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突然の別れ

ある金曜日の夜中。

呑気に旦那とYouTubeを見て過ごす至福の時間に1通のラインが届いた。

真夜中のLINEに大抵良い内容はないと思っている。夜中のテンションは人の気持ちをあらぬ方向へシフトしたり、余計な闇に入り込んでしまい物事を悪い方向へ向けがちだからだ。

気になって開くと、思った通りその内容は心躍るものではなかった。

「突然ですが離婚します」

 彼女とは若い頃、20代も前半のアパレル時代に出会った。彼女は派遣社員として地方からやって来た、まだ少し方言の残るその喋り方と気の強そうな眼差しが印象的なまだ女性というにはほど若い、女の子であった。

その時はまだお互いに独身で、お互いに若く、年も近いということですぐに意気投合し、よく遊ぶ中になるまで時間はかからなかった。

もぅ10年近く前の話だ。彼女は当時まだ22.3で私は25くらいだったと思う。もぅ決して子供ではないけど、大人にもなりきれず、恋に仕事に遊びにファッションに、1番色んなことに興味があって、若くて楽しくて、キラキラしていたあの頃。ありがちな恋愛に頭を悩まし、ありがちな悩みに涙したり、ありがちな喧嘩に傷ついたりしながらも大人として、社会人として、必死に生きていた。

彼女は涙脆く気が強い子だった。そして私にはない優しさを持っていて、きっと温かい家庭で育ったんだろうな、と思わせた。長年付き合っていた彼氏と別れ、この世の終わりかと思うくらいに泣いて1人じゃ夜も過ごせない程落ち込んだ日々があったことも知っている。その後今の旦那、(もうすぐ旦那ではなくなるけど)と出会い、子どもをもうけ、もちろんその間に私も私で色々あって、今ではお互いに結婚して、家庭を持って、たくさんの時間を共有してきた。

どんなにたくさんの時間を共有しても、思いを分かち合っても、所詮は他人である。例え家族であっても当事者にはなれない。経験してない以上その痛みを完全に理解することは不可能である。

けれどそのLINEを一目見て、私の心は暗いモヤがかかり冷たい雨が降り出した。

他人の力に少しでもなれたら、誰かのために何か出来たら、人の苦しみに少しでも寄り添えたら、そんな思いから看護師になったけど、未だに分からない。

きっと想像以上に辛いことがあった彼女に対し、自分は何が出来るのだろう。友達として何かしてあげられることがなにがあるのだろう。

結局は悲しみに寄り添い話を聞くことしか出来ないのだ。

今まで彼女と過ごした様々な日々が走馬灯のように頭の中を駆け抜けて、苦しくなった。

人はみな幸せになりたいと願いながら生きている。自分の幸せだけではなく、家族だったり大切な誰かだったり。だけど人生は願うだけでは思い通りにいかない。大抵のことは上手くいかなくて、思い通りにいくことなんて数少ない。人生の大半は思い通りにいかないままそれでもなんとか帳尻を合わせながら色んな思いに折り合いをつけながら、大丈夫だと言い聞かせながら過ごしてく。

そんなこと、とっくの昔に気付いていたはずなのに。

離婚という選択を下すのは勇気があることだ。けれどその選択をした瞬間から、新たな人生の幕があける。一般的にネガティブだと取られがちな選択をしたときは特にそうだ。不幸になるための選択はない。今以上に幸せになる為にその選択をしているだけだ。

誰かと共に幸せになるではなく、個々の幸せをもっと追求していくことが必要となる時代だ。他人と築き上げたものは他人の意向次第ですぐに崩れていく。人間の心は移ろいゆくもので、はかなく統一性がないからだ。

そんなことを考えさせられる秋の夜長に。

とにかく言えることは、大切な友人と、大切なその子どもに、どうか強く、生きて欲しい。
ありがたいことに、30も半ばになると、大抵のことは上手くいかずともなんとなくなんとかなるものだということも知っている。

いつか振り返ったとき、あの時の選択は間違ってなかったと言える日が来るように。
大丈夫と、彼女に、自分に、言い聞かせながら。






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