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映画「沈黙 -サイレンス-」を観て思うことと、2月17日(日)の日記

今日は映画を観て考えてたことシリーズです。


1, 映画「沈黙 -サイレンス-」を観て思うこと

内容やレビューに関してはこの2記事がいいので、気になる方はどうぞ。



この映画を観て印象的だったのは以下の3つです。

1、「この国は沼地だ。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる」

フェレイラはロドリゴに語りかける。「この国は沼地だ。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる」……日本の信者たちが認識している”神”は、我々の”神”とは違うものだ、と。
ー2個目の記事から抜粋
このシーンに至るまでの間にも、”沼地”を思わせる描写はあった。赤子に洗礼を授けてもらった夫婦は、「これで私たちはパライソにいるのですよね」と発言し、苛立ったガルぺに否定される。また、キチジローに裏切られ捕らえられたロドリゴが遭遇した信者の女は、「殉教して行くパライソは素晴らしいところなのですよね?」とロドリゴに尋ねる。ロドリゴはしばし絶句するものの、結局はその発言を肯定する。

この映画で出てくる日本人のほとんどが、死後の世界(神様のいる世界、天国)に救いを求めて死んでいくのですが、主人公はそこに違和感を抱く。というものです。主を信じるのみではないのか…と。

この映画では現実の逃避として神に救いを求めるような場面がありました。この考えが違和感のあるものなんだ。というのが僕の中で衝撃でした。

死後の世界に救いを求めるのは仕方がないとはいえ、やはりキリスト教の感覚で聞くと違和感があるのは否めない。なぜならば、キリスト教でいう「天国」=「神の国」とは、死んでから行く場所という意味合い以上に、(私の理解では)もっと観念的なものだからだ。
ルカ福音書の中に、「「神の国は、見える形では来ない。 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。 実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(17章20節~21節)という記述がある。神の国とは、常に求め続け、願い続けているべきものであり、つまりは信仰によってもたらされる心の平安と喜びに他ならない。

僕も確かに。死んだらわかるもの。知らない事実として神の世界、天国があり、信じるだけで開かれるものではないと思い込んでいました。

こう記事を読んだり、映画を観たりすると、まだまだ色々な宗教への理解が足りないな…と反省しました。


2、神は沈黙している

キリスト教であろうと、仏教であろうと、ロドリゴや長崎の百姓たちのように一心不乱に祈ることで「自分の外側に」恩寵や奇跡という明確な「形」で神を見出そうとすると、神は「沈黙」し、その神への思いは裏切られます。しかし、じっと心を澄ませて、「自分の中」を見ることで、神は見えない「沈黙」の中にこそ宿るのです。神が常に自らと共にあるんだ、と体感できれば、その実感こそが神の恩寵であり、奇跡になりえるのではないかと思いました。
ー1個目の記事から抜粋

神は内側から見出すものだという考えです。救いを求め、形あるものに頼ると、神は沈黙している。という言葉がすごく考えさせられました。


僕は本当に宗教に関して疎いのでなんとも言えないのですが、これって、宗教を飛び越えて言えることな気がしていて、目に見えるもの、他人にわかるものをステータスとしてこだわると、それは人生において答えを見出せなく、自分のうちを見つめ内側から人生の答えというものは見つかるのではないかという考えがふっと浮かびました。

まぁ見た目に騙されるな。こだわりすぎるな。ってことですね。


3、レビュー記事2つで変わるキチジローという人の存在

これ、面白いことに上に貼った2つの記事でキチジローの評価が全く違うんですよね。

1個目の記事では最後まで形あるものに頼ることしかできなかった弱きもの。

2個目の記事では神と1対1で向き合った信仰と正面から向き合った唯一の人物

『沈黙‐サイレンス‐』の主人公はロドリゴだが、もう1人の主人公といえるのがキチジローだ。何度も「転び」、何度も裏切り、その度に告解による赦しを求めるキチジロー。ひどく弱く、そしてひどく図太い男。
しかし、キチジローは他の信者と決定的に違う。他の信者がフェレイラの言うように浄土真宗的な転生に救いを見出しているとすれば、キチジローは常に1対1で神と向き合っている。苦しみ、もがき、己に負け、悔い、告解し、祈り、そしてまた己に負け……キチジローは徹頭徹尾、”私”と”神”との対峙の中にいる。最も弱い信仰心を持つように見えるキチジローこそ、唯一己の信仰と正面から向き合っている人物だという逆説がそこにある。
ー2個目の記事参照

真逆の評価というよりは、さらに深く考えると、悩みつつも自分と、神と向き合っていた人物であるということまで読むかという感じですね。

何も考えずに見ると、最後まで赦しをこえばなんでもやっていいと思っているようなどうしようもできないかわいそうな男(中盤少し後ろでロドリゴが心の中で呟くセリフが確かそう)ですが、「自分は生きる」という意思を最後まで捨てない人でもあるわけで。自己と信仰をどちらも貫いた特殊な人物だったな…と思いました。


まとめとして

日本という土地柄なのか。人柄なのか。何が原因でこんな迫害が起きたのだろう…と少し考えさせられました。

また、それでもなお信徒のために日本に赴く宣教師の姿がこれまた宗教の奥深さというか。そういうものを感じさせてくれました。とにかくもう少しこの時代の迫害や、今もある日本独特の文化を調べてみようと思いました。


2, 今日のインプット

映画:「パッセンジャーズ」

これもまたよかった…なるほど。そういくか。という感じでした。


記事:以下


記事じゃないけど。これもまた深い…


3, 今日の学びと思考の深堀り

今日は残業学という本を読み進めてまして、その中で学習棄却(アンラーニング)なるものを知りました。そして、このアンラーニングは周りからのフィードバックが大事ということも。

この残業学も学びが深いのでまたいつの日かまとめたいです。

4, 今日の雑談

今日は、卒業旅行第1弾最終日でした。

倉敷のホテルスタートで、美観地区を散策。最後に兵庫、元町で晩飯を食べてゴールでした。

毎日4食くらい食べてた気のする日々でした…美味しいものが多いのも悩みものです…


5, ざっとツイートまとめ

広告がこうやって変わっていくと社会が動いてる感がありますよね…


モーメントもたまに更新してます。

日曜日のみ
6, 今週の振り返り

・思い出に残る写真を取りつつ、観光をする。
→達成。写真満点の記事を今週は書きたい。

・美味しいものをたらふく食べる。
→達成。やりすぎた感すらあります。

・映画5本
→達成。「3月のライオン(後編)」「最高の人生の見つけ方」「レディプレイヤー1」「ショーシャンクの空に」「オールユーニードイズキル」「パッセンジャーズ」の6本。

・本2冊読了
→未達。またもや4冊くらいをかじり読みしてました。もうちょい目標下げる。もしくは時間を取っていきたい。


今日はここまでです。今日も呼んでくださり、ありがとうございました!!

また明日もよければ読みに来てください…!!


サポートしていただいたお金は旅の資金にさせていただければと思います。新しい刺激をもらいにいろんなところを旅したいです。