御殿山みなみさんに送った自選50首(2019.06.15)

御殿山みなみ(ひざみろ)さんの自選50首評キャンペーン(?)に乗っかってお送りした自選50首を公開します。上記の日付は、ひと月間違えているのではなくて、ひざみろくんに送るために私が自選した日を示しています。

・御殿山みなみさんによる50首評はこちら↓

紫陽花を今年は何処で見るのだらう単色刷の街に暮らして

夕焼けに続きの言葉見つからず君はひとつの衝立である

あの夏の夢でわたしは君だつた歩道橋から鳥を見てゐた

後輩の評論を読む 傍点を付けたら良いと思つてゐるだろ

あの頃に戻りたいとは思はないさうすれば父がもう一度死ぬ

こそばゆい記憶を歩く過去形の語尾をしづかに飲み下しつつ

約束は遠くの国へ出す手紙ローザ・ルクセンブルクの小指

返答を思ひ付かざれば飼ひ犬の胸のあたりの癖毛をなでる

人はきつとゆつくり死んでゆくのだらうゆつくり生きてゆく為に死ぬ

欲望も願望も展望もない 家賃は明日引き落とされる

長すぎる影は栞になるだらう夏は未完のままに過ぎゆく

筆跡の乱れの脇にルビは振られ死後とはこゑのないパラグラフ

君はまだ通り魔のやうな呼吸だね 今そこで割れてゐる団栗

祈りにも暗い濁りのあることを君は焚き火の目で告げてをり

てぶくろを雪にうづめることばかり考へてゐた それほど赤い

やがてわれも人間をやめる日を迎へとぎ汁のごとく流れてゆかむ

バス停がいくつも生えてくるやうな雨だねきつと海へ向かふね

水ぶくれくらゐの過去でよかつたらあげるよ僕はもうゆるさない

読みさしの詩集のやうに街があり橋をわたると改行される

声はもう焼け跡だから 仕舞つてもいいよやさしい晩年なんか

かつてここを市電が通つてゐたらしい始発の似合ふ川べりである

暗殺をのちに忌日と呼び換へて年譜にくらく梔子ひらく

笑つたはうがいいと思つて空を見る 僕は雨宿りに慣れてゐる

楽しかつた楽しかつたと言ひながらまたしても湖底に帰つてしまふ

海老天のしつぽくらゐの寂しさで君は電話を掛けてきたのか

バック・トゥ・ザ・昭和つていふ顔をして来週もまた観て下さいね

まだ届くやうな気がして手をのばすそしてくりかへされる花冷え

何だつて揚げてしまへばコロッケになるんだ春に来る憎しみも

あの辺に雲の終はりがあるといふ定説 もつと断罪したい

巡礼の終はりに出会ふゆふだちにふたりひらがなのやうに笑つた

ゆるせ、とは生者の言葉 いちめんに贄なる花の諦観の充つ

落涙の前ぶれとして微笑めばわれにこの世のひかり眩しも

なんとなく知つてゐる葬列のごときものわが耳に来て耳より去りぬ

どうしても冬は呼吸が遠くなる 肺が吹雪いてゐるのが分かる

傘同士すれ違ふとき片方が高く掲げる雪もろともに

寒いのはおまへだけではない等と云ふ、出て行つた癖に偉さうに

奪はれてもうばひかへしてしまつたらおまへの顔のわたしが笑ふ

卵入り納豆ごはんかき込めば箸はかなしく軽やかに鳴る

ふくらんでゐたのはひかり はつなつの風より奪ひかへすカーテン

哀しみは少し遅れてやつてくる旋律はやがてヴィオラに降りて

言ひよどむ仕草のうちにわれはいま他人であると気づかされたり

泣いていい時に泣けない 午後の陽はレモンケーキのうへに傾く

水鉄砲持ちゐし頃に出逢ひたるうすき翅ある人のまぼろし

八月の打弦わづかにくぐもればアップライトに交差する雨

にんげんのこゑは背骨を狙ふから削ぎ落したるみづからの翅

わたくしの傷は旨いか 薄氷を踏みぬけば満たされて おまへも

夕刻に花火大会待つ人のブイヤベースのごとく混み合ふ

フリスビー咥へて持つてくる犬に似てゐる、距離の取り方が変

全身に目玉のひらく感触のまひるせはしき新宿駅は

汽車といふ言葉は北へ向かひつつ雪にまばゆしモノクロの渡河


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?