見出し画像

「当たり前」は差別を正当化する言葉

今日はぽんずさんのnoteをみて思ったことについて。


当たり前という言葉を使うとき、使う側にとってはどんな意味が含まれてるんだろう。と思った。

当たり前とは、この言葉を発する人にとって持ってるスキルであったり知識であったりするもので、それを身につけているのは世間一般の人全員が身につけているだろう。という思い込みからくるのではないか。と思った。


言葉を発する人が知らない物事や能力に対して、「これは当たり前のことだから。できるようにしといて。」とか言わない。その時点でやっぱり自分が優位であるという前提がある気がしていて、それは発する人がもともと身につけていて苦労しなかったことにたいしてかもしれないし、自分が先にその環境(仕事場など)にいることでたまたま先に身に付けることができたものかもしれない。

そういう風に捉えた時、当たり前という言葉の怖さを感じてしまった。

自分と他者を比べた時に、差別をしていると感じることなく、差別することができる魔法の言葉に感じたからだ。「当たり前じゃん。」って言った時に、それが自分にとっては簡単だけど相手にとっては簡単じゃないものだったり、ただ、先に始めたから知ってるだけのことだったりしないだろうか。


それを考えた上で「当たり前」という言葉を使っていけたらなと思う。というか「当たり前」という言葉を使わずに、その人にとって苦労することなら応援して、できたら一緒に喜んで、また先に始めているのなら積極的に導いたり教えたりする姿勢でいろんな人と関わっていきたいと思いました。


#note感想文
#思考

この記事が参加している募集

note感想文

サポートしていただいたお金は旅の資金にさせていただければと思います。新しい刺激をもらいにいろんなところを旅したいです。