魂の設計

    ブラックベルト     第一章
                 1
その子——西山 健(たつる)が立っていた場所には、白い粉のような皮膚が溜まっていた。
 五歳の年中さんと聞いていたのだが、どう見ても三~四歳の幼児にしか思えない。
全身が、まるでミイラ男のように包帯で巻かれ、包帯の隙間から覗く皮膚は、いくつもの瘡蓋に覆 われていた。
 罅割れた皮膚からは、血が滲んだ体液がこびり付いている。
 想像してみてほしい。蚊に一カ所、刺されただけでも、人は痒みを我慢できないものだ。 全身のすべてが痒いということは、まともな精神では、いられないことを意味する。
健くんは、そんな子であった。

 「いだいよー、いだいよ」
皮膚を掻きむしりながら、健は泣いていた。

「かゆい、かゆいよー」
ボリボリと音を立てて白い皮膚がこぼれ落ちる。

 「おかあさん、たすけて、こわいよー」 この子の口から出るのは、その三つの言葉だけであった。
 「先生、こんな子でも、空手を習うことはできますか」 健を連れてきた涙目のお母さんが、聞いてきた。
 年齢は三十歳前後、痩せていて、少し生活の疲れが漂っていた。髪を少しだけ染めている。
 俺は、数多くの子供に稽古を付けてきたが、目の前にいる健は、とてもじゃないが、格闘技ができるとは思えなかった。
 「やらせてみないことには、何とも言えませんが、俺は、どのような子供であっても強くなる可能性 を秘めていると思っています」
 
母親が自信なさげに頷いた。 「取りあえず稽古の時間だけでも自分に預けてください、健くんが、強くなれるよう努力をしてみます」

 お母さんは健の解けそうになった包帯を直しながら訊いた。

「たつる、空手、やってみる?」 健は、包帯の上から胸のあたりを掻きむしり、返事をしなかった。
 そこで俺は、健と同じ目線に しゃがみ込みながら訊いてみた。

「たつるくん、おじさんの所で空手を習ってみるかい」
「いやだー、帰りたいー、お母さん、帰りたい」
  今まで見たこともない熊のような大男に会って、健は多少パニクっている様子だった。
「たつる、強くならなくては生きていけないよー」
  少し関西弁のイントネーションがある、勝ち気そうなお母さんは、健を叱りつけた。
 「できない、やっぱり......僕は、できない」
また健は、体を掻きながら、涙目になってしまった。
  自信のない健の表情からは、今まで何をやっても続かなかったという母親の暗黙の言葉が読み取れた。

 「やれるとこまで、やってみようね。疲れたら、休んでいいから」 母親と、騙し騙し、何とか空手着を健に着せようと俺は思った。
             2
ところが、どうにか服を脱がせ、下着を外したところで、俺は絶句した。
 健の体には肌色の部分が、ほとんど存在しなかった。
 身体中が、クレーターのように突健した瘡蓋と、掻きむしったケロイド状態の液体に覆われた、肉片であった。
 空手着を着せようとすると、固い綿の生地が傷口に当たって、薄赤い体液が空手着に染み付いた。
「痛い! 身体が痛くて、着られない」
ズボンは何とか履けた。
 ところが、上着は擦れて痛みが激しく、着ることはできなかった。
仕方がないので、Tシャツを着させて稽古に参加させた。
 身体が痒くて我慢ができないのだろう。顔、腕と露出した部分を、ボリボリと掻きむしる。
 側にいると、血の臭いと金属臭的な強い臭いが漂っていた。
 見ていられなかったのは、瘡蓋が剥がれ、透明の体液と血が混ざった液体が健の身体中から漏れていることだった。
  側で見ている母親が、剥がれた傷口にステロイドの塗り薬を付ける。それがまた、焼けるように痛いと見えて、健は悲鳴を上げて逃げ回っていた。
 結局、その日は稽古を見学するだけで、何もできなかった。
 入会したことを悔やんでいるような母親を見て、アドバイスをした。
「誰でも初めは、こんなものです。焦らずに少しずつ、やっていきましょう」
 うつむき気味の母親からは、激しい看病疲れが感じられた。
「先生、皆さんの迷惑にはなりませんか?」
 聞けば、うちの道場に来る前に行った体操教室では、健の容姿を見ただけで入会を断られたという。
「うちの道場は一人として、差別や特別扱いをする子はいません、それだけは、自信を持って言えます」
  稽古を終え、黙々と雑巾がけをする子供たちを見やりながら、俺は言いきった。
「俺は、たとえどのような子供にも、強くなる才能と魂があると信じています。ほら、あそこで子供たちの雑巾を絞っている高校生がいるでしょう」
頭を五分刈りにし、顔に傷がある、いかつい少年が、ニコニコ笑いながら雑巾を洗っている。
「あの子は親を果物ナイフで刺して、少年院に入っていました」
 母親の顔が、驚きの表情に変わった。
「最初、ここの来たときには、挨拶も返事もできないで、俺にボコボコにされました」
 暴れ出した少年院帰りの少年を、馬乗りになって叩いたことを俺は思い出した。
「どうだ、お前の両親は子供に刺され、もっと痛い思いをしたんだぞ」と、拳を振り下ろしたこと
を、昨日の出来事のように思い出す。
黒帯を巻いているなど、ほとんどの者が一癖も二癖もある奴だった。
チンピラヤクザに、右翼に、暴走族。人は変われる。いや、変えなければならない。
「ともかく、週二回は必ず連れてきてください、あと、次回から見学はご遠慮ください。責任を持って面倒は見ますから、お母さんは、どうぞお帰りになってください」
 新品の空手着を鞄にしまい、その日、健母子は帰って行った。
3
アトピー性皮膚炎について、俺なりに調べてみた。
そもそも、アトピー性皮膚炎とは、何か?
実はこのような「問い」は、医者たちにとっても、簡単そうで、なかなか難しい門題なのだと分かった。
  そもそも、アトピーという名称こそが「奇妙な」「あるいは「不思議な」という意味である。
もともとはギリシャ語だが、「これと決められようもない」という意味だという。
つまり「これと決められようもない奇妙な皮膚炎」 
 「掴みどころのない皮膚炎」という意味になる。
痒みの激しい慢性の皮膚炎で、特定の部位に繰り返し病変を生じる。乳幼児に多く見られるが、近年は成人の患者が増える傾向にある。
 また、年齢とともに症状が変わる。
乳児期は、生後二か月ころから顔面にじくじくとした湿潤性の痒みを伴う病変ができ、首や胸、四肢に広がる。
 小児期は、身体全体の乾燥が進み、肘(ひじ)の内側や膝(ひざ)の裏側、臀部(おしり)などに病変ができる。 小児期に治癒しなかったものが、思春期・成人期へと移行するケースも多く見られるが、逆に、この時期から発症する人もいる。
  皮膚の乾燥がさらに進んで、ごわごわと厚く、硬くなり、顔や身体が赤くなったり、色素が沈着して黒ずむこともある。
 どうにも手強い病気である事実には間違いない。
  皮膚は人体の最大の器官で、人の皮膚の表面積は約一・六平方メートル。その重さは、皮下組織を 含めて約十キロもある。
 一般に、いちばん大きい臓器と言われている肝臓は、約二・五キロだから、本来は、皮膚こそが人 体の最大の器官なのだ。
  皮膚は、ただ体を取り囲んでいるだけではなく、呼吸し、排泄し、体温を調節をしたり、触覚、痛 覚などの感覚を受け取る働きをしている。
 
アトピー性皮膚炎の診断基準は、
(1)痒みを伴うこと
(2)典型的な皮膚の症状があること
(3)慢性的な経過をたどり、良くなったり 悪くなったりすること (4)乳児で二ヵ月以上、乳児以外で六ヵ月以上の慢性期があること 以上の項目が該当していれば、アトピー性皮膚炎と診断される。
 それにしても、どうすれば快癒されられるのか。

引き続き、俺は調べてみた。ステロイドの使用例が見つかった。
『ステロイドを使用していると、患部が徐々に拡大し、赤みが出てきます。また、かって経験したこ とがないような強い痒みが出るようになります。どんな些細な皮膚の病気(異常)にも、ステロイド を使用する前に、皮膚科(どこを選ぶかが大問題)を受診し、極力、ステロイド以外の薬で治療さ れることをお勧めします。
 ありふれた皮膚病は、急がなければステロイド以外の薬で十分です。急いではいけません。ただし、細菌感染やウイルス感染のある場合や、滲出液がでる湿疹は、早く治療す る必要があります(ステロイドを使用するという意味ではありません)。本当にステロイドが必要な 疾患は限られています』とあった。
 
確か、あの母親が塗っていたのは、ステロイドだった。
 『もちろん、一時的には、ステロイドが湿疹・皮膚炎に効果があるのは確かですが、自分自身で努力もしないで、薬の力だけで皮膚炎を改善しようと考えるのは止めましょう。
皮膚が弱いと思っておられる方ほど、ステロイドは危険です。
 特に急にステロイドを中止すると、リバウンド現象が出るので、学校や会社へ行けなくなります。
 中止する前に診察を受けてください。
アトピー性皮膚炎は、自殺でもしないかぎり必ず治る病気です。
  どれも、余り俺の役には立たない情報だった。
別の情報にはこういうものもあった。 『アトピーが治らない(改善しない)理由』——ステロイドやプロトピックを使用した場合。薬で治そうとする(薬では治りません)。病気に対する理解ができない(本を読まない)、また生活改善を 実行しない。医師のアドバイスを聞き入れない。仕事や勉学で疲労、ストレスが多い』 果ては、誇大広告が並んでいた。このサプリを飲めば、アトピーが治る! そんなもの、とっくに使っているだろう。ありふれた解決策も載っている。 「なるべく掻かないようにしてくださいね」 あの健少年を見て、こんなことは絶対に言えない。なぜなら、あの苦しみは、当の健本人しか分か らないからである。
食生活を見直せ! 漢方が効く! 嫌気がさして、パソコンを落とした。
 分かったことが、たった一つだけあった。 あの病気は、情報では絶対に解決しない、ということだった。

                4

 翌週、またお母さんに連れられて、健がやってきた。 他の生徒たちとなじめず、おどおどとしている。道場に入ってきても、健は母親の側を離れようと
しなかった。
 「たつるくん、道場に入ってくるときは、入口で『押忍!』と大きな声で挨拶をするんだよ」
 ところが健は、人の話を聞くことができなかった。身体を掻きむしりながら、泣きそうな顔で下を向いている。
 健の手を取り、入口まで引っ張っていった。健は嫌がり、手を引き戻そうとする。手のひらに、血液の混じった体液がこびり付いた。
 「来なさい。ここには、ここのルールがあるのだから、君だけ特別扱いはしないよ」
 小さな健を見据えて、静かに諭した。
言葉は静かだが、相手に有無を言わせぬ気を込めて、健に言葉を突き通した。抵抗しても叶わないことを悟ったのか、嫌々ながら健は入口まで引きずられていった。
 「そこに、脱ぎっぱなしになっている靴を揃えなさい」
 健は椛(もみじ)のような小さい瘡蓋だらけの手で、靴を揃えた。
 「靴を揃えると、心が揃うんだよ、みんなと心を揃えることが強くなる第一歩だからね」
 健は「よく分からない」というような顔をしている。
 「道場に上がったら、両手を胸の前に交差させて『押忍!』と大きな声で挨拶をするんだ!」
俺はまず、手本を見せた。
「押忍、練習お願いします! 健、やってみな」
 健は「オスッ」と蚊の鳴くような声で小さく手を交差させた。
「それでは、ダメだ。いいか。下手くそでもいいから、一生懸命やるんだ。そうすれば、自分が変わるよ」
何度もやり直しを命じた。
「オス」
「もっと大きな声で!」
「オス」
「もっと、もっと大きな声で!」
 十回も繰り返したころ、健は眼に涙を浮かべながらも、大きな声を出し始めた。「できたじゃないか、君は、やればできるんだよ」
 健の頭を撫でて、初めて気づいた。髪の毛の下は、何度も剥がれた傷蓋が突健を作っているではな
いか。
「今日は、頑張って稽古をしよう」
母親の元に来ると健は、いつものように母の足にしがみついて弱音を吐いた。
「今日は疲れたから、帰りたい」「身体が痒くて、できない」
 そこで母親が「先生、今日は帰って、また今度、来ます」と言った。
子供を案じた不安そうな表情は今まで,どこでも厳しくなると逃げてきた姿が、ありありと感じられた。
「次はありません」
 俺は毅然とした態度で、ぴしゃりっと言った。
「えっ」
  驚いた表情の母親に諭す。
「たつるくんが強くなれないのは、お母さんが守ってばかりいるからです。たつるくんは、そんな弱い子ではない。たつるくんを置いて、お帰りください」
 健を変えるには、今しかない、今、変われなければ一生ずっと惨めな人生を送らなければならない。たとえ世界を敵に回しても、この子を変える。
 「調子が悪いときに無理をすると、却って病気が悪化すると、お医者様が言っていました」
 何とか今日は連れて帰ろうと、母親が説明する。顔には、怒りすら浮かべている。他人の意見など頑として聞かないという態度だった。
「その医者が治せるなら、医者に任せればいい。薬や治療で治らないから、ここに来たのでしょう。何かあったら、携帯に連絡します。お引き取りください」
 母親との会話を聞いていた健が、大きな声で泣き出した。
「いやだ、お母さんと帰る! できない、帰る!」
健を押さえつけて、母親を道場から追い出した。突然、一人にされた健は、パニックを健こして泣き叫んでいる。
 健の姿を見て、母親も泣きながら道場を出て行った。泣き続ける健を無視して、稽古を始めた。
             5
正面の上座に着くと、師範代の号令が響く。
「姿勢を正して、正面に礼! 黙想!」
 静まり返った道場に、健の泣き声だけが響いた。
 準備体操をして、基本の稽古に入る。道場に厳粛な雰囲気と真剣な気合いがこもる。
健は相変わらず泣いている。泣けば自分の言うとおりになる、という健の思いこみの心を、どうにかして折らなければならない。
「帰りたい! お母さん、うちに帰りたい!」
  ここで勝負を懸けると俺は決めた。健の元に走り寄り、襟首を捉まえて持ち上げる。
そのまま、前列まで引きずり回して、最前列に放り投げる。
「いつまで、泣いてんだ、馬鹿野郎、お前、それでも男か!」
 頭ごなしに怒鳴りつける。
「そんな弱いから、みんなに虐められるんだろう、強くなるためにここに来たんじゃないのか! いい加減にしろ!」
 脳裏に、健が公園で他の子供に言われたという言葉を思い出した。
「化け物! ゾンビ! お前なんか、ここに来るな!」
 つくづく、子供は残酷だと思う。
健は生まれたときから言われ続けてきた。この子は、このまま、こうして言われ続けるのだろうか? 怒鳴りながら、涙が出て来た。
「今、強くならなければ、生きていけないだろう」
周りの子供たちも泣いていた。「先生、そこまで言わなくても」という顔で俺を見つめている。
「ごめんなさい! ごめんなさい! お母さん、助けてー」
「お母さんはいない。自分の足で立ち上がれ」
 泣きながらも、諦めたように項垂れる。
「わかりました」
頭を抱えながら立ち上がった健は、泣き顔でぐしゃぐしゃになりながら、初めて空手の稽古を、どうにか真似しながら行った。
               6
俺は、稽古が終わって疲れた顔をしている健に聞いてみた。
「健、どうだった、空手の練習はきついだろう?」
何も答えず、健は顔をボリボリと掻いていた。
「お前が強くならなければ、いつまでたっても病気は治らないぞ」
相変わらず顔を掻きながら、健はひどく哀しそうな顔をした。
(この子は生まれてから笑ったことがあるのだろうか)
健の将来を考えると、俺は何ができるのだろうかと、真剣に考えた。
(今はともかく、鍛えて身体と心を強くする以外にない)
俺は健の体質が変わるまで、鍛え抜くことを決意した。
健は、その日より週に二回、必ず稽古に参加することになった。
初めは道場に来ても道着に着替えずグズグズしていたが、先輩たちに注意をされるようになり、何とか道着を自分で着られるようになった。
ある日の稽古で、身体を掻きむしっている健を見て、小学校一年生の子供がちょっかいを出した。
「お前はアトピーか、アトピーは移るからなぁ」
  何も言い返せず下を向く健の目には、涙が溜まっている。
俺は問題の子に近づくと、何も言わずに平手打ちを食らわした。
「お前、今、何て言った! もう一度、言ってみろ!」 叩かれた子供は、鳩が豆鉄砲を食らったように驚き、すぐさま泣き出した。 「痛かったか! 健の心は、もっと痛いんだぞ、お前に分かるか」 泣きながら子供は、何か言いたそうだった。
「アトピーが移るなんて、誰が言っていたんだ」
俺はその子を睨み付けながら、聞いてみた。 「お母さんが、移るから......アトピーの子に近づくな、って......」 俺は愕然とした。その子の母親は地元でも高名な歯医者の先生だった。 (まさか、親が子供に言っているとは......) そうすると、この子に責任はない。しかし、ものの道理を、きちんと教えなければ......。 「アトピーが移るなんて、絶対にない! 生まれつき健は、この難病と闘っているんだ。簡単に移る ぐらいなら、もう、とっくに治っている、たとえお母さんが言ったとしても、そんなことを言っては いけない、健に謝れ」
子供は泣きながら「分かりました。ゴメンね」と謝った。
健は「いいよ」と答えて「僕のせいで怒られてゴメンね」と返した。
(小さいときから虐められてきたせいか、健は心が優しい)
俺は心から、そう思えた。
              7
案の定、数日してから「移る」と言った母親が、苦情を言いいに道場に来た。
「移ると言っただけで、なぜ、うちの子が叩かれなければならないのですか」
高そうなスーツに身を包み、手の指には、これでもかとばかりに指輪を填めた厚化粧の母親が、目を吊り上げながら詰問してきた。
 「あなたも医者の一人ならば、アトピーが移らないということぐらい、分かるでしょう、あなたの子は、人の道を外したから、指摘をしただけです」
  感情的になった母親は、冷静に人の話が聞けなかった。
「身体から体液が漏れているような子供、どんな病気を持っているか分からないでしょう。それを、移るかもと言ったんです。そんなことより、なぜうちの子に暴力をふるったんです! 事と場合によっては、出るとこに出ますよ!」
このバカ親は人の意見など初めから聞こうとはしていなかった。
「どうぞ、ご自由に。うちは空手道場ですから、人の道を外したら、殴ったり蹴ったりは、当たり前です。それが嫌なら、なぜ空手なんかやらせたんですか?  大体、あなたは真剣に子供を怒ったことがあるんですか! 常識のある子供だったら、あんなに苦しんでいる子に、ひどい言葉を浴びせたりはしないでしょう」
 母親はさらに感情的になり、言い返してきた。
「うちにはうちのやり方がありますから、あなたにどうこう言われる筋合いはありません! 今日限り、辞めさせてもらいます!」と吐き捨てて、道場を後にした。
 俺は、あのような親に育てられている子供の魂を設計することが、どれほど難しいか、つくづく思い知らされた。
             8
健の稽古は相変わらず厳しいものがあった。
空手では全員が並んで、突きや蹴りの基本稽古をする。その際、一人一人が一から二十までの号令を掛けていくのだが、健は最初その声が出なかった。
数を数えられないのではなくて、そもそも大きな声が出せなかったのだ。
蚊の鳴くような情けない号令を聞いて、俺は何度も、やり直しを命じた。大きな声が出るように、
 腹式呼吸を何回も練習させた。 おそらく他の子供たちから見れば「なぜ、健にだけ、あんな厳しくするのだろう?」と疑問に思っ たことであろう。むしろ、強い先生がひ弱な弟子を虐めているように見えたかも知れない。
 余りに厳しい俺の指導のあり方に疑問を感じて辞めていった生徒もいた。
 しかし俺は、健を鍛える ことを止めなかった。
 一人の少年を変えられずして、何が武道教育だとの思いがあったからだった。 拳立てという補強がある。腕立て伏せを拳で行う、空手の稽古では欠かせない訓練だ。
 腕の強化と 同時に、固く強い拳や手首を作る。
 健は、この拳立てが、ただの一回もできなかった。それどころか、拳立てをすると、瞬時に拳の瘡 蓋が擦り切れて、道場のマットに血が滲んだ。
 拳の痛みと「みんなができるのに、自分だけできない」という悔しさに、何度も健は涙を流した。 眼を涙で腫らして、健が言い訳をした。

「師範、僕にはできません......」
「なぜ、お前だけできないんだ!」
「僕は病気で、身体が弱いからです」
「誰がそんなこと、決めたんだ」
健は言葉を失ってただ、立ち尽くしている。 「お前は両手も両足も、満足に付いているじゃないか。身体が痒くて痛くたって、病気なんかじゃな い。お前ができないのは、病気のせいじゃなく、お前の心が弱いからだ!」 健が下を向いて泣き出した。 「泣くな。痒かったり痛いっていうことは、生きている証拠じゃないか」 俺は、健がどんなに弱音を吐いても、絶対に気持ちを引かないと決めていた。 「可哀想だ」「大変だ」「戦え」「頑張れ」「負けるな」 健は今まで、どれだけ繰り返し言われてきたのだろうか。
心が本当に強くなろうとするとき、言葉の数々など、なんの役にも立たない。
ただただ、俺ができ ることは、健の心を強くする訓練だけ。
「立て! もう一回! もう一回だ! 健!」 一回もできなかった拳立てを、今日は一回、明日は二回と続けていき、稽古を開始して半年が経っ た頃、ようやく健は、百回の拳立てができるようになっていた。 蚊の鳴くような気合いが、鳴き声に変わり、叫び声に変わり、いつしか誰よりも大きな声で気合い を入れられるようになっていった。

                  9
 
稽古に連れてきた母親が、あるとき俺に打ち明けてくれた。 「幼稚園には行きたくないけれど、空手だけは行くと言うんです」 少しだけ嬉しそうなお母さんの報告を聞けて、俺は嬉しかった。
 健が変わったと、みんなが揃って認めたのは、地元で開催された教育セミナーに参加をしたとき だった。
毎年、地元の教育関係の来賓を迎え、空手の道場生たちが演武を披露していた。 「健を演武に参加させよう」と俺が提案したとき、父兄のほとんどは反対をした。
反対理由は「空手着の裾から出ている、健のあかぎれた腕を来賓に晒すのはどうか」というものだった。
 「健、みんなの前で空手の演武ができるか?」

健は少しひび割れた瞼を見開き、訊いた。
「えんぶって、何ですか?」 「日頃、僕たちはこうして訓練を受け、技を研いているんですと、空手の技をお客さんに見せるんだ よ」
健は下を向き泣きそうな顔で、頭をボリボリ掻きながら弱音を吐いた。 「ボクはへたくそだし、アトピーだから、できません」
「健、それは違うぞ!」
俺は身を屈めて、健と同じ目線で話しかけた。
「上手とか下手とかじゃない、人は一生懸命な姿に感動をするんだ」
余り理解できていない表情の健が、改めて訊いた。
「いっしょうけんめいって、何ですか?」
「お前が痒くて辛くても、頑張って空手に来る。汗をかいて痒くなっても、気合いを入れる。それが、一生懸命だよ」
俺の眼を見つめながら、健がうなずく。曇った顔に、ぱっと明かりがさしたようだった。
 「うまくやろうなんて思うな。一生懸命やればいいんだ」
健の細い肩を叩きながら聞いた。
「できるか、健!」
自信なさそうに、しかし、強い意志と共に、健は言った。
「いっしょうけんめい、やります」
日頃の稽古の成果が現れているのだろうか、気づくと信じられないくらい大きな声で返事をする健がいた。
  瘡蓋で閉じられそうな小さな目は大きく見開かれ、ほんの僅かだが、目標に向かって意志への強さ
が垣間見られた。
             10
健が入門して半年の月日が経ち、初めて人前で空手の技を披露することになった。
教育セミナー当日、俺は健を励ました。
「たつる、今日の主人公はお前だぞ!」 健は自信がなさそうだったが俺の目をしっかりと見ながら「押忍」と返事をした。 司会者であるK−1メインアナウンサーのボンバー森尾さんが演武者一同を、今までの戦績を交え ながら次々と紹介し、演武者は入場をした。
「国際総合空手道 全日本選手権大会 小学生の部 優勝 大志保 諒!!」
「極真会 全関東空手道選手権大会 高校の部 優勝 重松敦史!!」 盛大な拍手に迎えられながら次々と優秀な演武者が並んでいく。最後に紹介されたのが健であった
 「生まれた時から難病と闘い、厳しい稽古に耐え、本日皆様の前で演武を披露いたします! 不屈の 幼稚園児 西川 健!!」
 黒帯の先輩連に混じり、白帯の健が続く。幾分か緊張気味ではあるが、堂々とした入場であった。 最前列に位置した健は、誰よりも大きな気合いで基本技を披露した。 初めは融和感があったが、一番大きな声を出す幼稚園児は、一点の光を放っていた。真剣な眼差 し、轟き渡る気合い。
 溢れ出る汗を拭おうともせず、健の気合いは続いた。見ていたほとんどの大人たちが驚き、眼を見 張った。 「あの、アトピーの子は何であんなに元気がいいんだ」と、溜息混じりに言わせしめ、どんな素晴らしい演武よりも多くの人たちを感動させた。
 基本の披露が終わり、各自の試し割りが始まった。歴戦の黒帯たちはバットを回し蹴りで折り、ブ ロックを叩き割った。 健の試割りは、一寸の杉板割りであった。指導員の高校生が板を持って、健の前に立つ。 健の両親は、固唾を飲んで見守っていた。健が正面に礼をして、板に向かって構える。 気合いを入れて板を蹴るが、割れない。板の表面には、健の足から出ている血が滲んでいた。 会場から、溜息が漏れる。一瞬、健は泣きそうな顔をした。 俺は叫んだ。「自分を信じろ、必ずできる!!」と——。 場内が水を打ったように静まり返り、健の一点に視線が集まる。会場全体が、割れることを祈るような、不思議な雰囲気に包まれた。
 健の顔が変わった。獲物を狙う獣のような鋭い目付き。死んでも割ってやる、という執念が見て取 れた。
「えぇーーい」
大きな気合いと共に、瘡蓋だらけの細い足が蹴り出される。
板が真っ二つに割れて飛び散った。会場全体が大きな拍手と歓声で包まれた。
ふと、片隅を見やると、健の両親が顔を手で覆って泣いていた。
 病に苦しむ一人息子が、初めて自分で目標を達成した瞬間であった。
                 11
それから......。 教育セミナーの演武があってから、健は人が変わったように空手が好きになった。 自分が一生懸命やることで、多くの人が自分を認めてくれる。この一事が、執拗な難病と闘う幼児 の心を、確実に変えていった。 二年の修行の後、健は史上最年少、小学校一年生で黒帯を修得した。 空手では、入門当初には白帯を締め、修行の成長度に合わせて橙(十級)、青(八級)、紫(七 級)、黄緑(六、五級)、緑(四、三級)茶色(二、一級)と帯の色が変わっていく。少年部の最高 級が初段の黒帯だ。 黒帯に至るまでには、数多くの基本稽古を修得し、数十種類の「型」を覚え、最後は、連続して十 人の黒帯と戦い、その試合で半分の勝ちを収めなければ、ならない。 大人でも途中で断念する者が多い、荒行である。 健は、一年生とは言っても、体重は十八キロしかなく、せいぜい幼稚園の年中組と同じ程度の体格であった。
  真面目に稽古をしてきた甲斐があり、素早い動きで相手を翻弄し、接近しては得意の上段回し蹴り で技ありを取っていった。

 試練は、五人目に訪れた。 相手の選手は、小学校三年生ながら体重が七十キロもある巨漢の鈴木孝君であった。鈴木君は空手と同時に少年相撲の横綱でもあり、その体格から「松栄塾の怪物」と称されていた。
  開始と同時に、鈴木君がパンチで健を追い込む。
  フルコンタクトの空手に於いては、たとえ少年部であっても、直接打撃制で試合をする。そのた め、体力差は如何ともしがたい。まるで大人と子供が闘っているようだった。 試合が進み、鈴木君のパワー溢れる上段前蹴りが、健の顔面にヒットした。 鼻血が吹き飛び、健の身体が前のめりに倒れそうになる。 「健! 倒れるな! 今までやってきたことを思い出せ!」 俺は審査員であることも忘れ、叫んでいた。
 健が片膝を付きながらも、立ち上がる
。場内から拍手と大歓声が巻き健こる。 どんなに蹴られても、どんなに殴られても、健は最後まで倒れなかった。 見学に来ている父兄の全員が眼に涙を浮かべている。 「健て! たつる、最後まであきらめるな!」 皆、健の今までの苦労を知っている人たちだ。今までの苦しみに比べたら、こんな程度は何でもない。
 健の気迫溢れる戦いは、その事実を如実に物語っていた。 どんな言葉やどんな表現でも表せない苦難を乗り越えた強さが、そこにはあった。 すべての組手が終わり、血だらけの顔で微笑みながら、先輩に黒い帯を巻いてもらっている健の顔 は、自信と喜びに溢れていた。

     完



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