企業文化が「宗教」から学べることは一体何なのか?|企業文化デザイン論

行き過ぎた慣習や偏狭的な熱量は、時として「宗教」と呼ばれる。

それは「企業文化」というコンテキストにおいても同様で、パッと思いつくもので例を挙げればGMOさんで行われるスピリットベンチャー宣言の唱和は、定められた"教典"や"戒律"そのものだけでなく、唱和という"儀式"も合間って「宗教」的な輪郭を見るものに意識させる。実際、創業者の熊谷さんは宗教的な要素を意識的に取り組んだとも明言している ーーー。

そう、企業カルチャーと宗教との相似性はいつだって付きまとう。付きまとうどころか、そのリンクポイントに何か重要な意味があると真に思わせる。なのであれば、本質的に「企業文化」と「宗教」の違いは何で、企業文化が「宗教」から学ぶべきことは何なのか。今回はそれを少しばかり解き明かしていきたいと思う。

前談|「宗教」とは何なのか。

「企業文化」との対比で「宗教」を観るのであれば、まず「宗教」とは何かを定義しなくてはならない。「企業文化」自体が何なのかはこちらにまとめているので今回は割愛する。

また、私は宗教学の専門家ではないし、ましてや特定の宗教に強い信仰があるわけでもないので、個々の宗教に対して突っ込んだ考察は差し控える。ここではあくまで「宗教」というものが持つマクロ的な特徴をクリアにしておきたい。

濃い宗教と薄い宗教

まず一口に「宗教」といっても濃い宗教と薄い宗教に分けられる。個人の強い信仰に由来した濃いものもあれば、その土地に根付いた文化的な慣習レベル薄いものまで。

また「宗教」の数も挙げればきりがない。ビッグネームどころとしてはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教に仏教、道教、神道など。それぞれに教えがあり、それぞれがある種ローカル的な特性を持ちながら生まれ、結果的に交錯しながらも各々が世界中に広まっている状況だ。

宗教にはそれぞれに「ストーリー」があり、それを軸にした信者による「信仰」が存在する。キリスト教であれば旧聖書/新約聖書に記されたイエス・キリストのストーリーが軸となり、キリスト教徒は祈りや礼拝を通じて神の正義を追求する。

ただ先ほど述べたようにその「信仰」には人々によって程度の差、濃い薄いのボラティリティが存在し、どん底からの救いを求める強い信仰もあれば、日々の習慣レベルの薄いものまで様々で、具体的に一意に定義することは難しい。

つまり、「宗教」を一意に簡潔に定義するのであれば、かなり荒い解像度で次のような輪郭を提示する以外にはない。

宗教とは:
ある特定のストーリーに対する信仰に基づき、個人的もしくは集団的な日々の行動や習慣、儀式を通じてより良い個人や集団、世界を追い求めるもの。

結局これは、私が企業文化として定義する

企業文化とは:
その企業が信じるもの、そして
それに基づき判断/行動することの全て。

と概ね同じことを指していると考えて問題ない。

また、我々人類(すなわちホモ・サピエンス)の生い立ちまで遡れば、あらためてその起源は極めて一致する。
つまりある特定の種が一定規模の集団を超えて中長期で存続するためには「虚構」が必要だからだ。物理的に存在し得ないものをあると信じ、そこに自己の肉体や精神を重ねるからこそ、その「想像上の現実」が共通の「信仰」となり、長い年月をも共通の思想で形作られた想像上の集団が生き続けることができる。

「企業文化」と「宗教」の違い

別の角度から見ていこう。ではマクロで見ると同じ定義になる「企業文化」と「宗教」は、一体何が異なるのか。

1. 神の存在

まず「宗教」という言葉の耳障りを非常によく表しているのが信仰の対象である「神」という存在だ。概ねどの宗教にも一神教や多神教の違いはあれど「神(や仏)」という「信仰の対象物」が存在しており、彼らが語るストーリーにある意味でのリアリティと没入性を生み出している。

一方で「企業文化」で「神」が語られることはほとんどない。某IT企業のコアバリューに「数字は神より正しい」というものがあるが、これは当然概念としての全知全能な優れた対象物を、さらに超えるものを表現するために比較対象として「神」を用いただけである。ただ、その「神」を超える存在の「数字」という存在こそが、これを掲げる企業文化にとっては概念的に「神」と同等のものなのかもしれないが...

ともかく、こういった「神仏」の世界を「聖」と呼び、日常の世界を「俗」とした聖俗二分法が「企業文化」との大きな違いのひとつだ。

2. 宿る箱と規模感

企業文化は「企業」という箱に宿る。大半は株式会社という法人で、ビジョン/ミッションに基づいた事業で利益をあげることによってステークホルダーに報い、競合に打ち勝ちながら社会にインパクトを残し続けることを命題とする。資金がショートしたりしてその箱に収まるべき人が解散してしまえば、そこに存在していた企業文化も消滅してしまう(厳密には、同様な文化が人を通じて他の会社で生き続けるというのは大なり小なり存在する)。

他方、「宗教」は明確な箱がある場合もあるが、例えばメジャーな宗教はそれが収まるべき明確な箱はない。その特定のストーリーに信仰する人々が絶えない限りは、その宗教も存在し続ける。良い意味で箱の制約がないことで、信仰さえあれば"人類の総数を上限に"拡大し続けるができる。数字的具体性で語ると、最も信者の多いキリスト教は20億人と言われ、深さよりも広さのインパクトが「宗教」とうものの本質を形作っているようにも思える。企業という箱における現在の最大値はウォールマートの230万人なので、いかに「宗教」という存在の拡張性が高いかが理解できるだろう。

3. 時間軸

キリスト教の起源は1世紀、仏教にいたっては紀元前5世紀まで遡る。当然長い年月を経てそれぞれの宗教はマイナーチェンジや暖簾分けを繰り返してはいるものの、企業の命題がGoing Concernと高らかに宣言したとて、宗教の永続性の前では企業文化の存在感は一瞬で霞んでしまう。これだけ長い年月をかけて、人類が語り継いでいるのが「宗教」という存在であり、言葉を選ばずに言うと、進化において「虚構」を拠り所とする我々人類にとって強烈な中毒性があるという理解が成り立つ。

「宗教」の構成要素から、「企業文化」が学ぶべきもの

ではあらためて、そんな「宗教」から「企業文化」が学ぶべきものは何だろうか。まずは「宗教」を形作っている構成要素別に深掘りしていく。

戒律

戒律(かいりつ)とは神仏と交流するためのルーチンと呼べるものだ。酒を飲まない、豚肉を口にしない、など宗教によっては様々だが、日々の行動に対する戒めを自らに課すことによって、神仏との交流や信仰の深さ、そして本質的にたどり着きたい境地へと誘う手助けをしてくれる。

企業文化において戒律と相似形を成すものとしては「コアバリュー 」の存在が想像に難くないだろう。企業体が最終的に実現したいビジョン(宗教における神仏への境地)を実現するための日々の戒律という建て付けがあらためてしっくりくる。人間は放っておくと怠けてしまう生き物である。楽な方、自然な姿勢へと力学が働く。しかし、何か大きな事を成し遂げようとする場合、日々の行動レベルから目線を上げ、レベルを上げ、自然法則に逆らうような高いプレッシャーを自らに与え続けなければならない。また、もっとミクロなレベルでの行動指針もこのコンテキストに含まれる。今風に言えばSlackではDM禁止、休日mention禁止、などはその会社のカルチャーを維持する戒律となりうる。

そういった、個や組織の放っておいたら易きに流れるものを引き締めるという視点は、コアバリュー(戒律)の外せない要件仕様と考えることができる。

儀式

毎日5回祈りを捧げる、日曜日は教会へ赴く、祈りの際は定型文を必ず唱える。など宗教には儀式がつきものだ。「儀式」は形のない宗教/信仰を、身体活動を通じてより手触りを与えてくれるもの、と言って良いだろう。また、月や年の周期で行われる「祭」も宗教上たいへん重要な意味を持つ。神仏を表現した対象物の周辺で行われる儀式のフレームワークやその後の宴は、その信仰のボルテージを最大限に高めてくれる

同様に、「企業文化」も形は無い。無形であり無味無臭だ。そんな無形なカルチャーという存在を集団として日々意識し続けることはたやすい事ではない。だからこそ、企業活動において毎日、毎週、毎月、毎年、その「存在」や「手触り」を思い出させる、感じさせる企業独自の儀式が必要なのだ。

この点に関しては、実際日本企業は比較的取り入れてきた土壌がある。例えば毎週もしくは毎日実施される「朝礼」、これは単なる社内の情報共有以上の意味を持つことは、感覚としても実感としてもご理解頂けるだろう。定期的に実施される社員総会で実績や文化の観点で表彰を行ったり、その後の宴での無礼講や仲間同士で絆を深め合う様はまさに儀式としての「祭」そのものである。

こういった儀式を通じ、言葉だけでなく身体活動や空気というメディアを通じて「企業文化」を定期/不定期で組織に染み込ませていく所作は、一見地味のようだが決して侮ることはできない。

教典

信者がそれぞれ何を信じているのか。そのストーリーが記されているのが「教典」だ。聖典、教典とも呼ばれる。口頭ではなく、文字によってその教えを書き残し、後世へ伝えていく大きな役割を担っている。内容的には先に示した戒律なども含み、複合的な構成になっていることがほとんどだ。

人の噂がそうであるように、言い伝えだけではどうしても真意が途中で曲がってしまったり、違う解釈をされてしまったり、本来意図していなかった使われ方をしてしまう。だからこそ、解釈の余地がなるべく一意になるように文章で記すのだ。「企業文化」も同様に、基本テンプレートであるミッション/ビジョン/バリューはもちろん、戒律に該当するような行動指針まで、広く正しく伝えていくには明文化が必須である。
あえてわかりやすい事例でいうと冒頭に挙げたGMOさんの「スピリットベンチャー宣言」はまさに戒律も含めた教典のサマリ的な文章だ。
これを朝会で唱和するという儀式で血肉化していく

「宗教」から学ぶべき、永続性の本質

以上はどちらかというと表面的なものと言っていい。コアをガッチリ外側からサポートするような筋肉のようなものだ。見た目には分かりやすいし、真似しやすい。

しかし、本質はインナーマッスルである。宗教を形作るインナーマッスルは一体何なのか、1歩踏み込んだ考察が必要だろう。

先に述べたように、ビッグネームの宗教であれば軽く2000年以上存在し続ける、人々を魅了し続ける本質はどこにあるのか。戒律や儀式は、あくまで信者が神仏へ近く/交流するための手段であり、この永続性を説明する本質ではない。

結論から言うと、私は「回心」というものにそのヒントがあるのではないかと思うに至っている。では「回心」とは、一体何なのか。

冒頭に濃い宗教と薄い宗教に関して触れた。個人の強い信仰に由来した濃いものもあれば、人類の文化的な慣習レベル薄いものまであると。濃い宗教体験、濃い信仰に至るにはある一定の前提条件が存在する。それは精神的なものでも肉体的なものでも、その他何らかの内的、外的要因によってその人の人生が大きくマイナスに振れている状態だ。マイナス、というのはネガティブな表現となってしまうが、要は「どげんかせんといかん」という状況であることだ。

その際、我々には強い信仰が必要になる。それは

「希望」

だ。明日には良くなる、きっと解決策が見つかる、今の苦しみは乗り越えられる。そんな根拠のない「希望」を信じて、その「希望」を様々な精神的/物理的アクションによって「現実」へと手繰り寄せる。そんな強烈な大逆転劇に救いとなった「希望」という形で、「宗教」が存在したらどうだろうか。その結果、暗闇のトンネルから一筋の明かりを見つけた時、「回心」が起こり濃い信仰が生まれる。各宗教のディティールではなく、あくまでマクロにみると「回心」とはつまりそういうことだ。
ちなみに、「回心」の語源は英語で conversion である。

その人生の土壇場で見たもの、聞いたもの、判断したこと、行動した結果。その全てが強烈な血圧を伴って全身を駆け巡る。"あちら"にいた心が、いつのまにかバタンと大きな音を立てて"こちら"に転換する。その体験こそが、強いカルチャーになるのだ。雨が降って、地が固まるのである。


企業文化に見る、「希望」と「回心」と「濃い信者」

企業こそ希望だ。

実現したい世界があるから、手に入れたい果実があるから、誰かを救いたいから。広さや角度は様々だが、すべてにおいて、そこに無いものを集団的努力によって手繰り寄せようとする「希望」が出発点となる

つまり、どの企業にも希望は存在していて、二つとして同じものはない。しかし、一度その唯一無二な「希望」を強烈に意識し、救われ、体現した人は、「回心」する。つまり、その企業文化の「濃い信者」になるのだ。

ひとつまとめるとすると、

「企業文化」を強める秘訣とは、希望だ。
強く願うものを実現するために、その希望と現実の差分をリアリティを持って埋めるために、人は何かを信じ、誰かと共有して、その希望を必死に集団的に手繰り寄せる。そこに生まれるのが文化であり、絶望が深く、希望が尊いからこそ、強い文化が生まれる。

また、そんな希望という果てなき大陸を目指した大航海において、全員が濃い信者になるわけでは、残念ながらない。つまり、回心が起きる人もいれば起きない人もいる。誰を船に乗せるか、というのが重要だとすれば(超重要なのだが)その船に乗せるプロセスで回心が起きてしまうのが最適だ。回心が起きた人だけ、乗せればいい。

つまり何が言いたいかというと、
「濃い信者」こそ「企業文化」を強める最も重要なキーマンであり、かつそれは企業においてスーパーレアキャラなのだ。

「濃い信者」は、どの会社にも必ず会社のどこかに存在する。大抵は重要なポジションで活躍し、上から信頼され、下からも慕われている。しかし構造的に板挟みになるケースが多く、心のHPは常に大きく削られ続けている。組織の噛み合わせを左右し、360°から荷重を受け止める駆動装置となっているのだ。

しかし「濃い信者」は信じられないぐらい「企業文化」に対してポジティブなエネルギーを発する。頼んでもいないのに前線で勝手に布教活動をし、背中で戒律を実践し、信仰のためなら自己犠牲も厭わない。一見すると定量的なパフォーマンスに乏しい信者もいるかもしれないが、企業文化を担うとはそういうことなのだ。なぜならカルチャーの本質は短期的定量的に結果が出るものではない。

「宗教」から学ぶべき、本質はここにあると思う。

「企業文化」を強めたいなら、

「濃い信者」を探し出し、もしくは自分こそ濃い信者になり(経営陣こそ全員がそうあるべきだが、そうでないケースが意外と多い)、彼らの心のHPを最大限にケアしながら、そこをグラウンドゼロとして全てを動かしていく。そのコアを担保した上で、筋肉となる教典、儀式、戒律で外堀を埋めていく。手触りの無い企業文化を、真に感じれるものにしていくのだ。

順番を間違えてはいけない。まずコアが大事であり、そのあとに外堀である。

ーーー

最後に、「宗教」のアウトラインを掴むのに非常に有意義だった参考文献をご紹介しておく。文字通り教養として、宗教のアウトラインを理解しておくと世界情勢含から企業文化含め、本当に色々な事に役立つ。

著者:冨田 憲二|Kenji Tomita

東京農工大学修士ビークルダイナミクス専攻 > USEN > VOYAGE GROUP > genesix創業/取締役 > SmartNews創業期メンバーから人事責任者/現Adviser & Runtripなんでも屋

Twitter:@tommygfx90

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Kenji Tomita | tommygx90

東京農工大学修士ビークルダイナミクス専攻 > USEN > VOYAGE GROUP > genesix創業/取締役 > SmartNews創業期メンバーから人事責任者/現Adviser > Runtrip, Inc 取締役

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