武道家の癌克服日誌

              突然の入院
病の方から逃げていった自分の身体に異常を、感じたのは黒く臭い便が出たときだった、
『少し、疲れているのかな』程度におもっていたのが、16 日の金曜日、自分は空手の師範
を、生業とする還暦男だ 
道場はエレベーターなしの 4 階
この日はいつものように一気に駆け上がることができない、初めて経験する酷い貧血、
エクササイズの仕事を片付けて、消化器科の病院へ 
『胃炎ですね、出血シテイルカモシレナイノデ、紹介状書いておきますね』なぜがインド
ぽいドクターの判断で薬をもらう、飲むとお腹の痛みも消えて、一安心していたら、左
腕か痺れてきた、まさか、脳梗塞再発? 五十代の初め脳梗塞になったが、全く運動機能
は変わらず、若い奴とガンガン殴り合ってきた 
以前、お世話になった森山記念病院へ行くと、昔、お子様が弟子だった ID 先生が、至
急、MR を撮ってくれる、『脳梗塞再発ですね』
ガーーーん、またかよ!
人生とは、やはり要所要所で、借金払わなければならないのだなと思い 
即日入院、前と変わらず痺れはあるけど運動機能は変わらずなので、安心して、ゆっく
りしていたら、外科の先生が、余り良い知らせではない表情で入ってくる、
『重松さん、短刀直入に申し上げます、肝硬変から肝臓癌が見つかってしまいました』

             一時退院しました
あんなに元気に毎日稽古をしていたのに、突然の癌宣告、一時は落ち込みましたが、よく
よく考えてみれは、これも必然なのだと覚悟を決めました、同じ江戸川区に住む水泳の
池江璃花子さんは血液の癌である白血病を克服して、見事東京オリンピック代表を、勝
ち取りました 
自分も負けてはいられません
肝臓ということで、最悪な癌ではありますが、武道家として厳然と立ち向かう覚悟はできました 
現代において、癌の 10 年延命率は 60 パーセントを越えているそうです 
その、六割に俺が入らない訳がないと心から決意し戦って行きたいと思います、取りあ
えず、大好きな愛犬ヒロと行船公園を、散歩しました

           みんなに心配をされました
癌と分かり、このまま隠してもいつかはバレるだろうし、松栄塾を維持するには、みんなの 協力が必須だと考えた自分は、取り敢えず入院先から携帯の LINE オーディオ機能を使って 
一般部の弟子達に病名を伝えました。さずが2人に1人が癌で死ぬ恐怖の病名を聞き みんな言葉を失ったおりました
「俺は超人だから、絶対治して現場に戻るからな」「押ーー忍」
毎週月曜日、稽古に来てくれている元修斗世界ヘビー級チャンピオンのエンセン井上さんにも お伝えしました かつて弟分であった山本キッドさんを癌で亡くしております。また大和一族の 
中にも癌で亡くなった方もおり、大変に心配をしてくださいました。 
「エンセンにできる事があったら、何でも言って」と励ましてくださり、同行されているセラさんや RIZIN 戦士スダリオ剛さんも大変に心配をしてくださいました。 
WBF 世界クルーザー級チャンピオンの西島洋介さんは「まさか、先生が癌になるとは」と絶句され 
「必ず直してください」と念を押されました。
退院してすぐに主要な弟子を集め宣言をしました
「俺は武道家だから、逃げも隠れもしない 堂々と癌と闘って、それに勝利する姿をみんなに見せたい 
断じて死ぬつもりはないし断じて逃げたりはしない 師範として武道家のあるべき姿をみんなに 見守ってほしい」
弟子の人たちからは昨年できなかった、還暦のお祝いと病気治癒を願ってシルバーの指
輪を 
プレゼントしていただきました、そこには「松栄塾」との刻印と「師範 重松栄一」更には 
「新しい人生の出発に」と英語で表記されておりました
そうだ、新しい人生の出発なんだと思い、この病を克服して大逆転を起こしてやると 深く深く決意致しました。

         手術の確定からセカンドオピニオンへ
森山病院では至急、対処をした方がいいと外科のドクターが、塞栓術という緊急手術を勧めてくれました。早く治して現場復帰をしなければ、松栄(空手道場)も潰れてしまう。即答で手術を決めました 
翌週の 5 月 7 日入院  8 日手術です。
この間、様々な書物や情報を集めました 一番大きく心が動いたのは、昔弟子の一人であった 
現在治療院を茨城で経営している A 氏の一言でした「医者が癌と言ったら、すべて癌になってしまう」
「世に出回っている癌の 6 割は癌ではない」との話しでした。
自分は有名な近藤教授の「患者よ癌と闘うな」も読んでいたし、一利はあると思いましたが 数年前、43歳の弟子が病院の化学治療を一切否定して、食事療法で治療をしましたが、残念ながら 
半年で亡くなっているのを、垣間見ていましたので、やはり最低限、治療は行った方がいい と考えておりました、しかし、いきなりの手術にも不安はありました。かつて松栄塾で
大変にお世話になった内科小児科の開業医である赤松名誉師範にご相談したところ「セカンドオピニオンは大切であるし、いいドクターはともかく説明上手です」とご回答いただきました。
そこで。公明党都議会議員の上野先生にご相談をしたところ「東京都立駒込病院」を御紹介いただきました。そこで様々な角度から状況を、肝臓内科部長の木村先生に所見していただきました。
まずは、自分の場合、肝臓よりも怖いのは消化器にできた静脈瑠で何かの子にこれが破裂すると とんでもない出血が起こり命に関わるとのことでした。今まで100キロを越えるウェイトを何回も踏ん張りながら、挙げたことを思い出し内心「守られていた」と感じました 
そういう意味から、とりあえず静脈瑠を止める手術をしましょうという事で、5月24日入院 
5月25日手術と決まりました、内視鏡を使った手術だからたいした事はないだろうと多寡を括っていましたが、これがとんでもなく苦しい手術でした。

           とんでもない激痛でした
上部内視鏡を使った食道内静脈瑠塞栓治療ということで、注射を使っての手術なので 
たいした事はないだろう思っていました。まず、麻酔が全然効かない、胃カメラを飲むところまでは、何とか我慢しましたが、もう一本更に太い電子工具を入れられたときは、喉に食べ物が詰まって、水を飲まないと死んでしまいそうな、状態が続きました 本当に窒息死するんじゃないかと思ったほどです。更に内臓を掴まれて掻き回されているような治療が続きます 正直、地獄の痛みでした
多分、麻酔が効いたのではなく余りの痛さに失神したのが正解だろうと思います。 気づくと病室のベットで横になっていました。それからが本当に痛みでした 喉に詰まった状態が一晩続き何度も喉に詰まった血の痰を吐き出しました、背中は痛いし、呼吸をすると肋骨は軋むしほとんど一睡もできずの朝を迎えました。これから本当の癌治療をしなければならないのに、始めからこんな感じでは、どうするんだろうと正直落ち込みました。
病に罹ると言うことは、こういうことなんだと改めて自らの運の悪さに落ち込みながら
も 
希望だけは捨てないと決意をしました。
いろんな人が応援をしてくれている、いろんな人たちが心配をしてくれている どんなに辛くとも、苦しくてもこの病と闘って行くことを、何とか起き上がれるようになり 
窓から見える東京スカイツリーに誓った一日でした。

        一夜過ぎてだいぶ落ち着きました
昨日の地獄の苦しみから、一夜明けてだいぶ痛みはなくなってまいりました。 一日休んで、また内視鏡検査と聞き、まさかまたあの苦しみが続くのではと 不安な一夜を明かしました、食べ物を飲み込むとまだ、喉につかえるような 痛みが残り、ここにカメラを入れられるのかと思うと気が滅入りました。 
ところが、内視鏡を使っての経過監査は全く痛みもなく、驚くほど、短時間で終わりました 
次はいよいよ、関ヶ原 肝臓の MRI 検査です  この検査は脳梗塞でも体験していますし 造影剤が少し熱くなるだけで、頭ならまだしも、腹部なので全く痛みも不快も感じませんでした 
呼吸の調整があるので、寝てしまうことはできませんが、常に行っている呼吸法がこういう時に 役に立ちました。
その時、ふとも思ったのです。
もしも、これが愛娘 栄麻だったら、どれだけ寂しく悲しい想いをしたことでしょう。
コロナ渦の中で、面会も叶わず1人でこの恐怖に立ち向かわなければならないことを思うと つくづく、俺で良かったと思えました 気づくと望陀のの涙が溢れ出ました、娘でなくて良かった 
自分で良かった 変な話ですが病気に感謝できる自分がいました 
両手を縛られているので、涙を拭うこともできず、ただただ、娘の笑顔を想い無事を祈りました 
そうしていたら、妻の麻衣子や今は一緒にいない先妻の娘や息子、弟や妹の顔が思い浮かび、やはり、この子達がこの様な病気に罹ったのなら、どれほど苦しんだろうと思える自分が そこにいました、弟や妹の数人とは断絶状態でこの数年、会うこともなかったのですが
そのようなことが思える自分自身になれたことに、身体は蝕まれても心は確実に高いステージに 行かれたとまたしても感謝の気持ちでいっぱいになりました。 この日、松栄塾名誉後援会長の高橋英樹会長より「天は乗り越えられる人にしか試練を与えないといいます、塾長なら必ず乗り越えることができます」とメールを戴きました。 
これからも、いろんな試練が続くことでしょうが、必ず乗り越えて行きたいと思います。

            再び退院致しました
29日(土)無事に退院致しました
火曜の手術あとには、どうなるのかと心配しましたが
なんとか、症状も治まり元気も戻ってきました。
病院のすぐ近くに「ふくの湯」という銭湯があり
どうしても風呂に入りたくなってしまい、銭湯に行きました
とても良い温泉で、一週間の疲れが吹き飛びましたが
やはりまだ本調子ではなく、五分入っただけで目眩を感じました
風呂から上がると、目の前にバス停があり「東京駅丸の内北口行き」と出ているので時間もあるので、バスに乗りました 
意外に快適で30分ほどして、駅に着きました
薬の量が半端なく、バックは4− 50キロも重さ
これで歩くのかと困っていましたが、すぐに東西線に乗れて
助かりました、西葛西駅まで娘の栄麻に自転車で来てもらい
荷物を積んで帰りました帰りに栄麻がドーナツ屋に行きたいと言うので、元の道場近くのミスタードーナツに寄りました
あれほど食べたかった「しるそば」を一緒に取り
ドーナツを一つだけつまみました。
家に帰ると妙に手足が吊るので、これはと思い、血糖値を
計ると、入院中は100前後だった血糖値が230を越えていました、これだから食生活は何より重要なんだと反省し、すぐに 
血糖値を下げる薬を飲みました
しばらくすると、落ち着いて来たので、久しぶりに道場に
行きました、人数は少なかったですが、加納さんと匠原さんが
指導をしてくださいました。
自宅に帰って、本を読んでいると、本当に今日まで入院していたのかと不思議な気分になりました。
過ぎてしまえば、どんな苦しみも忘れてしまうものだと
人間の強さに改めて気づかしてもらいました。

          子供達から勇気をもらいました
今日から6月1日です 早いもので今年もあと、1 カ月で半分が終わってしまいます 人生の中で激動の半年間でしたが、だいぶ慣れてきました
最初は自分が死んでしまうという恐怖と大切な人たちとの別ればかり考えていましたが、いまは、何があっても奇跡を興して生き抜いて見せると勇気を奮い立たせております。
今日、一週間ぶりに少年の稽古に参加しました
いつもは少ないのですが、今日に限って 18 名もの参加者があり
子供達の元気な姿に勇気と希望をもらいました
ボランティア活動から入れると 40 年近くなる空手の指導
何も残すことはできませんでしたが、多くの少年達に空手を伝えられたのが 
自分の人生の財産だと心の底から思います
今日も感動することがありました
以前にも書いた、入院したときにお花とお手紙をくれた黒帯の少年が中心になって 稽古を進めていました 組手の時間になりある最近選手で頑張っている色帯の子が 白帯の女の子をボコボコに痛めつけてしまったのです
それを見て監督責任をこの黒帯の子に問うたところ
「僕が監督をしていたのに気がつかないで、すみませんでした」と皆の前で 
謝ったのです この子は何も悪いことはしていません たまたま暴力的の子が、暴れただけのことです、その潔さ、正直な心、真っ直ぐな気持ち、この姿に皆が感動していました 
いまの後手後手に回って、反省もせず人に責任をなすりつけている政治家やマスコミにこの子の爪の垢でも飲ましてやりたいと思いました。
自分の人生の中で、こういう少年を育てられたことが最高の財産であると断言できます。

            エクササイズのお母様方
月曜日よりエクササイズに出られるようになりました、来週、抗がん剤治療が、始まるとどれだけできるか全く未知数ですが、できる限りは頑張りたいと思います。 
思えば、ボクササイズに始まったエクササイズももう、20 年やっております、多くの奥様方にご参加いただき空手の指導者だけでなく様々な指導、健康増進、ダイエット、美容、ストレス解消など共に学びながら 
続けられたことは、自分の人生の華だったような気がします、これからも安くクオリティの高いエクササイズを提供できればと思います 
体調ですが、やはり怠さは抜けませんが、少しづつ、良くなっていると 
信じて頑張っていきたいと思います。

           来週から抗がん剤治療開始します
病院から連絡があり、8 日入院が決まりました
いよいよ、癌との対決です  今日久しぶりにキッククラスに行きますと 
パーマ屋さんを経営しています峻さんがトレーニングに見えました 
峻さんのところにも、乳癌や子宮癌で抗がん剤治療をされている方が 
ヘヤーセットに見えるみたいです 女の命は髪に毛と言いますから 
髪が抜けてしまうのは、どれほどの苦しみなのでしょう。
自分は昔から、スキンヘッドに憧れていましたし、友人の格闘家達も
みんなスキンヘッドなので、余り気にはしておりません。
ただ、民生委員に行くのが少し気が引けます
西島洋介さんもエンセン井上さんもノブハヤシさんも皆、スキンヘッドが似合っています。自分は恐らく似合わないのでできたら、髪の毛は残したいななどと贅沢考えています。そんなことを考えられるのもまだ余裕があるからだなと思えます たとえ、どんなに苦しくてもどんなに辛くてもまだ、死ぬわけにはいきません 
いま、死んだら後悔しか残らないのは自分が一番知っています 
必ず今回も乗り越えて笑いながら退院したいと決意しております  押忍

             始まった抗がん剤治療
生涯初めての抗がん剤治療(当たり前か)を受けました
事前の情報によると、酷く吐き気が催し、髪の毛は抜け落ち、皮膚はボロボロになるなど 余り気が進まない情報ばかりでした。
いつも通り点滴が始まり、生体塩素水を入れられ、いつ抗がん剤は始まるのだろ?  吐くためのバケツとか、用意しなくて大丈夫だろうかなどと考えていたら 看護師さんから「はい、終わりました」とのこと「えっえっーー」 
どうやら塩素水のあとに入れた、小さな点滴が抗がん剤だったらしいです。 
「もう、おしまいですか」「はい、二度点滴しました」どうやら、ウツラウツラしていたら 終わってしまいました、今のところ副作用らしいものは、何も出ていません 「これから、酷い副作用がはじまるのだろうかな、嫌だな」と考えて、その日は終わりました。次の日、多少微熱が出たが、それ以外には、何も変わらなく、一安心しました。 
更に次の日には、血液検査をしましたが、結滞は良好とのことでした。 
また、天に守られ感謝致しました。
抗がん剤治療が 9 日水曜日だったので、金曜の検査後、退院の希望をだし 
土曜日には無事、退院することが出来ました。
今日が 6 月 16 日なので、丁度一週間経ちました。
ここまで、体力の低下は感じましたが、全くと言って良いほど、副作用は出ておりません。 
今日は久しぶりに空手着を着て少年達と稽古ができました。
つくづく、いままで普通に出来ていたことが、幸せなことだったと今更ながら感じております。 
まだ、完治したわけではないので、抗がん剤治療は続きますが、もう、入院をしないで通院になっただけでも、ありがたいと感じております。
この先、何年生きられるか、人は誰でも、わかりません
いま確実に言えることは、一日一日は大切に生き切って行くことだと実感しております。
この先、どのような運命が待ち受けていようが、毎日毎日大切に生ききって参ります。

    第一回目の抗がん剤治療から一週間経ちました                                

あれほど、心配していた抗がん剤治療の副作用は一週間たっても、全く出ませんでした、多少、微熱が出たり怠い症状は出ましたが、動けない程のものでは、ありません、本当に天に守られ感謝をする日々が続いています。多分言わなければ、自分が癌だとは気づかないほど、普通に暮らしているのが不思議なくらいです、しかし、たまに腰が痛かったり、腹痛がすると転移だろうか、再発だろうか、癌は大きくなっているのではと、考えてしまう自分がいます、そうしたときは自分を見つめ直して「病は気から」と繰り返し唱えます、これが意外に気持ちを楽にするから、不思議です、武道では心技体と学びます、技も体力も所詮コントロールしているのは心です、心こそ大切なれと言う御金言を改めて学んでいるような気が致します。ともかく、原点に戻り一日一日を大切に生き切って行きたいです    押忍


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