狐神計画

 北阿仁神社の中に足を踏み入れると、一迅の風と共に少女の声がした。
「――止まれ。貴様、何奴だ。ここは神聖なる領域。余所者は即刻立ち去るがよい」
 恐ろしいほどテンプレートな言葉だ。理想的ですらある。
 予想していた言葉を受けながら、晴海はうっかり微笑んでしまった。殆ど懐かしいとすら思う。この田舎で神様をやるなら、その程度の剣呑さで十分だということだろう。
 焦ることなく、懐に隠していた油揚げを翳してみせる。すると、古ぼけた社の影から、ひょこりと少女が飛び出してきた。
 紅白のオーソドックスな巫女服に黒髪がよく映えている。その過度に整った顔立ちは、少女にこの世ならざる印象を与えていた。
 そして何より、頭の上の狐の耳がその異様な雰囲気を醸す最たるものだった。
 その異常な容貌は聞いていたとはいえ、おぞましいものではあった。人間と動物の間にいるような風体は、実際に見るとやはり落ち着かない気分にさせる。少女がもう一度口を開いた。
「お主、それをわらわに献上したいと申すか」
 可愛らしくもよく通る、美しい声だった。合わせて、彼は頷く。
 油揚げという好物が設定してあるのは、≪彼女≫との交渉を行うにあたって、それが最も効率がいいからだろう。
 ≪彼女≫は気位が高く、ステレオタイプな神を演じるにあたっての必要な気難しさを備えている。そんな≪彼女≫に無理なく譲歩の姿勢を取らせることの出来るコード、それが油揚げだ。
「恐れ多くも申し上げます。僕は小林晴海といいます。父の名前は小林郁巳。かつて、この村に暮らしていた男です」
 それを言った瞬間、目に見えて彼女の表情が和らいだ。頭の上で所在なげに揺れていた狐耳が、ピンと綺麗に張る。そして、まるで愛おしいものを見るような目をして、にっこりと笑った。
「おお……覚えておるぞ。覚えておるぞ。誰かと思えば、あの泣き虫郁巳の息子と申すか。言われてみれば、面影があるではないか。どれ、もう少しよく見せてみい」
 小さな手が、晴海のことを手招きする。父親のことを『覚えている』のか、と思うと不思議な心持ちがした。彼女は土地神だ。過去の全ての住人を覚えていても不思議じゃない。
 ただ、そんな顔をして語られるのは予想外だった。社に座る彼女の目は、あまりに慈愛に満ちている。見た目は少女にしか見えないのに、その顔はまるで母親のそれだ。
 引き寄せられるように、晴海は少女の元へ歩み寄った。古い石畳は靴底と擦れてかしゅかしゅと小さな音を立てる。それでも、境内はよく掃除されているのか、そこには葉の一枚すら落ちていなかった。
「……うむ。こうして見れば、奴の面影が無くもないな。のう、晴海よ。郁巳の息子よ。郁巳は元気か?」
「…………三年前に亡くなりました」
「…………そうか。よく生きた」
 厳かにそう呟く。身内の死をそんな風に悼まれたのは初めてだった。触れ合える神がいる生活というものはこういうものなのか、と晴海は肌で感じた。これが、見守られているということなのだ。
「父が亡くなったのをきっかけに、僕も貴方様にお会いしたくなったんです」
「そうかそうか。ゆっくりしていくがよい。北阿仁の村は美しく豊かなところよ。そなたの父親が生きた場所を存分に見るがよい」
 その時、示し合わせたかのようにざあっと風が吹いた。小さな神社を取り囲む木々が、ざわざわと鳴る。
「わらわはこの仙北郡の偉大なる賢神、土地神のニテである」
 ≪ニテ≫はそう言って高らかに笑った。
 その首筋には、技術者でなければ分からないような小さな穴が空いている。ともすれば黒子にも見えそうなそれを見て、晴海は小さく安堵した。仕組まれたかのような風と、彼女の可憐さが少しだけ彼を狂わせたけれど、何のことは無い。
 どれだけ神らしく振舞っていても、これは単なるアンドロイドだ。
 仙北郡・北阿仁村は、アンドロイドを土地神として祀り上げている。

「んで、どうじゃったかいね。ニテ様は」
「……想像より、その、……親しみやすい方でした。鶴宮さんの仰る通り」
「だろうだろう。ニテ様はあだりめに優しい方でなあ」
 そう言って、村長である鶴宮は楽しそうに笑った。ニテのことが本当に誇らしいのだろう。顔をくしゃくしゃにして喜んでいる。
「ニテ様は郁巳のこと、覚えとったろう」
「はい」
「あの方にとっては、郁巳が村からおらんくなったのも昨日のことだ」
「……はい」
 少しだけ気まずくなりながら、郁巳は頷いた。村を出た人間は、その当時は裏切り者と呼ばれたはずだ。数十年経った後のこの対応も、ニテの作り上げたものだろうか。
「お前さんの顔を見れて、ニテ様も喜んでいるでしょうて。まあ、しばらくゆっくりしておいで。北阿仁は貧しいが、それが故に美しい」
 鶴宮はそう言うのに合わせて、晴海の方も頭を下げる。
「あの、最後にいいですか」
「どうした」
「ニテ様は狐の神様なのですか? 何故、この北阿仁に稲荷神が?」
 鶴宮は少しだけ考えてから、言う。
「ニテ様は穀物の神であり豊穣の神。そして北阿仁の土地神である。それが稲荷神の形態を取ることが不自然かね」
 いいえ、と心の中で晴海は呟く。不自然ではない。むしろ、あまりに理想的だ。だからこそ、一層不快だった。そこに見え隠れするエンターテインメント性が、誰かの作為を感じさせる。豊穣の神として祀られる幼い稲荷神の少女、なんて出来過ぎていて困る。

 稲荷神型アンドロイドであるニテの話をする前に、話しておかなければならないことがある。人間に獣の耳を移植する、クレイジーでキュートな手術、獣種器官移植手術のことだ。

 獣種器官移植手術の元は、何のことはないペットビジネスの一環であった。

 ペットが唯一無二の家族として認められ、実子と同じくらいの重みを持つようになった時代では、必然的にペット達の延命に重きが置かれるようになった。どんな手を使ってでもいい、たとえ一秒でもいい、愛しい家族を長らえさせる為に、飼い主が祈るのは神ではなく科学技術だ。気分に左右されない時点で、それはある意味神より優れている。
 動物であろうと人間であろうと、技術の行き着く先はそう変わらない。癌を患った愛犬に求められたのは人間と同じ放射線治療、投薬治療、そして臓器移植だった。
 ニテが生まれる百年ほど前には既に、人間の臓器の一部をクローン培養し、持ち主の身体に移植するという技術が確立されていた。培養槽でゆっくりと肺や腎臓が生成されていく様は、ネズミの背中から耳を生やしていたあのおぞましくも美しい有様に比べると、幾分かスマートだった。
 しかし、コストパフォーマンスは極めて悪い。あの頃の世論は未だにクローン人間を丸ごと生み出し、そこから臓器を取り出すということに抵抗があったのだ。人間は未だに感傷的で、誰かの為に誰かを犠牲にするような、そういう仕組みにはちょっとまだ慣れなかった。
 だから、臓器を生み出す時は慎重にゆっくり時間をかけて、目当てのものだけを生成する必要があった。移植する臓器が一つではなく三つあったとしても、同時に生成するのではなく別の培養槽が用意された。シャンパンに浸した新鮮な果実のような臓器たち。それらには感情移入が難しい。ヒトの形をしていないものに、共感するのは至難の業だ。
 けれど、動物は違った。動物はヒトとは違うものだった。
 人間には不可能な効率的なやり方を、犬や猫やピグミーマーモセットには出来た。即ち、丸ごとを複製して、必要な臓器だけを収穫するやり方である。胃癌を患った犬の為に胃だけを取り出し、残りを処分した方がコストがかからないのだ。目の前で死に瀕する愛犬を救う為の、ローコストな救済! 意識というものをむざむざ連想させられるヒトクローンに対して、クローンペットたちはあくまで臓器工場に徹することが出来た。
 人間の横暴なんて今更だった。それよりも、飼い主たちの果て無き祈りの行方の方が大切だった。
 愛玩動物への臓器移植が一般的になったことで、ペットの平均寿命は飛躍的に伸びた。わかりやすい結果を前に、人間の対応も相応の変化を見せた。誰だって愛するペットを死なせたくはない。皆がやっているなら大丈夫。だって、科学技術の進歩なんでしょう?
 こうして、臓器移植産業が発達した結果、技術の発展も飛躍的に起こった。同じ技術をより安く、より完璧に。臓器は特別なものではなく、他のものと同じ商品となった。
 ――丸ごと作られた動物の、残りの部分を何かに使えないだろうか。
 程なくして市場がそういう方向に向かったのは不自然なことではなかった。
 アイヌ民族は熊を屠った際に、肉は勿論皮から油まで余すこと無く利用する。それと同じように、作ったクローンの残りの部分も、全て使えるのではなかろうか。
 そうして考え出されたのが獣種器官移植手術だった。動物の余った部分、例えば耳なんかを人間に移植する手術だ。臓器移植用として最適化された動物の身体は人間の身体とも相性が良く、一部の人々の間で頭に獣の耳を移植するのが流行った。当然のことながら反発も多かったが、その分反響も大きかった。何せ、頭から猫の耳が生えた人間はとてもかわいいのだ。
 これが、ニテを構成する大きな要素、その一端だ。

「ニテ様、その、お耳の方を触らせて頂いてもいいですか?」
「んふふ、よいぞ」
「わ、生暖かい……」
 黒髪の上でひょこひょこと揺れる狐耳は、薄く血管が通っている。触ってみれば生暖かく、耳を覆う毛は柔らかい。巫女服の下履きからは、同じようにふわふわと揺れた狐の尻尾が見えた。
「わらわの毛並みは随一じゃ。たまらぬだろう?」
 ニテはぐりぐりと頭を押し付けてきながら、自慢の耳を触らせてきた。二回目の訪問だというのに、随分フレンドリーな対応である。生々しく震える耳がこれだけ生を感じさせるなら、これが偽物であるとは思えないはずだ。
 彼女を構成する一要素、獣種器官移植手術を肌で感じながら、晴海は思う。例えばこの耳さえなければ、北阿仁の人々は騙されなかったかもしれないのだ。
「晴海は普段は何をしておるのだ? この村を出たら、広い世界が見えたことだろう」
「……郁巳と同じ職業に就きました。僕も同じことをしたいと思って」
「郁巳と」
「アンドロイドの研究です。彼は、その第一人者として、今でも有名なんですよ。僕もそれに憧れて、同じ研究をしました。彼が何を考えていたのかが知りたくて」
「ほう。わらわにはその……アンドロイドが何かはわからぬが、郁巳は凄いことを為したのじゃな」
 尻尾をぱたぱたと揺らしながら、ニテはそう言って感嘆する。そう、その通り、小林郁巳は偉業を為したのだ。アンドロイドの世界を一変させて、驚くべきものを生み出した。晴海はそんな彼に憧れていたし、今も尊敬している。
 彼の最高傑作を前にして、その念は一層強まっていた。
「三日後には北阿仁の祭りもあるからな。きっと晴海も腰を抜かすぞ」
「そんなに凄いんですか?」
「北阿仁で一番盛り上がる日じゃ。楽しみにしておれ」
 北阿仁は小さな村だった。村人も、恐らく百五十人を超えるか超えないかといったところだろう。そんな村が統合もされず山の奥深くでこうして生きているのを思うと、何だかたまらない気持ちになった。
 ここを離れることを選び、ただ一人アンドロイドの研究に実を窶した小林郁巳のことを思うと、尚更そう思った。

 アンドロイドの話をしよう。小林郁巳が主な研究を行っていた、生体アンドロイドの話だ。
 ニテの狐耳は獣種器官移植手術によって作られたものだった。それならば、その耳を移植された側は何なのか。答え合わせをしてしまえばシンプルな話だ。彼女の身体もまた、クローンなのだ。
 ニテは大きく分類すれば生体アンドロイドだった。ヒトクローンの身体に、人工知能が埋め込まれている。
 先述の通り、ヒトクローンの問題とは偏に、それがある程度の知性を持つ生命体であり、意識を持った存在であることだった。臓器摘出用のクローンを丸ごと作れば、誰にも移植出来ず、かといって捨てることも出来ない神聖でおぞましい臓器ーー大脳まで一緒に生成されてしまう。
 それを解決したのが、以下の方法だった。
 生体アンドロイド用のヒトクローン亜種は、生成十六週目の時点で、頭にプラスチックの外殻を埋め込まれる。これにより脳の形成を阻害、人工的な無頭児を作るのが第一段階だ。
 クローン胎児はプラスチックの塊を包み込むように成長し、脳を持たないままヒトになっていく。意識とは脳に拠るものであると見做されているが故の措置だ。
 これによって、脳を持たない人間が生まれる。その代わりに、生体アンドロイドは高性能の人工知能を埋め込まれるのだ。
 これにより、人の身体を持ったアンドロイド、生体アンドロイドが生まれた。
 生き物として一番大切な部分が機械であるならば、それは機械に他ならない。こうして、生体アンドロイドは上手いこと世間に受け入れられた。全ては言い方次第だった。人間を作るのは問題だけれど、人工知能を肉で覆うのは赦されるのだ。
 生命活動を一切必要としない身体は、老化もしなければ劣化もしなかった。物理的に壊れることはあれども、基本的に不死身だった。
 それでも冒涜だと言う人たちは、脳の無いその生き物の前に、押し黙るしかなかった。機械の身体のアンドロイドはいくらでも世の中に普及していたし、どんな家庭にだってルンバがあった。それとの違いは入れ物だけだったのだ。
 ニテに与えられた可愛い顔も、頭部に生えた狐耳も、愛らしく響くハイトーンボイスも、全部全部人工知能の付属品でしかなかった。肉で作られたアンドロイドパーツという名目があるからこそ、ニテの手は温かい。
 不死身の温かい身体。無理矢理移植された狐の耳。神様らしさをインプットされた人工知能。この三点が合わさって、ニテは今日も北阿仁神社の主として在る。これからも在り続けるだろう。外的要因でそれが脅かされない限り。

「こんな小さな村が生き残れたのはニテ様のお知恵のお陰よ。川の増水が止まらない時、ニテ様はどこに堤防を築けばよいか、即座に導いてくだすってね」
 村の女性はそう話す。ニテ様に受けた恩恵を、懐かしむようにそう語る。ニテの役割は主に、こうした災害対応や相談事を受けることに終始していたという。辛い時は励まし、嬉しいことがあれば喜びを分かち合う存在だったわけだ。
「他に、ニテ様に救われたことは?」
「そうさねえ、ニテ様は豊穣の神様でしょう。ニテ様が畑を見てくださると、不作の年も乗り切れるんよ。肥料の作り方も、全部全部ニテ様が教えてくだすってね」
 それらの話を聞きながら、晴海は思う。ニテの頭の中に入っている人工知能は、百年以上前のものであるはずだ。それでも、簡単な計算や肥料の作り方、畑仕事の知識くらいは入っている。旧式のパソコンであっても、村の発展には役立つということだろう。
 ニテとの会話は面白い。神様でありながらフレンドリーで、打てば響くような会話をしてくれる。他の人間と話しているのとまるで変わらないクオリティーの会話を、神様のロールプレイの中で行ってくれる。
「ニテ様はどこからいらっしゃったんでしょうか」
「ニテ様はそこにいらっしゃったのよ。ずっと前から。私達がここに暮らしてきた遥か昔から」
「そうですか」
 アンドロイドは自己発生をしない。ニテをこの村にもたらしたのは、他ならぬ小林郁巳だった。丁度村に洗濯機や電子レンジを導入するように、彼はアンドロイドを導入したのだ。

 小林郁巳は天才だった。それでいて、マッドサイエンティストだった。狂気に取り憑かれた科学者がそれを向ける先といえば、あるいは永遠の命、あるいはダークマターの解明、あるいは自殺願望によく似た人類滅亡が関の山だった。
 しかし、小林郁己がその臙脂色の狂気を向けた先は、そのどれでも無かった。彼が求めたのは、永遠に発展し続ける故郷だった。
 北阿仁村は、一度死に瀕したことがある。ダム開発や謎の奇病や、獰猛なクマの襲来? それらに比べて、もっと根源的でシンプルなものが、北阿仁村を脅かした。
 その閉鎖性だった。
 長閑な場所ではあったと思う。美しい自然がある。暮らす村人は良いコミュニティーを築いている。北阿仁村のことを、誰も彼もが愛している。
 でも、それでは駄目だった。
 北阿仁村は年々人が減っていき、村人の減少と共に施設が縮小した。商店が減り、駐在所が無くなり、診療所が無くなった。
 それに合わせて、更に村を出る人間は増えた。村から車で一時間ほど下った下の西衣良村ですら、北阿仁よりは住みよい暮らしをしていた。この少しの移動で暮らしが良くなるのなら、という理由で、緩やかな村の統合が行われようとしていた。
 北阿仁と西衣良の関係はそう悪くは無い。更なる奥地に住む北阿仁の人々を西衣良は敬意を以て迎えようとしてくれた。西衣良の方まで下り、そこから更に二時間ほど進めば、更に開けた街に出る。
 二百三十八人の北阿仁の村人が西衣良に移動すれば、西衣良自体の発展にも繋がる。二つの小さな村は統合されることで残るのだ。
 けれど、そうはならなかった。
「北阿仁の村は北阿仁の神に守られた神聖なる場所である。我らが北阿仁を離れれば、一体誰がこの地を守るというのか」
 単なる妄執だと思うだろうか? あるいは感傷? けれど、当時の村長である山本ノセが言ったその言葉は、それらの言葉では片づけられないものだった。連綿と続く北阿仁の物語。貧しく苦しい時も、歌うほど豊かな時も、村人はそれを拠り所にして暮らしていた。
 ニテ神が北阿仁に齎したものは計り知れなかった。たとえそれが目に見えないものであったとしても、ニテは村を守り続けていたのだ。神様は村を離れることが出来ない。北阿仁神社はあそこにあるからこそ意味がある。ナンセンスだなんて言えるだろうか? 神様を置き去りにしたくないという、どこまでも人間らしい欲望を?
 村は二つに割れた。西衣良に統合されるのを良しとする者と、あくまで北阿仁に残るべきだと主張する者。ただでさえ少ない村民が割れ、どちらが本当に北阿仁を想っている者かと互いに罵り合う。
 それを見た若き日の小林郁巳は決意する。そして、彼は村を飛び出した。この状況を打破出来る何かを外に求めた。
 そして彼は、自分の故郷に目に見える≪神≫をもたらすことにしたのだった。

 死んでいく故郷に人間を繋ぎ止める為に一番効果的なもの。どんな施策であっても実現しなかった人間を根付かせるという偉業に、彼は取り憑かれていた。

 脳を欠損した美少女のクローンに、狐から取った耳を接合し、キャラクタナイズされた神の人格を注ぎ込む。端から見れば悪趣味なカリカチュアにすら見えるそれを、小林郁己は救いだと信じた。
 ニテの性格パターンの元となったのは古いアニメーションだった。妬む神ヤハウェでもなく、全ての者を包み込む如来でもなく、ニテは真に虚構から生まれた神だった。
 現実問題として、ニテは否応なく可愛かった。ニテの外形は、昔存在したとあるアイドルグループの二番人気の女性・青葉メヰジを基にしていた。
 背が低く、ツインテールの似合う見た目をした彼女の外見を流用し、キタキツネの耳を取り付けて、清楚なロングヘアにしたのがニテの外見であった。しかし、先述した通り、ニテの外見年齢は十二歳程度である。参考にした青葉メヰジの年齢が二十六歳であったことを考えると、ニテの外見年齢は青葉メヰジの半分にも満たなかった。
 しかし、これもまたニテが土地神として機能するのに重要なファクターであった。十二歳の外見はニテに更なる神性をもたらしたし、何より可愛らしい年齢であった。
 こうしてニテが生まれた。北阿仁の為に作られた、オーダーメイドの救いの神だ。
「わらわは、気高く尊き北阿仁の神、ニテである」
 起動したニテが最初に言い放ったその言葉に、郁巳は涙を流したに違いない。
 その後の顛末は希望に満ちたものだった。郁巳は故郷に戻り、ニテの神社にそのアンドロイドを放した。あとは、全てが流れに沿うだろう。
 彼が書いたシナリオに、村人たちは乗った。こうして北阿仁の村にニテ神がもたらされたのだった。村人たちは貧しくともニテ神の元に奮い立ち、この村で暮らしていくことを決めたのだ。信仰の力は凄まじく、どれだけ厳しい状況であっても、ニテ神の励ましによって村人は懸命に村に尽くした。ここを離れるという選択肢すら無かった。ニテが見守る美しい村を、守らなければ。
 それらは全て、小林郁巳の強迫観念が生んだ奇跡だった。ここまでなら美談だったかもしれない話だ。今でも美談かもしれない。どこまでをそう見做せばいいのか、本当のところ晴海にもよくわからない。
 ちなみに、ニテの名前は秋田県美郷町六郷字大町にある湧き水『ニテコ清水』から取られている。美しく清らかな水であるそれは、集落を守る清らかな神に相応しい。

 ただただ故郷の繁栄あれかしと願った男の願いも、同じように清らかなものだったのだろうか?

 村にある空き家に泊りながら、晴海は一人で考えていた。
 あれが生体アンドロイドであることを知っている人間は、恐らくこの村には一人もいない。誰も神の頭蓋を割ったりしないし、その手を握れば温かいのだ。
 彼がここに来た理由の一つは、小林郁巳が行った救済の行方を知りたかったからだ。ニテを神に据えてから、程なくして彼は北阿仁村を去った。自分の作った神様の行方を、彼は知らない。ニテがここにやって来てから百年近くが経っている。村の変化を見るには十分な時間が経っていた。
 ニテが来てから、北阿仁村の人口は五十六人減っている。けれど、村人の幸せは数値では表すことが出来ない。皆がニテの話をする時、彼らは一様に楽しそうだった。それでも、村は豊かとは言い難い。
 もしあそこでニテが現れなかったら、恐らく北阿仁村は統合されていただろう。そのくらい、北阿仁村は追い詰められていたと聞いている。
 ニテ神への信仰心が、死ぬはずだった村を生き永らえさせたのだ。

 北阿仁祭りはニテが誇っていた通り、盛大な祭りだった。村の規模にしては全体が盛り上がっており、村人たちも皆楽しそうだった。数は少ないながらも出店まで出ており、村の子供たちまでもがこの一大事に沸き立っている。
 村の広場には立派な櫓が立ち、その周りには果物や米俵などが置かれている。それはしばらくの間そこに祀られた後、村人全員で分けるのだという。ニテは少量の酒しか口にせず、食物を必要としない為、そのようになったのだそうだ。無駄にならなくていい、と晴海は心の中で思う。生体アンドロイドが摂取した食物は、そのまま体外に排出されてしまう。
 広場の中で一際人が集まっているところには、予想通りニテがいた。狐耳の少女を囲むようにして、子供も大人も楽しそうに笑っている。特に、子供は神社に立ち入ることが出来ない為、ニテの姿が一層嬉しいのだろう。抱き着くようにして彼女に甘えている子供もいた。
「ニテ様!」
「おお、大きくなったのう、重美」
「ニテー! もう降りてきたの?」
「様をつけんか」
「ニテちっちゃいね。僕こんなに背伸びたんだよ!」
「様をつけろと言っておろうが」
 恐れを知らない子供たちに囲まれながら、ニテは優しい顔を向けていた。外見だけで言うならば、ニテと子供たちの間にそう大差は無かった。巫女服を着ていなければ、他の子供と紛れてもおかしくない。慕われているのだ、ということが肌で分かる様子だった。
 子供たち一人一人を相手しながら、ニテは楽しそうに笑っていた。こうしてニテに構ってもらった子供たちが成長し、またニテをよすがにし、この村で暮らしていくのだろう。この村がニテに支えられているというのが、ひしひしと伝わってくる。
 その時、晴海の足に一人の少年がぶつかってきた。その目はニテしか見えていないらしく、ぶつかったのに謝りもしない。輪の中心にいるニテを眩しそうに見つめている。愛おしそうな、苦しそうな、泣きそうな、複雑な表情だった。他の子供たちのようにニテに走り寄っていくこともせず、ただじっと彼女のことを見つめている。
 輪の中心にいたニテが、ふと、こちらに視線を寄越した。そして、晴海に向かって小さく手を振って見せる。その瞬間、傍らにいた少年の方が脱兎のごとく駆け出して、逃げ出してしまった。あんなっ目をしてニテを見つめていたのに、彼の姿はもう形も無かった。
「晴海! 来ておったか!」
 ぼんやりと少年の去って行った方向を見つめる晴海に向かって、ニテのがずんずんと歩いてくる。ふんわりと金木製の臭いがした。ニテの臭いだ。
「どうじゃ、北阿仁の祭りもなかなかいいものじゃろう」
「さっき、子供が走り去っていったんですが……その、ずっとニテ様を見つめていたんですが」
「ほう? ……ああ、蒼太じゃろう。ならば気にせんでよい」
 気にしなくていい、という言葉に引っ掛かる。それが表情に出てしまったのか、ニテは少しだけ考えてから、こう補足した。
「蒼太には嫌われておるんじゃ」
「どうしてですか? ニテ様を嫌いな者がこの村にいるとは思えませんが」
 晴海がそう言うと、ニテは少しだけ顔を歪ませた。茶目っ気のある笑顔がデフォルトなニテがそんな顔をするのは珍しい。何だか、色々な意味で不適切だ。
「……蒼太の祖母をな、わらわは助けられんかった」
「……そうなんですか」
「蒼太はわらわに泣いて縋った。どうか助けてくれと、祖母の病を取り除いてくれと。神の力なら造作もないことだろうとわらわに言った」
 そんなことは無理だ、と反射的に思う。どれだけ神様の振りをしていても、目の前のニテはただのアンドロイドに過ぎなかった。豊穣を祈ることも出来ないのに、病を治すことが出来るはずもない。その不協和を思うと、何故だか胸がざわついた。わかっているはずなのに、ニテの無力さは晴海にとって毒だった。
「わらわは、助けんかった」
 一呼吸置いて、ニテは続ける。
「人の命というものは、定めとして決められておる。わらわが老いを救い病を取り除き、定められた命を無理矢理引き延ばすことはあってはならんのじゃ。どれだけ泣こうと、どれだけ祈ろうと、どれだけ油揚げを積まれてもならぬことはならぬ。神は人の生き死にに、本質的に関わるべきではない」
 滔々とニテが言う。それは、偽物の神であるニテが生み出した言いわけであるのに、最も神様らしい一言でもあった。
「……何故ですか? 何で、人は死ななくちゃいけないんですか」
 その時、晴海は心からそう尋ねた。目の前の神の正体を知っていてなお、その答えが知りたかった。人工的な肉と機械に過ぎない相手が答えられるはずのない真理を、その桃色の唇から聞きたかった。
 ややあって、ニテは静かに言った。
「それが自然だからだ」
 北阿仁の自然を守る土地神は、静かに告げる。
「それに、死にゆくものは見送るものに何かを残すものだろう?」
「本当にそうでしょうか?」
「ああ。誠じゃ。気高く尊き秋田の神、ニテは嘘を吐かぬ。わらわの言葉の全てが真実と心得よ」 
「死んでしまったら、終わりではないんですか」
「終わらぬよ。そう簡単には終わらぬ」
 そう言って、ニテはうって変わって楽しそうに笑った。小気味よく愛らしい、アイドルの微笑だった。プログラムされたものだと知っているのに、その顔から目が逸らせなくなる。
「ところで晴海よ。わらわのこの素晴らしい託宣を前に、何か湧き上がってくるものが無いかの」
「湧き上がってくるもの?」
「鈍いのう。わらわ、あそこに出ているりんご飴が食べたい! 献上せよ。昨年はりんご飴だけでなく、ミルクせんべいの屋台も出ておったんじゃなの。仕方がない」
 そう言って、ニテが少しだけ寂しそうに笑う。
 このささやかな祭りが、年々縮小していっているのだろうか。それなら、来年はどうなるんだろうか。その次は? いずれ、この村の神の役割を、ニテは果たせなくなるんだろうか。
 未来のことなんか少しも気にせずに、ニテは小さな指で、まっすぐにりんご飴の屋台を指さしていた。
「わかりました。献上させて頂きますね」
「わかっておるのう! さっすがは郁巳の息子じゃ!」
 ニテは楽しそうに笑って、子供のように手を挙げた。それを見て思う。――もうやめてくれ。もういいから。
 晴海は、震える手でポケットの中にある小さな注射器を探る。もう十分だった。もう十分、この美しい虚構がこの村に尽くしているところを見た。そろそろ時間切れだった。ここで思い留まってしまえば、晴海がここに来た意味が無い。
 一呼吸置いてから、晴海は手にした注射器を、ニテの首筋に突き刺した。
「んう、なんかチクっとした」
 首筋に手をあてながら、ニテが顔を顰める。その手を取って、晴海はりんご飴の屋台へ向かった。
 その手が未だに震えていることに、ニテは気づいていただろうか。今となってはもう分からないことだ。

 効果はすぐに表れた。ざわざわと噂し合う村人たちを横目に、晴海は神社に向かう。小さな村での一大事だ。詳細は既に知っていたけれど、この目で確かめなければ気が済まなかった。
「おお、晴海か」
 出会った時とはまた違う美しい声が晴海を迎える。その姿を見て、彼はやはり息を呑んだ。
「見よ、どうじゃ? わらわの美しさにここに来て磨きがかかったと思わぬか?」
「……ええ、そうですね。ニテ様」
「そうじゃろうそうじゃろう」
 この上なく美しく成長したニテが、そう言って楽しそうに笑った。一層長く伸びた黒髪と、凛々しく伸びる狐耳。切れ長の大きな瞳に曲線の多くなった身体。その全てが例えようもないくらい魅力的だった。神々しい、と心の底から思う。
 出会った時のニテが十二歳くらいの外見だったとすれば、今のニテは外見年齢が二十を超えていた。予想以上の効果だ。
「……このような変化は、以前にもあったんですか?」
「あるわけなかろう。わらわは不変の土地神じゃ」
 分かっているのに、晴海は尋ねる。これらは全て予想通りなのに、目の前のAIを試すかのように言葉を紡ぐ。
 対するニテはぞっとするくらい美しい顔をして、大人の女の顔をして、優雅に微笑んでいた。
「じゃがのう、こういうのもいいと思わぬか。晴海よ。人も変わる。村も変わる。ならば神もまた変わろうともよいではないか」
 晴海はその神々しさに飲まれないように、静かに頷く。大丈夫、これでいい。これこそが正しい。
 何しろ、晴海がここに来た目的は、北阿仁村に不法に投棄されている≪生体使用アンドロイド≫――俗称、ニテを老化させることだからだ。
 祭りの日に打った注射は、生体使用アンドロイド用に誂えられた特別なウイルスだった。その温かい生身の身体だからこそ、毒は素早く深く回る。意図的に止められていた細胞の成長を強制的に促し、そのままテロメアにまで作用する。
 普通の人間もの何倍もの速度で繰り返される細胞の生と死は、想像も出来ないほどの速度でニテの身体を蝕んでいくだろう。
 神妙な顔をしながらも、晴海は冷静に計算していた。このままの速度でいけば、恐らく一週間以内に片が付くだろう。


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