賢愚経巻十三 汪水中虫品第六十一

 このように聞いた。
 仏がラージャガハのギジャクータ山にいた時のこと。
 城市の近くに沼があり、汚泥で汚く、糞尿の匂いがしていた。
 国中の庶民がいつもゴミを投げ入れていた。
 そこには蛇に四足を加えたような姿の大虫がいて、沼をあちこち走りまわりあちこちに出没していた。
 虫は何年もその沼にいたため受ける苦しみは限りなかった。
 世尊は比丘たちに前後を囲まれて、そのゴミ捨て場に行った。
仏「比丘たちよ。この虫がこうなった宿縁を知っているか」
比丘たち「知りません」
仏「聴きなさい。過去に毘婆尸(ビバシ)仏が世に出て教化が広まり涅槃に入った。その仏法によって、十万人の比丘が梵行を浄修した」

 山で閑居を楽しみ静かに暮らした。山の左右にはよい林があり、花や果実がみっしりと生い茂っていた。樹の間には浴池となる泉があり、清涼が楽しめた。
 比丘たちはそこで善行の道につとめ怠ることはなかった。みな初果から四果を得て凡夫はいなかった。
 時に五百人の商人が集まり、大海に乗り出そうとしていた。その径路にこの山があり、比丘たちが心を制するのに勤めている姿を見て、喜びと敬いの心を抱き、供養の席を設けようと思った。
 商人たちはみなで僧たちの所に行き供養をして壇越になりたいと言った。
 皆がお願いし、毎日交代で供養した。しかし思うような供養はできず、僧たちに大海に出るからと辞去の挨拶をした。「我等が平穏に還って来られたら供養をいたします。願わくば哀れみて許したまえ」
 僧たちは黙って受けいれた。
 商人たちは海に出て大いに珍宝を得、平穏に帰還した。僧たちの所に行き、最上の宝をえりすぐって布施した。飲食も用意し、もし多く食べる者がいれば随意に用意した。
 この時、僧たちは宝物を受け取って、僧の摩摩帝(ママテイ)に渡した。
 後に僧たちは食が尽きて珍宝を食に変えようとした。
ママテイ「商人は以前、自らわしに宝を渡した。どうして要求するのか」
上座維那(僧院の庶務係の僧の長)「壇越は宝を僧伽に布施したのだ。そなたは代表として受け取ったにすぎない。今、僧院の食は尽きて補充しなくてはならない。それゆえもらいに来たのだ」
 ママテイは怒って言った。「くそ食らえ! この宝はわしのものだ。どうして取ろうとするのか」
 僧たちはママテイが悪心を起こしたのを見てすぐに退散した。

仏「その欺瞞の僧は、罵詈雑言をなしたがゆえに、命つきてのち阿鼻地獄に落ちていつも沸騰した糞尿の中をころげまわった。九十二劫がたち地獄より出て今はまたこの屎尿の池の中にいるのだ。年月が過ぎても脱け出せずにいるのはなぜかを語ろう」

 過去に尸棄(シキ)仏がいた時のこと。比丘たちを引き連れてこのゴミ捨て場の横を通り、弟子たちに虫の来し方を語った。
 次に随葉(ズイヨウ)仏が同じように比丘たちに因縁を説いた。
 命がつきると虫は地獄に還った。
 数万億の年がたち、またここに生れた。
 拘留秦(クルソン)仏もまたその衆徒に囲まれてここに来て、比丘たちに教訓とするようその来し方を語った。
 拘那含牟尼(クナゴンムニ)仏、迦葉(カショウ)仏も同様だった。
  次に第七仏である私、釈迦牟尼がそなたたちに、虫を見つつ因縁・本末を説いているのだ。
 賢劫(今の世界の始まりから終りまで)における未来の諸仏もまた同じように弟子を引き連れてこのゴミ捨て場に来て、虫が昔なした因縁について語るであろう」
 比丘たちは、仏の説く所を聞いて心から驚き総毛立った。みなともに、教えを厳守し、身口意の業を慎み守ろうと言い合い、仏の言葉を信受し、喜んでうけたまわったのだった。

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