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人は転んでわかりあう

読んで欲しい
https://setsuyaku.hikakunet.jp/2363/
お金と仕事ネタでハルオサンとタッグの人生相談書きました。

是非読んでいただけると嬉しいです。


 僕はご存知の通り人生何も上手くいかなかったので、初めての就職は1年もたず敗走したし、起業は昇った角度で落ちる大失敗で破滅したのだけれど。アップダウンのある人生を生きていると「かつて転んだ時に見上げた相手」というのが出て来ることになる。ああ、畜生あんな風になりたかった…と思った相手だったり、あるいは窮状にある僕のことを嘲笑った奴だったりする。

 ただ、人生というものはわりと一筋縄ではいかないところがあり、かつて僕を嗤った人が転げ落ちるということもままある。最近、経営者時代にとても良くしていただいた人と会食していたら「そういう人」がやってきた。

「悔しいけど、私もやっちゃいましたよ」

「え、潰したんですか?」

 要するに、「仲直り」を企図して同じく会社を潰した二人を引き合わせようという魂胆だったのだけれど、それで我々はしっかり仲直りしてしまったんだからざまあない。経営者時代の犬猿の仲は、「お互いに会社を潰してしまった」という同族意識の前に消えてしまった。要するに、我々は二人とも解像度の高い愚痴が言いたかったんだと思う。

 金の持ち逃げ、幹部の裏切り、従業員というやるせない存在、そういう話を一通りした後、また今度呑みましょうと言って別れたけれど、同じ経験をしているということは大事なことだなぁと改めて思った。

 なんで仲たがいをしたのか今となっては思い出せないけど、彼と僕は根本的なところが違ったと思う。端的に彼は自信に満ち溢れていて、僕は卑屈だった。彼は成功していて、僕は成功しなかった。彼のこれみよがしに女性を連れ歩くスタイルが好みじゃなかったし、多分彼は僕のいでたちをみすぼらしいと思っていたんだろう。

「今は作家をやっているそうで」

「いえ、お恥ずかしい限りですがインターネット芸人ですよ」

「あなたに障害があったとは気づかなかった」

「読んでるのかよ」

こんな話でゲラゲラ笑って帰ってきたのだけれど、人が仲良くなるというのは不思議なことだなと改めて思った。きっと会社を潰した者同士は、好む好まざるにかかわらず仲良くなってしまうんだろう。人は、体験をシェアしたくて生きているようなものだから。「わかってもらえる」という幸福は、個人的な仲たがいを軽々と越えてしまうということがよくわかった。

 逆に言えば、体験の共有がなければ永遠に分かり合えない人というのも存在するのだと思う。それはそれできっと仕方がない。人は多分、思ったより強固に「あなたたちは分かり合えません」という状態にあるんだと思う。どうやってもだめなときは、だめだ。

ただ、人が年を経ていろんな体験をして、少しずつ分かり合うための共有通貨が増えていくことはちょっとだけ希望だな、と思う。いつか、十分に僕たちは成長して、あるいは老化して、けっこうわかりあうことが出来るのかもしれない。これは発達障害を抱えて生きる上で大事な信念なのだけれど、我々はまだまだ発達する。

「会社潰した奴らはな、みんな友達になれるんだよ」

というのは僕ら二人の「仲直り」を企んだ方のお話で、まさしくその通りであったというお話でした。冒頭のハリセンボンは沖縄旅行で釣った唯一の魚です。煮て食べたら美味しかった。


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