賢愚経巻十二 師質子摩頭羅世質品第四十七

 このように聞いた。
 仏が舎衛国の祇樹給孤独園にいたとき、国に一人のバラモンがいた。名は師質と言い、家は大いに富んでいた。子息はなく、六師(仏教以外の教えの師)をたずねてその因縁をたずねた。
 六師は答えて言った。「そなたは無児の相だ」
 師質は家に帰り、垢だらけの衣で憂鬱に沈んですごした。そして思った。 〈子がなければ、命を迎えたら家と財物は全て国王のものだ〉
 そう思うとますます憂い悩んだ。
 バラモンの妻は一人の比丘尼と知り合い、比丘尼が家を訪れた。
 見れば、主人が燋悴している。どうして主人が憔悴しているのかをたずねると、バラモンの妻は 経緯を話した。
比丘尼「六師の徒は一切智ではありません。人の業行因縁はわからないのです。如来が世にあって、諸法と過去・未来に通じ、わからないことはありません。たずねてみたら、必ず満足のいく知恵が得られるでしょう」
 比丘尼が去ると、夫人は夫に仏をたずねてみてはとすすめた。主人は心が晴れ、新しい衣に着替えて仏の所に行った。
 仏の足にひれ伏してぬかづき、子が生れるか否かを占ってほしいと言った。
 世尊は告げた。「そなたの子は福徳あって、成長すれば出家をして大楽を得るだろう」
 バラモンはこれを聞いて大喜びして言った。「子が生れたら道を学ばせること、苦とはしません」
 そして、仏と比丘僧を招いて翌日に食をふるまうと言った。世尊は黙ってこれを許した。
 翌日、時が来て仏と僧たちはバラモンの家をおとずれた。みな定位置に坐り、バラモン夫婦は心づくしの飲食を敬って奉った。 皆は食事を終え、帰路についた。途中に沢があり、中にきれいな泉があった。仏と比丘たちはそこで休息し、比丘たちは鉢を洗った。
 一匹の猿がいて阿難につきまとい、その鉢をほしがった。阿難は鉢が壊れるのを怖れてこれを与えなかった。仏は阿難に速やかに与えて憂うる なと告げ、阿難はこれに従った。猿は鉢を得ると蜜の出る樹の所に行き、鉢に満たして世尊に奉った。
世尊「中の不浄の物を取り除きなさい」
 猿はすぐに蜂を取り除き、極めて清浄にした。
 仏は、水を加えて混ぜるように言い、調整がおわると猿は世尊に奉った。
 世尊はこれを受け取り、僧に分け与えた。みなで共に飲み、全員に行き渡った。
 猿は喜び、踊り出して大穴に落ち、命を終えた。
 猿の魂識は師質の家に受胎した。
 師質の妻は妊娠して月日が満ち、男児を生んだ。
 顔は端正で世に並ぶ者は少なく、生れる時には家の器が自然と蜜で満たされた。
 師質夫妻は喜びにたえず、色々な占い師にその吉凶をみてもらった。
 占い師は告げた。「この子は徳があり、善なること比べる者もないほどです」
 そこで摩頭羅瑟質(マズラシッシツ)と名づけた。漢語では蜜勝である。生れた日の蜜を瑞応として名づけたのだ。
 子は成長し、出家を願った。父母は愛情から惜しくなり、出家を許さなかった。
 子は不再び丁寧に父母にお願いした。「もし私の願いを承諾しないのなら、私は命を断ちます。俗人としては生きられません」
 父母は話し合った。 「昔、世尊が予言していた通りだ。出家すべきなのだろう。もし堅く引き留めれば、自殺してしまうかもしれない」
 そこで出家を許すことにし、子に告げた。 「おまえの志の通りにするがよい」
 子は大喜びで仏の所に行き、ひれふして礼をなし、出家を願った。
 世尊は告げた。「善く来た比丘よ」
 髭と髪は自から落ち、法衣が身にまとわれ、沙門となった。
 仏は広く四諦、妙法、種々の理を説いた。心はほがらかになり煩悩は尽きて阿羅漢となった。
 マズラシッシツはいつも比丘たちと人々の間を遊化した。もし喉が渇けば鉢を空中に投げた。すると自然と蜜でみたされ、皆で飲み満足した。

 阿難が仏に言った。「世尊、マズラシッシツはどんな功徳を積み、出家して長い時をへずに真髄を獲得し、 必要な物が随意に得られるようになったのでしょう」
仏「前世で猿はそなたから鉢を取り、蜜を盛って仏に布施した。仏が受け取り猿は喜んで舞い、穴に落ちて即死した。あの猿が今のマズラシッシツで、仏への布施の功徳でかの家に生れ、容姿端麗、出家学道してはすぐに無漏地を達成したのだ」
阿難「ではどうして猿に生れたのでしょう」
仏「その昔、迦葉(カーシャパ)仏の時、年少の比丘がいた」

 他の沙門が水路を跳び越えるのを見て言った。「すばしっこいことといったらまるで猿だ」
 沙門はそれを聞いて言った。 「お前は私を知っているのか」
「知っているとも。迦葉仏の沙門だ。知らないわけがない」
「仮名の沙門と呼ぶな。沙門の修行の成果はみな備えているのだぞ」
 年少の沙門はこれを聞いて毛は逆立ち身は堅くなった。五体投地し懺悔を求めた。

仏「悔過したがゆえに地獄行きにはならず、 見た目で羅漢をそしったので五百世にわたりいつも猿に生れかわり、かつて出家し禁戒を守ったゆえに、今、私に会えたのだ」
仏は阿難に告げた。「その時年の年少の比丘が今のマズラシッシツである」
 阿難と大衆は仏の説く説く所を聞いて悲喜こもごも、皆が言った。 「身口意の業は護れない。縁によってこの比丘は口を護れずかくのごとき報いを得たのだ」
 仏は阿難に告げた。「全くその通りである」
 そして四衆(教団の人々)のために広く諸法を説いた。身口意を浄め、心の垢を除き浄め、皆は各々、初果から阿羅漢果の道果を得た。あるいは無上正真道意を、あるいは不退転の境地を得た。
 会衆は法を聞いて皆ともに喜び、おしいただいておおせをうけたまわったのだった。


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