人なんだなぁと思う。言わないけどね。
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