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モノクロ写真、その変遷 -03

僕のモノクロ写真語りも第三部目。
今回で完結出来るだろうか。

前回の記事はこちらから。

モノクロ写真語りといっても、それほど写真について語ってはいない気がするし、そもそも写真を語れるほどの知識も経験も無い。
これはモノクロ写真を通じて変化していく僕の心情の様なものなのかも知れないなと思った。

前回はSNSへの投稿を再開したところで終わったので、その続きから。
明確に撮る写真が変わったと書いたが、撮ってきた写真に対する評価も変わった。
これまではその日に撮った写真を見返しレタッチする際に、どこか潜在的にSNS投稿に見合う写真を選んできた感覚があったけれど、そのセレクトから外れた写真達もちゃんと見返して自分なりに良さを見出せる様になってきた。
そんな変化もあってか、撮る写真も今までのストリート一色な感じではなくなってくる。
草花や、所謂日常写真のような写真もよく撮るようになった。

とはいえ、やはり僕の主戦場はストリートで。
今まで以上に街を撮り歩く様になっていく。
この頃から展示会などにも足を運ぶようになる。
写真だけではなく、アート全般。写真史についても勉強してみたりした。SNSを休止したタイミングでインプットを止めた反動もあったのかインプットがめちゃくちゃ楽しかった。
あと、フィルムカメラやコンデジに手を出したのもこの頃か。Leica M3を購入したのと、父から譲ってもらったNikonのCOOLPIX A1000というコンデジという組み合わせで撮り歩いていた。二刀流である。カッコいい。

モノクロフィルム
コンデジ

この組み合わせに思いの外ハマってしまって、暫くフルサイズ機から離れたんだけど、フィルムの現像にかける時間が割と重かったのとコンデジだと撮った感が物足りなくて結局フルサイズへ戻っていく事になる。
それでもやはり好きで、今でもたまにフィルムは撮ってるし、自分で現像したりしてる。

そしてSNS復帰後1ヶ月経った辺りで一つのプロジェクトを始めた。

black frameというタイトルを付けたこのシリーズ。
最初の投稿に対しツリー状に黒枠で囲ったモノクロ写真を連ねていく。
新しく撮ったものから過去撮ったものまで、この当時僕が表現したいと思っていたイメージと合うものを選んでいき、最終的に50枚の写真をシリーズとして投稿した。
もし時間がある方は50枚の写真を辿ってみてもらえると嬉しい。少しだけ当時の僕の視点、思考が伝わるかも知れない。

投稿の方法については全て単独で投稿する方法もあったのだけど、あえてツリー状にぶら下げる方法を選んだ。シリーズとしての纏まりを出したかったという考えと、SNSに投稿する写真について回るimp数といいね、RT数という客観的評価へのささやかな抵抗心からだった。

X(旧Twitter)をそれなりに利用している方なら何となく感覚としてわかると思うのだけど、単発の投稿と、投稿にぶら下げる形で行われる投稿(所謂リプ)とでは前者の方が見てもらえる機会が明らかに多い。
様々な要因があるのだけど、後者はいいねやRTを貰える数が極端に少なくなる傾向にあるのだ。

僕が敢えてそちらを選んだのは、いいねやRTに捉われず投稿を続けるという感覚を得る為、また客観的評価を最小限にしながらもSNSというフィールドで一つのプロジェクトを完成させてみたかった、という理由になる。

ここでいいね数やimp数についてどうのこうの語るつもりはないので省かせてもらうのだけど、この投稿をきっかけに過度にいいね数などを気にする事がなくなって自分の好きな写真を投稿出来る様になった気がする。

木を撮る事が増えたり
曖昧さを求めるようになったり
フィルム…スキャン雑過ぎる…
風景を撮ってみたり

要はSNSに投稿を続けながらも、そこから得られる評価に依存し過ぎない意識を自分の中に持ちたかったのだと思う。僕は周りに影響されやすい人間だからこそ、この意識を作った事でSNSといい距離感で付き合える様になったと感じている。

何の話だったか…、写真に関しては以前の様なハイコントラストな感じではなく柔らかめなモノクロも好んで撮るようになった。
この頃の写真が今でも1番好きかも知れない。

と、また長くなってしまったので今回はこの辺で終わろうと思う。
完結出来なかった。
いや最初からする気配はなかったか…

次で本当にラストの予定ですので、もう少しだけ僕の自分語りにお付き合いいただけますと幸いです。

それでは、また。

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