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理系と文系の壁

「理系」
僕はこの言葉が嫌いだ。
理と文に分ける意味が分からないし、
分けられたあげく生まれるのは差別と違和感。
理系はああだこうだと文系には一線を引かれ、
理系は理系で文系なんてと見下したりしてるやつもいる。

僕は高校へと進学する時、理系の技術者を育てる高等教育機関(大学と同じ)である高等専門学校(高専)に入った。
理由は簡単。理科と数学が得意で好き。
実験とか16歳からバンバンできる学校なんて、他にないから。
でも入って思うのは、高専というのは、僕が見る限りあまりにも「特異な空間」であるってこと。

僕は他の高専のことが知らないから、自分の高専の話をする。
まず、入学できるのは各クラス(学科)40人だけ、それが5クラス(学科)だけ。
つまり、毎年約200人しか入学しない。
規模の大きさは全校生徒1000人弱。(自分の学校の場合)
全国の高専合わせて60,000人弱。
日本大学の全校生徒が約7万人で全国トップで2位が明治大学で5万5000人くらいだから、1.5位。
全国でやっと大学に対抗できる人数しかいない。

また、5年間クラス替えなし。
なぜなら、各クラスで学ぶことが違うから替えることができない。
小学校の次に長い年月をどんなに嫌な奴とも一緒にいなくちゃいけない。
もちろん中学の時に高専を見つけて、入った奴らは言ってみわば存在が特異で、面白い奴が多いし、グループを見つければ楽しい。
でも、入学当時から40人のうち7人消えた。
2人は進路変更。1人は留学で1個下。4人は単位が足らず、1個下。
集合写真見たらわかるがこんな感じになる。

画像1、2(集合写真)を載せたい(が許可を取っていないので載せない……)

時間割は3年からほぼ専門
高校3年の歳で、大学1年のような科目ばかり受けている。
授業時間は1年から4コマ90分授業。(下の画像は1例。3年生からこんな感じです。)

高専は16歳から実験など実技も取り入れられるのは確かに長所だ。
しかし、その代償として先生が教員免許持ってない研究者(博士)だったりするので、当たり外れがすごい。
実技がある分、文系科目を減らしすぎて文系に対する理解が薄い奴が多い。
1年生から単位取るには60点以上。常に留年のストレスにさらされる。

出来上がるのは点だけ取れるようになった、中身スカスカ人間。
好きなことを突き詰めて、代償として成績はそこまでの、変人。
最後は要領よくどちらも兼ね備えたすげーやつ(天才)。

たまにいる「高専凄いよね!専門知識が……実験のスキルが……」という褒め言葉。
そんな時、僕が思うのは
「それは高専の中の天才だけですよ。」
「払った代償はあまりに大きいんですよ。」ということ。

入学から7人消えた話。人によっては捉え方が違うと思うので言いにくいのですが、これは入学した時から突きつけられた言葉通り。
その突きつけられた言葉というのが
「卒業する時は大体、この200人のうち、1クラス(40人)はいなくなる。お前たちはそうはなるな。」
中学の時には教えてくれなかった事実。戦争の赤紙ほどではなくても、凄まじい通告。
入ってから教えるなよ!!って正直思った。今も思っている。
なぜなら僕は通告通りの最後の1人。
留学するために休学するからだ。
将来を考えるために休学するからだ。
でも、そうはなるなって何?それがいけないことなのか?

なぜ、「そうはなるな。」になったのか。それは理系と文系という分け方からくる問題でもあると思う。
僕は理科と数学が好きだった。
でも、親が毎日ニュースを見て、新聞を読んでいて、その横でいつもいた僕は社会も得意だったし好きだった。
今、僕は進路にとても悩んでいる。高専生の王道を進むか、変人として突き進むか。

考えるきっかけになったのは、僕の元同級生で進路変更した人たちを見たから。
彼らは、高専に入った後、何かしらの違和感を抱いて、違う道に進んだ。写真の道。俳優の道。観光の道。……
彼らは成績が悪かったわけでもない。(もちろんついていけなくて違う道に進む人もいる。)
でも、そうじゃない。成績が常に良くて、このままいったら有名な国立大学行くだろうなって思ってたやつも違う道に進んだ。
彼らはとても楽しそうだ。そして、感じるのは彼らこそ、高専生のあるべき姿ではないか?と。

高専生はあまりに大きな代償を払う。失うものが多い。
得られるものも多いが、その差は凄まじい。
しかし、彼らは高専生としても生活し、悩み、真剣に考えて違う道に行く覚悟を決めた。
こんなにも考えるのは、高専じゃないとできないだろう。
また、王道としての人たちとも触れ合っている。両方の見方を身につけているのだ。肝も据わっている。
最強じゃないか。
その代表格といえばやはり紗倉まなだと思う。最強。
AV女優と作家という、どう考えても無理だろ!的なことをやってのけているし、やはり芯がすごい。

僕はメディア、文学も好きだし、興味がある。
そんな時、高専の友達に言われるのは
「でももう無理じゃない?」
「今更?」
本当にそうなのか?中学で覚悟を決めなければいけないのか?

いや、そうじゃない。今の高専の風通しの悪さ、これが全てだと思う。
いい面しか分からないような情報の少なさ。
最近はtwitterで活発的にネガティブキャンペーンをしてる奴らもいる。
ツイートは勝手に拝借したものなので、苦情受け付けます。

こんなことしか思えなくなった原因もまた、彼らが高専に不満を抱いているからだろうし、
それを変えられないと思っているから。

理系とは何か?
こう考えたときにイベントで聞いた第1屋製パンさんの商品開発の方の言葉が響く。
(1つの開発に平均で時間は3〜4ヶ月。試作品は40回くらい食べるそうなのだが、こんなことをおっしゃっていた。)
「パンは嫌いにならないんですか?」という質問に対して
「私は農学部で乳業の研究をしていたので、乳業関係に就きたかったし、パンも元々好きなわけではなかった。
でも、20年も働いて分かったことなんですが、おかしくなってくるんですよね。
さらにおいしくできるんじゃないかと思ってしまう。だから、パンを食べ続けるんです。」
この姿勢こそがポジティブな理系。研究者。探求者ではないか?と思う。

いわゆる文系という道に進路変更したやつのほうがよっぽど理系じゃないか?
今のままだと、理系でも文系でもないやつじゃないか?
理系と語るなら、また違和感や不満を抱いたらなぜそうなのかを考えるべきだ。
「なぜ、高専生はドロップ組が多いのか?」
   情報が少なすぎるからじゃないか?
「なぜ、こんなに高専が辛いのか?」
   勝手に高専を決めつけて、視野を狭めていないか?

もちろん、中学の時からしっかりと意思を持って入学して、すごいと言われる高専生もいます。しかし、そうじゃない人たちもいることを知ってほしいです。

高専生は変人ばっかだし、なんでも出来るはずなんです。
だから、高専生が集まって情報収集・情報発信しましょう。
文系だとか理系だとかそんな区別は必要ない。
文系っぽいこともやるべきなんです。
いろいろなことに、探求者として、挑んでいく。いきたくありませんか?

最後らへんは無理やりメディア発信につなげましたが、そういうことなんです。


サポートしていただいたお金は旅の資金にさせていただければと思います。新しい刺激をもらいにいろんなところを旅したいです。