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#ただいま仙台〜notte stellata 2024



(・例のごとく、食べログでクソダルい自分語りばかりしていつまでも肝心の食べ物の話にいかないジジイばりに長い前置きばかりしているので、

適宜目次から飛んでください。)



■#ただいま仙台



「ただいま仙台」というキャッチコピーは実に秀逸で、
仙台に住んでいたこともなければ本来縁もゆかりもないのに、仙台駅のあの外観と駅前に広がる歩行者専用高架橋を見るたびに、

「帰ってきた」

という感覚を抱く。



それは、歩行者用の高架橋が広がる妙に記憶に残る風景のおかげなのか、実際に住んだら便利だろうなと思わせる都会感とそれでいて緑も残る杜の絶妙なバランスが存在しない居住の記憶と存在しない郷愁を誘うのか、あるいは実際のところ、自分がガチでこの何年か、確実に親の顔より羽生結弦を見ているおかげで、どう考えても実家のある愛知に行った回数より仙台に行った回数の方が本当に多いからなのか。
とにもかくにも、私は気の狂ったオタクなので割とガチめで仙台のことを「第二の故郷」だと思い込んでいる節がある。

(ちなみに言うと、第一の故郷は奈良だ。大学のときの4年間しか住んでいないが。)



仙台駅構内にある仙台市観光情報センターでは、そんな狂ったオタクたちをも羽生くんのパネルが優しく迎えてくれる。
少し前まで、袴姿の羽生結弦という若様スタイルで、こちらも仙台へ戻る度に(※狂ったオタクなので仙台へ「戻る」と言う)毎回挨拶をしていたのですが、今はただいま仙台ver.に変わっている。仙台へ降り立ったときのいつもの習慣で、まずはこの羽生くんに「ただいま若様!!」と挨拶をすべく向かったら、ちょうど前に並んでいた人に、「写真を撮ってもらっていいですか」とスマホを渡された。
それはいいのだが、めちゃくちゃどうでもいい話、初対面の人へ写真を撮るときの適切な合図が私はよく分からない。
友達などなら「はい、チーズ」とかなのかもしれないが、初対面のしかも年上の人にはさすがに馴れ馴れしすぎないか??という葛藤がありつつも、特に他の合図が思い浮かばず、結果的に、言っているか言っていないか分からないくらいの小声&モゴモゴした早口で「ハイチーズッ」とモゴモゴするだけのキショいオタクが出来上がった次第である。

羽生くんは、自分にとって「旅」とは、と訊ねられた時に
「自分を知るための鏡」と言っていた。

確かに。
仙台到着早々、自分がコミュ障の挙動不審オタクだということを自分で勝手に突きつけられる幸先の良いスタートだ。


仙台を自分の第二の故郷だと思い込む狂ったオタクたる私だが、それでいて、羽生くんが出る仙台(宮城)公演を結構楽しみにしていて、宮城で演るとなるとぜひ行きたい、と思う大きな理由のひとつは、なんというかこの街全体の「若様フェス」感だ。
ショーを開催するセキスイハイムスーパーアリーナの会場に、せり鍋や牛タン、芋煮…などなど様々なキッチンカーが出店しまさに「フェス」のような気分を味わえるのも楽しいし楽しみにしているし、
また、ショーの会場に着くまでの段階でも、至る場所に、羽生くんの写真やポスター等が飾られ、そして駅や瑞鳳殿、道端、電車、牛タン屋、……どこに行っても「お仲間」(羽生ファン)らしき人で溢れている。RE_PRAYのパーカーやGIFTのブルゾンを着た人、RE_PRAYやGIFTやプロローグのバッグを持った人、GUCCIのバッグを持った人……(今回、GUCCIのバッグを持ったり洋服を着用している人を複数見かけ、これはもう羽生結弦、実質GUCCIのアンバサダーなのでは……と慄いていたらガチでアンバサダーに就任していた。おめでとうございます)
めちゃくちゃ今更速報だが、「羽生くんて人気なんだなあ…」ということと(今更?)、羽生くんてほんと仙台の若様なんだなあ……ということを「目に見えて」実感する次第である。









まだまだきゃわちいかった時代の若様!!



若様、と言えば、瑞鳳殿で羽生くんの衣装をモチーフにした七夕吹き流しを展示するということで、たくさんの羽生ファンらしき人たちを目にしたのだが、この地で眠るはるか昔の殿様、伊達政宗もまさか、自分の霊廟が約380年以上の刻を経て伊達の生んだニュー・スターを崇拝する人々の巡礼地(?)みたいな感じになるとは思っていなかっただろうなとなんだかじわじわきてしまった。そして、そんな平成と令和のスター・羽生結弦は実際、伊達の殿様を演じてもいる。伊達政宗の子孫である仙台藩7代藩主の伊達重村。瑞鳳殿で、伊達重村の名を見つけ「重村さまだ…!」となると同時に、歴史の妙を想う。

我々の今いる世界は、昔いた人々の世界から徐々に順々に受け継がれその延長線上に確かに有るのだ、受け継がれたバトンの先に今があるのだ。というような実感。

そういえば、今回のnotte stellataで羽生くんが、震災後に生まれてきた「あたらしいいのち」たちに言及していた。それは、私も昨年notte stellataを観に行ったときに仙台の街を歩いていてなにか、すごく感じたことで、いまは一見平和そうに見えるこの穏やかな街を歩く赤ちゃん連れや小さな子どもたちを目にしながら、なんというか頭の中には完全に「戦争を知らない子供たち」が流れていた。昔、まだ自分が子どもの頃はあのフレーズ、てっきり戦争を知らない世代の苦労を知らない弱っちい花畑!!みたいに揶揄している言葉なのかと勘違いしていたが、決してそうではなく、あれは反戦歌であることが今では分かる。
あの甚大な被害をもたらした災害のあとに生まれてきた、未来へ繋がれていく命たち。もちろん今は平和な時代とは言えないのかもしれない。でもどうか彼らのこの先に、祝福だけがありますよう。というような願い。


(昨年のツイート)












瑞鳳殿の親切案内





<仙台たびの写真など>


インスタハイライト

https://www.instagram.com/s/aGlnaGxpZ2h0OjE4MDk0NzkyMTIwNDAzNDcz?story_media_id=3319518047987522349&igsh=MXEyaHI5N2hsYmc0MA==



■notte stellata 2024 (2024.03.10公演)



インスタハイライト

https://www.instagram.com/s/aGlnaGxpZ2h0OjE4MDM2OTE4ODcxNzcyOTMz?story_media_id=3320236841777071383&igsh=cjB4bmhrYjdmc2Jk


・リハーサル

ところで、今回、notte stellata 2024が開催されるということを聞いたとき、これはぜひとも「アイスリンク仙台 訪問チャレンジ」を果たすチャンスなのでは、と思った。ワンチャン日帰りで帰れる距離を一泊二日にしたのは、その要素も大きかった。
アイスリンク仙台 訪問チャレンジ、と言っているのは、実を言うと私は長年ファンをやっていながらこれまでアイリンの中へ入れたためしがないからである。そもそも、アイスリンク仙台というのが、仙台駅からある程度離れている上、それほど長い時間一般営業時間を設けているものでもないため、地獄のようにアクセスの悪い(上にシャトルバスの待ち時間も考慮する必要もある)セキスイハイムスーパーアリーナでのショーを観ようと思うとなかなか同じ日に行くことは難しいというのもあるが、行くタイミングが休業日だったり休業中だったりで、どうにもタイミングが合わない。
昨年のnotteの時にも、一応2日めの旅程には組み込んでいたはずなのだが、たしか、完全に舐めプをしており国際センター駅で開催されていた写真展が想像の30倍くらい大行列だっため、そこでめちゃくちゃ時間を食ってしまって結局アイリンへ行く時間がなかった。

中には入れないが、外観だけは一応見たことはある。仙台で五輪二連覇パレードをやっていたとき。
いまのツイッターのアイコンは、そのとき、アイリンの周りにあったような気がする青地に羽の何かだ。(何か、て)。たしか。


だから今回、今回こそアイリンで滑るぞ!!!!!とめちゃくちゃ意気込んでいたのだが、なんと、まさかの土曜日一般営業中止という………!!!!!!
(あとでTLに流れてきた情報によると、どうも野辺山の合宿に行く選手の選考会かなにかをやっていたらしい)

それでも諦めきれない私は、日曜になんとか行けないか……?と悪あがきをしていたわけだが、そこにまたしても飛び込んでくる「リハーサルチケット発売」の文字。

リハーサル…!!!????

私は悩んだ。アイリンはまた来年、行く機会があるかもしれない。しかしリハーサルは、このリハーサルは、一期一会……!!!!!!!!


と、前置きがめちゃくちゃ長くなったが、要はまたアイリン仙台への訪問チャレンジはまたしても諦めて、リハーサルを観ましたという話。



リハーサルを見てめちゃくちゃ思ったのは、もう1207万回同じようなことを言って恐縮だが、羽生結弦、スケートが上手い。(※全人類知ってる)

毎回同じことしか言えねえのかお前は、と我ながら思うが、毎回本当に心から心底同じことに新鮮に驚いているので仕方ない。美人は3日で飽きるは絶対に嘘だ。私は本当に毎回、もう1000回見てるのに、羽生結弦、顔が良すぎる?????ということと、羽生結弦、スケートがうますぎる!????ということに毎回本気で新鮮に驚いている。

プロに転向して以降の羽生結弦のプログラムは、それまでのいわば王道的な「THEフィギュアスケート」の常識や壁を破るような変種的なプログラムも多い(ほぼほぼスピンだけで構成する「メガロバニア」や、ランウェイのような直線を直線的に移動するという、おおよそフィギュアスケートの通常のセオリーを敢えて無視するかの如き「鶏と蛇と豚」や、ダンサブルかつ、滑らかというより小刻みな動作やスケートの多い「阿修羅ちゃん」などなど)が、

当たり前の話だが、改めて、
羽生結弦、「普通に」滑っても、「普通に」めちゃくちゃ超絶上手い、まずこれだけスケート上手くて伸びやかな滑りが出来る人なんだよなあ、というのが練習中のスケーティングひとつひとつからひしひしと伝わる。
(「普通に」というのがなんなのかはちょっと難しいが)

スケーティングの伸びやかさ、バッククロスの雄弁性…やはり明らかに群を抜いてスキルが高い。

試合前の6練ではなく、ある程度時間のあるリハーサルだから、曲かけ以外にも、氷上でのアップめいた段階から見られたのもよくて、
これは私ごとなんですが、何ヶ月か前から私、ついにスケートを習っておりまして、だから参考になったとか言うとめちゃくちゃ死ぬほどおこがましいのでそれは適切じゃないので言わないが(※まだ全然滑れない初歩の初歩の初歩だから←具体的に言うとまだバック滑走を片脚だけで10秒するのやバッククロスするのや滑りながらまず両足でターンするのすら苦労して今頑張ってチャレンジしている超絶初歩段階)
でも、滑る上での知見を得られたというか、このアップ時の動きで、たとえ、クロスロールとかスネークみたいな基礎的な動きであっても、うわーーーこれってこんな風にできるんだな! こんな速く、とか、こんな風にやると、こんなにかっこよく見えるのか!!!レベル1億段階くらい違うと、こんなにも違う技に見えるのか!!!
とめちゃくちゃ勉強になった次第。

で、羽生結弦、スケート上手すぎる…と慄き続けていたわけですが、
この「スケートが上手い」のニュアンスはいささか難しいが、オードリーの若林と春日が、自身の東京ドームにゲスト出演をしてくれた星野源について、歌手に対してこういうことを言うのはなんだけど「星野さん、歌が上手い」と言っていた。めちゃくちゃわかる。春日が、「なんていうか、単純に音程が合っているとかそういうことだけじゃなくて、歌が上手い、としか言いようがない」と言っていたがまさにそれで、私の羽生結弦に対する「スケートが上手い」もこのニュアンスだ。
そもそもの技術力が高いのはもちろんだが、その卓越した技術力の高さと本人の雰囲気やオーラや会場の支配力などが合わさり、単に技巧が優れているということ以上の力と魅力、引力を持つ。でもその魅力とパワーはやはり、「上手い」ということに基づいている。それらすべてを含めての「歌が上手い」「スケートが上手い」。

ここで滑っていたわけではないので話が逸れるが、私はプロローグやGIFT、RE_PRAYで滑っていた羽生くんのプログラム「いつか終わる夢」は、ガチで、初級からトップ選手まで、スケートを習う全スケーターの必須科目にすべきでは?と思っている。
(あのプログラムは、クリケットクラブのクールダウンが元になっているので、クリケの人は似たようなことをレッスンでやっているのだろうけども)
自分がろくに滑れるわけでもないのであれだが、多分、ジャンプもステップもスピンも、正しいエッジの使い方とか重心ののせ方とかそのコントロール、その延長線上にあるものであって、その基礎と、その基礎をここまで美しく魅せる技術、
あれを同じように滑ることによって、自分がどれほど「同じように」は滑れないかを突きつけられるとともに、「スケートが上手い」とはどういうことか、自分には何が足りないのか、より実感的に感じられるのではなかろうか。

スケート習得の上での必須科目、スケート界のバイエルにすべき。(????)


さらに、「羽生結弦、スケートが上手い……」と慄くのと同じくらいに、
「羽生結弦、スターだな…」
というようなことを改めて心底体感する。(これも今更速報。)

リハーサルの開場時刻は11時40分で、その時はまだ無良くん・刑事くん・ジェイソンがリハーサルをしていた。
羽生結弦が出てきたのはそのあと、12時20分頃だったかと思うが、
もう、羽生結弦が出てきた途端、明らかに「空気が変わる」というのがどういうことかを身をもって体感できるというか、目に見えて、いや空気は目に見えないのにしかし“目に見えて”、会場中が全身全霊で注視してるのがわかる。

(いや、羽生くんが出てきて、四方に手を振って挨拶をしていたの、あれはスタッフさんやカメラマンさんに挨拶をしていたと思うのだが、観客がみんな嬉しくなっちゃってみんな手を振り出したというオモロイくだりはあったが)


しかしやはり、改めて「劇場支配力」というものが物凄い。

特に、「カルミナ・ブラーナ」の曲かけリハーサルでは、別に意識的にそうしようと思っているわけではないのに、もう文字通りそのまま、

「羽生くん以外一切何もかも目に入らない」

という状態に自分が陥っていたことが、あとからわかる。

あとから、と言うのは、その曲かけを見ている間の、観客や自分の周りの風景がどうだったか、まったく一切思い出せず、リンクで滑っている他のスケーターが何をしていたかどんな感じだったかも一切記憶に無く、いや、自分がそのときどうやって息をしていたのか、この世界に時間が流れていたことすらも、もう何もかも分からず、終わった瞬間に、ようやくハッと意識が戻る、というような。でもその曲かけの間、羽生結弦以外のこの世界がどうなっていたのか、自分がどうやって息をしていたのかも含め、もう全く思い出せない。わからない。

まさに、羽生結弦以外一切目に入らない、のだ。意識的にそうせずとも、そうなるのだ。



………と、なんだかポエミーな感じでまとめてしまったが、
まあ実を言うと0.1%くらいは嘘だ。

背景に流れているカルミナの衝撃的なダs………ダサ………い映像が、ちらちらと目に入り、

(え、あれもしかして本番でも流れんのかwww? まじwww?)

と思わなかったかというと、ま、ま、まあ嘘になりますが………。

私は92年生まれのため、幼少期にはまだ「ビデオテープ」なるものが現役の時代であった。当時、親が教育用に買っていたのか、さまざまな童謡を流すビデオがあり、ちょうちょうや森のくまさんなどの童謡と共に、背景にそれらしきイメージ映像が流れる。

それだわ。


(90年代の童謡イメージビデオ感…)


(一応擁護しておくと、別にnotteが特別酷いわけではなくて、他のアイスショーでもバックの映像ってあのくらいのクオリティだとは思いますよ……ただ、我々は直前に「RE_PRAY」のスタイリッシュ映像を浴びまくってしまっているので…………そのギャップでね………)



でも、あとで本編を観てつくづく思ったのは、
「ああ、このリハーサルで見たのはあくまで““半分””だったのか。」ということだ。
詳細は後述するが、そのことをつくづく感じられたのも、リハーサルを観れてよかったことだ。

さらに、リハーサルを見れてよかったのは、このリハーサルの段階を見ているからこそ、本番の見事な調整力みたいなものを感じられたのも二重に楽しめた。
リハ時から、誇張や贔屓目なく文字通りGOE5億点みたいなトリプルアクセルを本当に何本も降りていて、「羽生結弦、アクセルあまりに得意すぎんか……??」とビビっていたし記憶する限り転倒は一度もなかったものの、とはいえ曲かけの中では、ちょっと着氷が詰まったりなどしていた…のだが、
でも、iPadで撮ってもらうなどして(iPadで撮影していたのは、おそらくアマチュア時代にもついていた眼鏡の女性ですかね…!?)、
本番では見事に修正して、曲の中の3Aも、カルミナ・ブラーナでは、まさに妖精のように音もなくブレもなく見事に軽やかに着氷し、リハではやや苦戦していたダニーボーイの3Loからキュッと止まる難しい部分も、これ以上なくビッタビタに決めていたの、さすがだなあとこの本番への調整力に唸った次第。


(蛇足だが、「スケートは止まる方が難しい」という羽生くんの言葉も、自分が滑り始めて身をもって実感している。滑る事はできても、私はいまだに止まれません……(止まるの下手すぎオタク))


ところで、notte stellata本編のショーは16時からだが、リハーサルは11時40分開場だった。なので私にしては珍しく(?)、割と早め、11時過ぎくらいには会場に到着していたのだが(早めか???)。
そのときには、グッズはもうコミケの壁サー(シャッター外に列が形成されるタイプの壁サー)並の行列が出来ていた挙句、そこからちょっとした頃にはもう「リュック完売」「折りたたみ傘完売」だの、完売の連発オブ連発で、いくら通販あるとはいえ、俺もちょっと舐めプしていたが販売側がそれ以上にミスター羽生結弦を舐めているとしか思えないほどのわろた状態。(でグッズを現地で手にいれることは諦めた)

まあそれはいいのだが、この日の朝、仙台では雪が降っていた。
ホテルで朝食を食べにバイキング会場へ行くと、窓の外で雪が舞い散っている様子が見えて、出る頃にはやむだろうと思っていたがなかなかやまない。
傘を持っていなかった私は、「今こそまさにあのnotteの折り畳み傘が必要なときなのでは…」と思ったが、まだ会場に着いていないのだから仕方がない。やむを得ずコンビニでビニール傘を買ったのだが、なんか、仙台駅について数分した頃には止んでまった。何だよ、ちょっと我慢すれば、やんだんじゃん………。そして、肝心の折り畳み傘は手に入らない。


なので、いま私の手元には、折り畳み傘は無く、まじで無駄だった仙台のコンビニで買ったビニール傘だけがある。



・notte stellata



現地に行き始めて以来、なかなかいわゆる「ショートサイド」を当てたことは全然無かった私であるが、ここに来てどうもショートサイドの高打率を発揮している節があり、RE_PRAY横浜に続き、notteでもショートサイド・アリーナ!!!!!!

しかも、諸々の機材などである程度リンクから間が空いているRE_PRAYとは異なり、notteはほとんどリンクと高さが変わらない文字通り激近のアリーナである。

真ん中からはやや右寄りの席ではあるが、この位置、
「notte stellata」のスタートポーズがまさに「自分」の方を向いて始まるような神の席位置で、始まった瞬間、

(これは、私のために滑るんだわ……!!!!)

というような陶酔と錯覚(※錯覚)を得られた。(強めの錯覚)

アリーナから見る羽生結弦は、去年も全く同じことを言っていたが、なんというか、

「意外とでけえな!!???」

という感想を抱く。
普段、映像越しだとか遠目からにしか見ていないからその、本気で内臓入っているのか心配になるほどの、ティッシュ箱の幅くらいしかない腰の細さとか妖精さん感だとか、そういうイメージが強いが、実際に近距離で見ると、もちろん細いは細いが、意外と上背もあり「シュッとした一人の青年」感を受けるわけである。

しかし、notteが不思議なのは、そういう、人間としての「実体」感があるのに、同時に「実在」感がないということで、
実在しているのに実在していない、目の前にいるのに手を伸ばしても絶対に掴めない幻のような。

ビスクドールの如き精巧な美しさと、陶器のように透き通った肌の艶やかさ。しなやかな腕の動きはまさに美しい羽のようで、氷の上を自在に泳ぐが如きスケートが描くトレースと飛沫は、まるで白鳥が泳ぐ湖の水面の波。その飛沫ひとつひとつから、宝石が生み出されているかのよう。キラキラと音がこぼれそうな3A後の魔法のようなツイズル、姿勢チェンジに全く雑味のないシームレスなスピン。
一縷の光に照らされた夢。


羽生結弦、スケートが上手い。(散々ポエムかまして結局またそれなのかい。)

スポーツで「泣く」というのは、それまでの過程や展開を踏まえた上での感動であったりするし、あるいはなにか表現で「泣く」というのは、物語の展開だとか歌詞への共鳴だったり音楽の奏でるドラマ性だったり自身の記憶等とのシナプス、要するに「物語」へのそれだと思うのだが、羽生結弦のこの演目「notte stellata」は、よりもっと純粋で根源的な、ただ「スケートが上手い」ということのこの「上手さ」この卓越した技術それ自体こそがなんだか涙を誘う。「上手い」ということだけで、人は泣けるときがあるのだなあと思う。



・カルミナ・ブラーナ




全人類が待ち望んだ羽生結弦のカルミナ・ブラーナ!!!!!!!!!!!
ついに!!!!!!!!!!!

オタクの夢叶えたろかスペシャル2024じゃん!!!!!!!!!!


プロに転向してからの羽生結弦は、キャパ少なすぎもう東京ドームでやれと言ったらガチで東京ドームでやるしハイブラ着てファッション誌の表紙飾ってくれるまでは死ねないとか言ったらGUCCI着てELLE JAPON表紙飾るし、椎名林檎滑るし、なんつうか「オタクの夢叶えたろかスペシャル」って感じなのだが(Twitterに書いていたらなんかそのうち叶っているのでまじで逆に怖くなるほどに………)

そんな、数多ある「オタクの夢」の大きなひとつに、
「カルミナ・ブラーナで滑れ」っつうのが少なくない人の中にあったと思う。これ私、自分のツイッター検索したらまじで尋常じゃないくらい同じこと言いまくってて自分で引いたもんな…。

(というかまあ、これは羽生くん自身が昔、プログラムの候補にあった曲として挙げていたからだったと思うが)


とはいえ、期待には応えるが予想は裏切る男・羽生結弦は、やはりいささか斜め上で、
この「カルミナ・ブラーナ」は、近年では2021-22シーズンの渡辺倫果選手が使っていたのがとてもよかったり、フィギュアスケートで比較的よく使われる曲だと思うが、一般的にイメージされるのは、こう退廃的で破滅的な感じのイメージだと思う。
で、やっぱり羽生結弦がそれを滑るとなれば、「オリジン」様のような魔王的で破滅的なものが出来上がる、…と普通は予想する。


ま、まさかさあ、大地真央様とのコラボでそれをやった上で、

あなたは魔女をやってください僕は白雪姫をやるんで。だとは思わないんですよねえ………(いやでも実際そんな感じだよほんと。)


運命の女王に大地真央様を据えた上で、羽生結弦は、その運命に翻弄される少年側を演ずるわけである。そ、そっち?????  何それ、天才の発想か?????

忙しい人のためのGIFT、ではないが、最初はお花畑や自然を愛する無垢で純真だった少年が、自身を襲う無慈悲な運命に翻弄され、抗い、最後はその運命と共に生きる。運命に立ち向かい共に生きることを選んだとき、運命の女王ははじめてお前に微笑むだろう。この物語を、大地真央様とのコラボレーションで演じ、表現するのだ。


前半の羽生結弦単独部分(自然を愛する無垢な少年部分)は、シェイリーン・ボーンの振り付け、後半の大地真央様とのコラボ部分は、スケーターではなく舞台の振付師である麻咲梨乃さんの振り付けとのことだが、
事前の番組で、「普段はしない動きを積極的に取り入れた」というようなことを言っていた通り、「確かにあんま見たことない動きかも…」というものがたくさんあった。

前半は、両手を左右に広げ交互に斜めにしたり、片手をあげたり、キュッと止まったり、身体を捻ったジャンプからの着地、片手だけの振り付けだったり、なんというかある種バレエ的な、舞踏的な動きみたいなのが基盤となっており、新鮮かつ、羽生結弦、こういう舞踏的な動きもできるのか……と見惚れてしまう。

(なお、その際背景で流れる映像が衝撃にダサいのはなるべく見ないものとする)

前半と後半を繋ぐ3Aが本番ではビッタビタに決まったのも素晴らしく、この音の無い見事すぎる着氷……! GOE5では足りない。

そして、後半に大地真央様が登場するのだが、ここでの大地真央様も、凡庸な人間がイメージするような「歌うのかな」「ミュージカル曲でもやるのかな」みたいなものでは全くなく、別に歌ったり何か台詞を言ったり舞台上でめっちゃダンスを踊ったりするわけではない。
ただそこに居り、羽生結弦を翻弄する運命の糸を操る。それだけだが、「それだけ」なのに、これは大地真央様ではないと成り立たない。この圧倒的なオーラ、存在、白雪姫とその魔女のようなこの対比、彼女が「居る」ことではじめて「完成」する。

先ほど、「あのリハは“半分”なんだな」と言っていたのはそういうことで、この大地真央さまとの連動でこそ、「完成」するのであり「完成形」なのだ。


運命の糸を操る大地真央様と、そんな運命の女王に引っ張られて翻弄されていく羽生結弦。
まるで、「糸」がそこに「有る」かのようなこの質感、大地真央様の振りからあえてワンテンポ遅れた動きとこの質感が、実際には存在しない糸の存在を我々に「見せる」。
ショートサイドから二人を正面に捉えるからこそより分かるこの連動と呼応が生み出すものの凄まじさ。(しかしこれ、羽生結弦は舞台に背を向けているのにすごいよなー)
魂を抜かれた虚ろな器のように操られる様や、恐怖し逃げまどう様の演劇性、「糸」に絡み取られ運命という枷に前へ進めないというスケート表現の質感の出し方、謎に上手いパントマイム(まじで謎に上手い)、この、見事なまでの演劇性………!!!!!


もうなんつうか、あまりにすさまじすぎて息が止まっていた。
完全に、息の仕方を忘れていた。


まさしく「新たな芸術」が爆誕したこの瞬間。

舞台のようであり、ミュージカルのようであり、フィギュアスケートなんだけど、演劇のようであり、舞踏やバレエのようでもあり、でもセリフを言うわけでもないし、そのどれでもあってどれでもないみたいな、新たなる芸術。新ジャンルのパフォーマンス。

我々は、なにか「歴史」の大きな瞬間を目の当たりにしてしまったのではないか????


この、歴史の爆誕の瞬間と天才の偉業を目の当たりにして、私は私のぬるい「コラボ」の発想が如何に貧弱だったかを突きつけられる。
ゲストが大地真央さん、と聞いた時、「歌うのかな」「ミュージカル風なのかな」としか考えられなかった自分をボコ殴りしたい。
天才は、そんな凡人が考えるような貧弱な発想では留まらないのだ。
ただ歌に合わせて滑るというわけでもないし、一緒に踊るわけでもない、大地真央さんが歌ってもないしめちゃくちゃ踊っているわけでもないのに、まさしく大地真央さんにしかできない仕事であり存在感であり、大地真央さんとしか成立しないコラボ。コラボすることで初めて「完成」する作品。
いいコラボは、単純な足し算ではなく、「掛け算」なのだなあとつくづく思う。互いが互いの魅力をより引き出し、掛け合わさることで互いと互いの足し算以上のものやパワーを生み出す。それこそが。





この新たな芸術の爆誕、たった3日だけで終わらせるにはガチでもったいないのではないか?(いや羽生結弦のコラボは数日だけで終わらせるには勿体無いものがたくさんありすぎるが。if…とかレゾンとか。)

羽生結弦のアイスストーリー、今は「物語(映像)」と「スケート(プログラム)」を交互に入れ込むような構成だが、
いずれ、「スケート」そのもの自体で、こうやって演劇的に物語の一部を表現するみたいなミュージカル方式にチャレンジしてみても、いいんじゃないでしょう…か!!????


と、なんかまじで、あまりに「コラボの最適解」がすぎて、最初のイメージビジュアルを見て、「なんかめちゃくちゃ火サス感あるな…」とまじでしょうもない妄想を繰り広げていた自分をタイムマシンで過去に戻ってまじでタコ殴りにしたいほど。

いや、本当にその節はすみません…。


(以下、ビジュアルを目にしたときに私の脳内を駆け巡ったしょうもない妄想。)



しかし毎年こんな、コラボのハードルと期待値上げ続けて大丈夫かよ羽生結弦!!!????? という心配も無いではない。


そのうち、本当に星野源を呼ぶしかなくなっちゃうじゃん!!!!!!!!!!!
ね??????????????????


と、私が最近星野源、星野源言っているのは、「おげんさんのサブスク堂」に羽生結弦がゲスト出演していたとき、実際星野源へ曲をオファーしたい話を
していたのでぜひ実現してくれという気持ちもあるが、

(このnotteの単独プロで滑っていた「Danny Boy」も、この「おげんさんのサブスク堂」で、星野源が羽生くんに紹介していた曲ですしね)


星野原がオードリーの東京ドームライブのために描き下ろした曲「おともだち」が、ガチでガチの最高だった。
これほどまでに、オードリーのテーマソングとして、これ以上なく的確かつエモな曲があるだろうか??と、まるで、米津玄師に推しCPの解釈バトルで敗北した腐女子のように、ずっと地団駄を踏んでいる次第である。


「オードリー」と「心躍り」で韻を踏んでいるのもいいし、何よりオードリーの、中学からの同級生でそんな友人関係の延長線上に今があるんだけど、けど別にベッタベタの仲良しこよしっていうかさ、みたいな、このなんともいえない関係と、まあかけがえのない友達であり相方ではあるんだけど別にそれは素直には出さないしそういう素直な感情でもないみたいな若林のある種捻じ曲がったひねくれた感じ、を「別に好きとかじゃない」「うんざりだ」「やだな」みたいなワードで的確に表現している、この…………!!!

でも、「うんざりだ」って口では言っているけど、というのも伝わってくる、この……!!!!!!!!

星野源、天才じゃん……………………


というわけで、この天才・星野源が「羽生結弦」を解釈し、曲に落とし込んだときに、一体どういったワードや曲が生まれるのか???と、これは結構本気で真剣に気になっているわけである。


ところで、このオードリーの東京ドーム公演、私はライビュで観に行ったのですが、当たり前なんだけど、「東京ドーム公演って、本当に特別なんだな…」ということを今更強く思った。(当たり前速報すぎる)

それはアイドルや歌手にとってしても目指すべき大きな目標みたいな意味でそうだろうけれど、そもそも、「東京ドームでやる」などということがそれまで想定されていないようなジャンルの人、オードリーもそうだし、フィギュアスケーターである羽生結弦もそうであろう。彼らにとっては、それらは単に「大きなハコでやる」以上の意味を持ち、まず、「何をどうやるか、どう魅せるか」という、前例のないところから話を始めないといけない。
それこそ、オードリーであれば、スタッフはもっと前、本人たちも一年前からこの東京ドームに向けて、あれこれと準備を練り話し合い、さまざまな企画を立て盛り上げてきて、ようやくこの日を迎え、そこには何人もの大勢の人々の手と仕事が関わっているわけである。
そして、会場の圧倒的な人々の量。それこそ、私の生まれた町の当時の人口が全員収まるくらい(※今でこそ「市」なのだが私の子どもの頃はまだ「町」でその時は5万人くらいだったはず)の人々がつくる、圧巻の光景。すごいことである。

ラジオが好きだった中学の同級生同士が、売れないくすぶっていた期間を経て、いまこの光景を目にしている。
当時の部室の延長線のようなラジオ、そのトーク・空気が、時を経てこれだけの人々の支持を集めて、いま自分たちはここに立っている。ここまで来た。

なんか、映画だったらここで「FIN」とエンドロールが流れ始めて然るべき美しすぎる瞬間である。


東京ドームはまさに、人生のフィナーレ「FIN」の文字が見えるかのような特別な場所なのだな、とつくづく思ったが、
しかし、現実は映画ではないので、東京ドームで「FIN」ではない。


……というか、東京ドーム以前に普通であればあの五輪を二連覇した瞬間がまさに「FIN」でもよさそうなものなのだが、羽生結弦、つくづく五輪二連覇で終わる男ではない。
改めて、あれはあくまで「スタート」というか、五輪二連覇がスタートに過ぎないってどういうことなんだよ感だが、彼の表現したいもの、フィギュアスケートの持つポテンシャルの拡大、新たなる表現の産出、金や人を集めそれらを実現するためには無論、実績やそれに伴う人気や知名度が必要であって、だから競技時代のそれらの実績こそが「スタート」。
彼がプロに転向するとき、羽生くんは野球選手を例に出したが、私としてはこの、競技会(アマチュア)とプロの関係、たぶん、「ピアニスト」とかのそれが近いように思っている。ピアニストは、若い時分、さまざまなコンクールに出場し賞をとり名を売り、そうしてプロのピアニストとして活動し様々に活動を広げていく、そういう感じだ。

無論フィギュアスケートのこれまでの捉えられ方はそうではなく、この辺、プロサッカー選手などを見ていると分かりにくいが、フィギュアスケートにおいては、五輪だとか世界選手権などの競技会に出場しているのは全員「アマチュア」の選手で、だからそういう「アマチュア」の選手こそが、現時点でのトップ選手であり一流選手、というような見方をされる。
それらから既に退いた、すなわち競技会を「引退」し、アイスショーへの出演などで身を立てる「プロ」スケーターは、現時点でのトップであり中心であるアマチュア選手よりも、言い方は悪いが、「競技では勝てなくなった選手」という位置付けであったり、身体のキレやスケートのクオリティ、繰り出せる技や技術などが「すでにピークを過ぎた」ある種「一段劣った」位置付け、とみなされがちだったわけである。

でも、本当は違うはずなのだ。
競技会における様々な制約、ジャンプの本数や種類、制限時間、入れなければいけない要素、レベル取りのためにこなさなければいけない要素、もちろんそれらの中でしか生まれない感動や美しい瞬間も当然にありそれはそれで尊いものだが、しかし同時に、それらの制約を受けないからこそ出来る新たな表現やスケート、競技会のためではないスケートのためのスケートをお目見え出来るのが「プロ」の価値であり意義でもあるはず。
競技スケートのただの劣化版ではなく。


(という意味では、なんか最近すごく思うんだけど、自分がもはや普通のショーをみると、「羽生結弦のポエムはまだかッ!!!!!!!!」と思ってしまうというか、あのスタイリッシュな映像とともに羽生ボイスで奏でられるポエムを渇望している体になってしまったのを感じる……羽生結弦によって破壊されたアイスショー概念……)


しかしなんつうか、羽生結弦の恐るるべきは、そのスピード感で、東京ドームが終わってしばらくは燃え尽きるかそれを反芻し続ける日々を送って全然おかしくないのに、2月に東京ドーム公演を終えて3月にはnotte、4月にはSOIでツアーを回り、5・6月はFaOIでツアー(そこでコラボプログラムを新たに2つ披露)、その合間や7・8月にはさまざまな撮影やテレビ撮影をしていると思ったら、9月にはもう次の単独ショー「RE_PRAY」を11月から2月にかけてやります!とか発表されていた。おかしい。「RE_PRAY」、本番は11月とはいえ、10月上旬には通しリハーサルを行っていた。通しリハーサルを行う、ということは、映像の感じとか演出とか衣装とかほぼほぼできているわけで、10月上旬にできていたということは、発注のためにはそれより前、それより前……???

で、そんなふうに「RE_PRAY」を11月から2月にかけて練習し公演している合間に、このnotte stellataのために、新たなる芸術を爆誕させてしまい、かつ練習もこなしていたわけである。


まじで何者なんだろうな…………。
CLAMPみたいに4人組のユニットとかなのかな………。



・Permission to Dance


Eテレの教育テレビにお歌のお兄さんとして出ていたときの羽生結弦
(存在しない記憶)

いや、顔はめちゃくちゃ可愛いし表情管理も完璧だし、顔はめちゃくちゃ可愛いし(二回め)、ダンスや音取りもかわちいくて上手いし、新しい韓国アイドルグループのメンバーって言われても「ふうん」って納得するくらいめちゃくちゃアイドルだし、何よりふんわりとした髪型がベストオブベスト髪型すぎるほど最高すぎるもう一生このスタイリストに髪型やってもらってくれと本気で願っているレベルに髪型がかわちいいいかわちいすぎるのですが、

notteお馴染み(お馴染み?)、背景の謎のクソダサ感により、完全に「Eテレで歌のお兄さんをやっていたときの羽生結弦」という存在しない記憶が形成されてしまった。

私は普段、羽生結弦を自分のママだと信じる異常中年女性なので、「GIFT」が配信開始されてからしばらくは、「ママーーー絵本読んで!!!!」と羽生結弦に絵本を読み聞かせてもらう(※ディズニープラスでGIFTの配信を流しながら眠りにつく)日々を送っていたのですが、羽生結弦、絵本を読み聞かせてくれるだけでなく、おうたのお兄さんにもなってくれるっぽい。
バブみコンテンツがすぎる。


ところで、この、BTSのPermission to Dance、去年のDynamiteに引き続き(?)、本郷理華さんがなんか絶対に一朝一夕とは思えない謎のキレを披露していたのが笑った。




・Danny Boy



この演目の前に、ゲストである大地真央さまのパフォーマンスがあり、
なんつうか、それがあまりにあまりにもかっこよすぎて、大地真央さまの出で立ちと存在と一挙一動が生み出すかっこよさにあまりに魅入られてしまい、それまでの人生でさほどはピンと来ていなかった「男役」のかっこよさに目覚めそうになったが、宝塚とフィギュアスケートとか、ガチの真剣に破産まっしぐらコースの2乗みたいな趣味すぎるので、慌てて扉を無理やり閉めた。(いや、冗談でなくほんとに…)
しかし、この大地真央さんの後に、羽生結弦が出てきたのがよかった。
というのは、この、白い衣装に身をつつみ前髪をあげたDanny Boyの羽生結弦、なんというかめちゃくちゃ「宝塚の男役」感がすごいのである。

実際に男性である人間に対して、「男役」というのも変な話だが、でもまさにそんな感じなのだ。男性でもなく、かと言って女性でもなく、女性が男性の格好をしているからこそ生まれる色気、男装の麗人めいた雰囲気と魅力。
宝塚が目指すべき理想の男役がもしいるとすれば、それはまさしくこういう感じなのではないか…?と思わせるような。


今回、大地真央さんと羽生くんを見るにつけ、スターというのは立っているだけでスターなのだなあ、とつくづく実感したのだが、
無論それは、別にただ本当に「立っているだけ」なのではなく、手を伸ばすだけでも他の人とは違うそのかっこよさは、姿勢、表情や雰囲気の作り方、手を伸ばしたその手の角度、魅せ方、力の入れ方、指先までへの意識、それらをもはや無意識の部分までに纏うほど染み込まされた、長年にわたる鍛錬と技術と意識の賜物なのだろうなあ。


Huluの配信では映ってなくてめちゃくちゃもったいなかったけど(BSの放送では遠目に映っていたかも)、カルミナ後に羽生くんが、脱いだ衣装をサッと纏い、捌けていくその後ろ姿まではちゃめちゃにカッコよく、様になっており、まさにこれ以上なく「スター」で、あれは本当に感銘した。

3年前のスターズオンアイス、コロナ禍で海外スケーター達が来られないということもあり、オープニングや諸々、羽生結弦が中心となって任されていたことがあった。そのオープニングの練習時に、羽生くんが後輩等他のスケーター達に「捌ける時も最後までちゃんと腕を下ろさない、最後までちゃんと」というような声かけをしていた。あれが、その場に居たスケーター達にどれほど響いたかは分からない、人によっては「そんな些細なこと」と思ったかもしれない。でも、そういう、どんなときであっても360度常に誰から見られているという意識、気を抜かず魅せるということへの意識、それらの長年の積み重ねこそが、「ただ立っているだけでもかっこいいスター」という存在を作り出すのだと、大地真央さんや羽生くんという存在を目にして、改めて思ったのだった。




全然どうでもいい話だが、プチ同窓会というか、この前、大学卒業以来9年ぶりに当時のサークルの同級生たちと会う機会があった。
学部も違い、当時から別に毎日毎日会っていたというわけでもないため、9年も経ったら髪型や服装が違ったり体型や顔が変わっていたりなどで、自分も相手が分からなかったり相手からも自分を分かられなかったりするのではないか?という不安から、(なるべく時間ギリギリに行こ…それらしき集団が既に集まっている段階で行けるように…)というセコい(セコい)考えを抱…………いたが、生来の生真面目さを発揮して普通に20分前くらいに着いてしまった。
しばらく待っていたあと、後から来た元同級生に「◯ちゃん!」と声を掛けられた時に、↑とまったく同じことを口にしたら(口にするなよ)、

「いや、すぐわかったよ。後ろ姿でもうわかった」

と言われた。

つまり何が言いたいかというと、やっぱり、そういうことなんじゃないかなあ、と思うわけである。
その人を「その人」だと形作るもの、それは顔とか化粧とか髪型とか服装とか、そういうのもあるけれど、なんというか、“全体“から醸し出されるフォルムだとか姿勢だとか雰囲気だとか存在だとか、そういうものの方が大きくて、そういうものは一朝一夕では作れないし一朝一夕では変わらないのだろうな、という。


その出で立ちだけで人を魅了できるのが、本物のスターなのだろう。


哀愁と優しさの漂うピアノの旋律が美しく涙を誘う「Danny Boy」。
キース・ジャレットの奏でる旋律に合わせた、足もとの小洒落たアクセントや、3T後のうっとりするようなジャズちっくな足捌きや、入りと出の様々な工夫を含めたオープンアクセル(?)の音ハメ表現、などなども非常に華麗で惚れ惚れするのですが、リハではやや苦戦していた、3ループからピタッと止まる箇所も、本番では見事にびったびたに決めていたのに感嘆した。


この曲、元はアイルランドの民謡で、出征する息子を見送る親の歌とも言われているらしいのだけれど、
この羽生くんの「Danny Boy」は、むしろ、戦争を終え、既に亡き両親たちの眠る故郷へ戻ってきた青年のように見えるのである。


家族の眠る墓へ跪き、祈り、今はいない大事な人たちを悼み、彼らとの思い出と在りし日を想う青年。

notte stellataの行われるセキスイハイムスーパーアリーナは、東日本大震災のときには、被災地最大の遺体安置所だった場所だ。そんな、この地に今も居るのかもしれないたくさんの魂たち、この世界に確かに生きていた人々へ向けた悼みと祈り。


■notte stellata 2024に寄せて。


羽生結弦のような立場にある人間が、震災について語ることは難しい。
語っても何か言われるし、かと言って語らなくてもそれはそれで何か言われるだろう。

どんな話題にも誰に対しても言えるが、何も言わないということは必ずしも何も思っていないことと本当はイコールではないのだが、特にこのSNS社会においては、何かを言わなければ何も思っていないかのように扱われてしまう。ときに、口には出さなかった言葉にならない感情に、「何かを言わなければ」と思って出た表面上の言葉よりもずっとずっと真意や思いが有る場合もあるのに。

そんな、口に出せば偽善者と言われ口に出さなければ冷たいと言われる中で、本当に心ない人が、しつこく「本当の被災者」でもないくせに被災者ぶって震災を利用しやがって、みたいな酷い言葉を浴びせたりもする。

(利用するも何も、別に羽生結弦は被災者だから有名になったわけでもないし(五輪金メダルとかをとったスケートの実績で有名になっただけ)、単独のショーで十分人を集められるほど人気があり売名や利用の必要もないのだが。それこそ、「震災を利用して」気に入らない人間を叩いている人でなしはそちらなのではないか?と思うわけですが)


しかし、“本当の被災者”とはなんだろう。
これは前々から何度か言及している話なのだが、私は、羽生結弦に限らず、誰に対しても、こうした災害をただ語るにおいて向き合うにおいて、「本当の被災者」という言葉を外野がぶつけるべきでも、また己の中で内面化してしまうべきでもないと思っている。


「Shrink〜精神科医ヨワイ〜」という漫画の3・4巻に、東日本大震災のPTSDに苦しむ青年が主人公の話がある。
彼は震災で両親を亡くしてしまったが、両親の遺体を前にして、しかし家族や恋人の遺体も見つからない隣の友人を思えば「こいつの方がもっと辛いはずだ」と、“辛い"と言えなかったこと、そしてその後自分は、姉家族を頼り東京に移り住んだため、「自分は逃げた」という罪悪感に苦しみ、それがために震災の記憶に蓋をし続け、しかしトラウマに苦しみ続けることになる。



この青年は、「あの時自分は辛かった」と辛い気持ちとトラウマに向き合うことで始めてそれらを乗り越えていくのだが、
「本当の被災者」という言葉の持つ暴力性は、すなわちこういうことなのではないかと思う。
「しばらく避難所生活を送ったけど、内陸だから、津波で家が流された人よりは…」「津波で家は流されたけど、家族や親戚は無事だったから…」「友人は亡くなったけど家族は生きているから…」「家族は亡くなってしまったけど、遺体も見つからない人のことを思えば、遺体は見つかっただけまだ…」
私たちはどうして、なにか、嘆き悲しむための、辛さを辛いと言うための「資格」みたいなものが必要のように感じてしまうのだろう。
でもこれらを突き詰めていくと、極論、いまこの世界に生きている人は誰も、本当の被災者「「ぶる」」“資格”など無いことになってしまう。少なくとも生きてはいるからだ。生きている。死んではいない。亡くなった人のことを思えば、生きているだけ御の字?

それはある意味確かにそうかもしれない。
けれど生き残った者には生き残った者の苦しみがある。


これと同じような葛藤を、ほかでもなく羽生結弦本人が言及しており、彼はそういう葛藤と無力感とを抱えながらそれでも発信し続けているのだ、とその決意と想いの強さに感銘したのだが、
この「羽生結弦さん 東日本大震災から13年のインタビュー全文 2024年3月11日 仙台市内」という記事はぜひ、羽生くんが好きな人もあるいは嫌いな人もぜひ全部読んでほしい。(有料記事だが会員登録をすれば月3本までは無料で読める)



この記事でも言及されているような、またそれ以前からの言葉で、これは羽生結弦の「芯」となっている考えなのだろうな、というもので、私が好きな考え方に「ほんとうはひとりひとりに人生があるはずなのだ」というような考え方がある。
それは、コロナ禍で医療従事者へ向けたメッセージおいて、「私は、私たちは、皆さんが数字ではなく、魔法でもなく、かけがえのない生命の炎であることを、絶対に忘れません。」と発したことにも表れているし、糸井重里との対談の第4回で発せられていた内容にもすごく感じられるし、単独アイスショー「RE_PRAY」における命題、ゲームの中では自分のレベルを上げるためにさまざまなモブやモンスターを無機質に殺していくけれど、彼らの一人一人にも命があり人生があるのではないか、というような問いからも伝わる。

何か災害があったときに、つい外野たる私たちはたとえば、「死者5人」と聞けば、亡くなった方がいたのは悲しいけれど"そのくらいで済んでまだよかった"というような思いを抱いてしまうことがある。でも、その亡くなった人の周りの人からしてみれば、1万人分の1だろうが、5分の1だろうが、同じ大事なかげがえのない「1人」をうしなったことに変わりはないはず。絶対に何もよくはない。
あるいは逆に、たとえば震災やコロナ禍において、最初の死亡者が報じられているうちは、あるいはそのあとの続報のうち、何人かのうちは、まだ、○に住む○代の女性、などと属性が封じられるうちは、ひとりひとりの死者と人生へ思いを馳せ、想像し、気の毒に思う気持ちが生まれるかもしれない。でもそのうち、その数がどんどん拡大していくうちに、数百人、数千人、数万人、そのひとりひとりの死者は単なる「まとまった数」としか捉えられなくなってしまう。何千人、という無機質な数としか受け止められなくなる。でも本当はそうではないはずなのだ。それは歪んだことだし、それは間違っている。数字ではなく、その数字を構成するひとりひとりに、ひとりひとりの異なる人生と価値があったはず、それらがひとつひとつうしなわれてしまったのだ。という意識。


あるいはそれは、いま生きている人々にも言えるだろう。
それぞれの人に、それぞれの人の分だけそれぞれの人の悲しみと記憶と感情がある。それは誰と比べるべくもないその人だけのものだ。悲しいものは悲しいし、苦しいものは苦しい、その感情を、外野が、己が、その被害の規模とか失われたものの大きさなどで線引きすべきものではないのではないか?




東日本大震災をテーマにした小説「荒地の家族」の中に、すごく心に残っている一節がある。
妻を亡くし、再婚した次の妻との子も流産で喪った主人公の男は思う。

""生きている間の辛苦は本人と共有できるが、死は別だ。死だけは本人ではなく、側にいる人間が引き受け、近いほど強烈に感じ続ける。""

佐藤厚志「荒地の家族」


死ねばそこで終わりだが、生きているものは、なにかが変わってしまった中で、もう「起こる前」には戻れない取り返しのつかない世界の中で、なくしたものへの想い、後悔、哀しみ、辛苦を抱えながら生き続けねばならない。



3月9日の土曜日に、震災機構である荒浜小学校へ足を運んだ。
一泊二日にしたのは、先述の通り、アイリンに行きたかったのもあるが、いちど荒浜小学校を訪れたいと思っていたからだ。
そこで私は、私たちの日常にまつわる、終わってしまうことと終わらないということを考えた。


















二階のベランダに残る、波が校舎を削ったあと。二階の天井の、波飛沫の水のあと。あの、いまは穏やかに見える海がここまで、こんな高さまで襲ったということことが、そんなことが起こり得るのかと、そんなことが現実に起こったのかと、それはどれほどの想像を絶する恐怖だろうと、にわかには想像し難かったが、
展示されている、震災前の付近の様子のジオラマや写真と、今はまるで殺風景に見えるこの辺りの景色を見比べ、ここには確かに町と人々の暮らしがあり、しかしそれらはある日突然、無常に波に呑まれてしまった、ということを突きつけられる。

だが、遠目には穏やかなように見えた海も、近づくと、荒浜、という名のとおり、まさしく、普通の海よりも波が荒いように思える。なんというかいささかスピリチュアルめいた言い方になってしまうが、この、少し歩を進めれば目の前の波に呑まれてしまうのではというような恐怖と、波のぶつかる音と身体に伝わる波動を感じたとき、我々は、こういう巨大なエネルギーを持つ地球の上に住んでいるのだ、ということを思った。この地球は平穏に見えて決して平穏ではなく、常に活動をし続けており、だから我々の生活は、本当はある日いつでも一変し消滅する可能性がある、かりそめと無常の上に成り立っているに過ぎない。
震災でなくたって、本当はそうなのだ。国が核爆弾で消滅する可能性はいつでもあるし、気の狂った人が石油を撒けば人は簡単に死ぬ。今自分がそうなっていないのは、条約だとか、「そういうことはしないようにしましょう」とか「わたしもあなたを殺さないかわりにあなたも私を殺さない」という約束事が成り立たせてきたに過ぎない。でもそんなことは知ったことではない誰かがそんな約束なんて反故にすれば、本当はこんな命は容易に吹き飛ぶ。


いまある命が明日もあるとはかぎらない、それは真であると同時に、しかし、一方で世界は意外と終わらなかったりもする。

荒浜小学校へ展示されていたメッセージのひとつに、震災後、しばらくほかへ移り住み、また戻ってきた人の文章があった。当たり前なのだけれど、震災は震災が来て終わりではなく、生き残った人々にはそのあとの生活と人生がある。


もう31歳のくせに未だに厨二病みたいで恐縮だが、コロナ禍に覆われた世界で数年を過ごすうちに、世界は案外滅亡しないということを考えている。
未知のウイルスに覆われる世界、まるで世界がそのまま終わってしまうかのような、あるいはこのまま世界が終わってしまえと願ってしまうような出来事があっても、意外と終わらない。

だから非常事態にいっときは右往左往しても、誰かをうしなった哀しみだけに浸りたいと思っても、私たちは、一生そうしているわけにはいかない。
私たちが生きるには何かを食べなければいけないし、何かを食べるにはお金が無ければいけないし、お金を得るには何かをしなければいけない。
たとえ身近な誰かが亡くなったとしても、何もかも手につかなくなるような感情が身体を巡り続けたとしても、異常事態に生活が一変したとしても、緊急宣言が出ても、しばらくすれば、食べ物を得るための方法、食べ物や住居を得るためにする営み、残高ののこりと収入、税金、予定外の出費の工面、様々な手続き、家賃の支払い、更新、気の合わない誰か、理不尽な叱責、明日までが締切なのに終わっていないなにか、週明けに待っているうんざりとするような仕事、日常のさまざまな雑多な生活。が待っている。待ち続けている。

苦しみと同時に滅亡はしない世界で生き続けなければならないわたしたち。



散々偉そうなことを語ったが、けれど自分自身は被災したわけではないし、親戚や知人が東北にいたというわけでもない。

私は愛知県出身で、震災当時は愛知県に住んでおり、高校の卒業式を終え既に進路も決まった春休みの最中だった。
愛知、とはいえ、生まれてから18年の人生の中で、記憶にある限りいちばん、と言っていいほど「揺れた」ような感覚はある。日本は地震が多いからみんな地震に慣れきっていて、震度3くらいなら「地震だ!」くらいで終わってしまう。その時も最初はそう思ったけれど、思っているより”長かった”。いつまでも終わらない揺れ、あれ? すごい長くない? と徐々に恐怖感を覚えたあたりで、1階に居た妹も同じように思ったのか、階段を上がってきて私の部屋へやってきた。「やばくない?」

でも、その時はそれでも、「いつもよりちょっと大きい地震」程度の認識しかなかった。
まさか、これほどの未曾有の大災害だとは、想像を絶する事態だとは。本当にわかったのはそのあとだ。

けれど、テレビでは、まるで現実感のない津波の映像と、13年経った今でもその映像を覚えているほど故郷を流され慟哭する人たちの様子が繰り返し映し出されるのに、自分の生活は滞りもなく、翌日には、その前々から決まっていた当初の予定通りに、進学後の住居のために、奈良で不動産屋と部屋を回っていた。一方では、同じ国に甚大な被害を受け何もかもが一変した人たちがいるのに、他方では、昨日と同じ当たり前のような毎日が変わらずあった。自分に多少なりとも関係があることがあったとしたら、国公立の後期試験を受ける同級生たちは大丈夫なのだろうか、ということくらいだった。でもそれも、既に進路を決めている自分に実質的に関係があるわけではなかった。
地元のイオンで、目についた募金箱に募金をした。贖罪の気持ちだったのかもしれない。

2011年4月からの4年間はずっと奈良に住んでいた。
そのあと就職で東京に出てきて思ったことがひとつある。
東京の人たちは、何か過去のことを思い出すとき、「あれは震災の前(または後)だったから…」という言い方をする、ような気がする。もちろん大人になると、学年みたいなものが無くなるから年月の経ち方や起点が曖昧、ということなのかもしれないけれど。しかし少なくとも、西に住んでいた時は聞かなかった言い回しだった。愛知の家族からも発せられたことはない。
東北の方は言うまでもないと思うが、当時東京にいたような東の人たちにとっても、人生のうちで本当にそれほどの出来事だったのだということを思う。たとえば私たちが、1945年を基準に、戦前、戦後…と物事を考えるかのように、震災前、震災後、なのだ、と思う。
新卒のとき、当時働いていた会社の先輩に、誕生日プレゼントとして本を貰った。「震災の時、気持ちが沈んでいた頃に救われた本」と言っていた。そうか、と思った。東京の人も、それほどの出来事だったのか、と。
でも西日本にずっと居た人にとっては、そういうわけでもないのかもしれない。自分を含めたこの断絶について思う。


だから、結局のところ東日本大震災というものを、報道などを通じてしか知らず「リアル」には体験していない身である自分が、この日が近づくと震災について考えるのは、良くも悪くも羽生結弦の存在と発信によるものが大きい。

今年の1月に、能登半島地震が起こった。
その際に、警視庁の災害救助犬が派遣される、というニュースを見た。
折しも、ついその先月に、羽生くんが出演していたeveryで、まさにその警視庁の救助犬が取り上げられていたばかりであった。
私は、能登へ派遣される犬たちの写真を見て、あれはあの時のワンちゃんなんじゃないか?と、健闘と無事を強く祈る気持ちになった。
つい最近、福島で地震が起こった。震度5弱の地域に、楢葉町と書かれているのを見て、あの楢葉町の皆さんは無事だろうか、と彼女たちの顔が思い浮かんだ。
羽生くんが取り上げ続けることで、遠く住む私にとっても、名も知らぬ人たちの遠い出来事から、少なくとも、名前と記憶のある人々の話になる。

だから何だと言うのか、それですぐに何かが変わるのか、と言われるとそれはすぐには分からない。人によったら、募金のきっかけになるかもしれないし、震災がどこか遠い場所の無関係の出来事のように感じてしまっていたのが、自分自身にもある日起こる可能性があるリアルな出来事として実感をもって感じられるようになるかもしれない、その気持ちと備えはその人の未来を救うかもしれない。
少なくとも、何かをする、何かを発する、ということは、何かをした未来へ分岐する、少しずつでも、あるいは巡り巡った遠い先の未来であっても、何かに何かの影響を与える、ということだ。
少なくとも、大した意味がないから何もしない、と全て諦めるよりは、何倍も意味があることだと思う。



もちろん、あらゆる災害において、誰かひとりだけの力ですぐに全て解決することは、ないだろう。たしかに、全て等しく万人の人に寄り添える行動や何かも存在しない。お金は何かの助けにはなるかもしれないが、お金では決してかえられないものを失った人々もおり、お金がその人のすべてを救うわけではない。救いや傷への向き合い方というのは人それぞれ違う。外野が、本当に辛い人は○○○〜とジャッジできることではない。早く忘れたい、思い出したくない人もいれば、まるでかさぶたを剥がし直すように傷に向き合い続け想いを言葉にし続けることで立ち直る人もいる。あの当時、絆、絆、と連呼されることに「人が大勢死んでいるどうしようもない災害を御涙頂戴物語化して美談にしてんじゃねえよ」みたいに嫌な思いになる人もいただろうし、繰り返し流されるACのCMに内心、早く普通のテレビに戻らないかなと思ってしまってそう思ってしまう自分に罪悪感を抱いた人もいただろう。でも別に、そういう人たちだってたぶん傷ついていないわけではないのだ。同じ国で、これほどまでに甚大な災厄をもたらす何かが起こって、大勢の人々の暮らしと命が失われ、程度の差はあれ皆なにかの傷があったはずだ。その傷に真っ直ぐに向き合い続けるのが辛いから、自覚的にせよ無自覚にせよ心の平穏をはかるために早く「いつも通りの日常」を取り戻したいと願ったり、「これは自分にとってそんなに大したことじゃないはずだ」と深刻ぶることや神妙ぶることを避けたりしてしまったりする、ある種の防衛なのだろう。
同時に、「物語」を欲する人だっているのだとも思う。本当は、この地球に地震、震災が起こること自体になにか文脈のある"意味"などは存在しない。プレートの動きでただ「起こる」。この大地は、地球は、地球に住む人々の事情とか人生とか脈絡とか都合とか、たとえば元旦だとかそんなことと一切関係がなく災厄をもたらし、そこに不運に遭遇した人の生活は、いのちは急に途切れる。
その無慈悲さと脈絡の無さをそのまま受け入れることはあまりに耐え難い。起こってしまったことは変わらない。変えようがない。でも、悲しみや辛さはあったけれど、とか、この苦しさは、のような文脈が欲しい、明日へ繋がるための物語が欲しい。意味が欲しい。それは我々が希望のない世界で希望を見出すための切実な智恵であり願いなのではないか。


希望。
notte stellataの大きなコンセプトであろう。
「ダニーボーイ」に際して、羽生くんが「過去への希望と未来への希望」、というようなことを言っていたのがとてもよかった。
まさに。それは羽生くんが今回のnotteへ込めたコンセプトでもあるのだろうと思う。



ところで私は、24時間テレビなどで何度かメディアに出ている楢葉町の髙原カネ子さんのすっかりファンなのだが(?)。

髙原さんが今回おっしゃっていた、notte stellata2024を受けての言葉もめちゃくちゃよかった。


「帰ったらお花を育てる」

なんと美しく、なんと文学的で、それでいてなんと端的にこのショーの伝えたい想いを汲み取って表現した言葉だろう。
帰ったらお花を育てる、これはもうあれですよ、太宰治じゃん…………。
文豪じゃん………。



太宰治の「葉」の中の有名な一節に、以下のようなものがある。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

太宰治「葉」



帰ったら花を育てる。夏用の着物を貰ったから夏までは生きていよう。
来年こそはアイリンに行こう。
希望というのは、そういうことじゃあないだろうか?

花を育てるというのは前向きな行為だ。花を育てている間は、花が育っていく様子を毎日楽しみに居られるし、明日はどうなっているか、楽しみに明日を待てる。少なくとも花が咲くまでは死ねないという気持ちが芽生える。
そういう、何か前を向く気持ちを、生活を生きるための明日への道標を受け取った、ということをこれほど美しくそれでいて端的に表現した言葉があるだろうか?



これも確か髙原さんの言葉だったように記憶しており、何なら私の座右の銘レベルで心に刻まれている言葉があるのだが、24時間テレビで羽生くんのショー(確かnotte stellataを滑っていたように記憶している)を観た被災者の方が、

「思い返してみれば素敵な日もあったなあって…」

というようなことを言っていた。
これも、全てが崩れ真っ暗な闇と絶望の中で見た、夜空を照らす満天の星空のような光、をコンセプトとするプログラムをみた感想として、これほどまでに的確で美しいものがあるだろうか、とひどく感銘してしまった。

人生は、常に楽しいことや嬉しいことばかりではなく、どうしようもない災厄や理不尽な出来事、どうともならない憤り、打ちひしがれるような不幸や二度と取り戻せない悲しい別れも訪れるときがある。
良いことばかりではない。でも、その人生がどれほどよいものだったか、価値があったか、それは、不幸の大きさや回数の総量と幸福の大きさや回数の総量とを天秤にかけて量るようなものではないと私は思っている。
たとえ、天秤にかけたときに不幸や不運、悲しみや憤りの方が大きい日々だったとしても、この人生のうちでほんの少しでも、ほんの数回でもいいから「この記憶があれば自分は生きていける」と思えるような瞬間、「この素敵なものに出会えたことだけで、自分の人生はよいものだと思える」という美しい何か、思い返したとき、それがこの人生に「あった」と言えるならば、確かにその人生は価値のあったものだったし、意味のあるものだったし、素敵なものだったのだ。


日常はある日突然終わりを迎える可能性はいつでもあるし、
同時に、この世界が続いているうちは、生き残っている私たちの生活は続く。続けなければいけない。
この瞬間に立ち会えたから自分の人生には意味があったと思えるような過去への希望と、成長していく花が咲くときを見届けたいと願うが如き未来への希望。
仮にこの人生がもうどうなってもいい、終わらせてもいい、終わってしまえと思ったとき、それでも最後に自分を救うのは、我々を生かすのは、そういうものたちなのではないか?


私にとってまさしく、羽生結弦という存在はそういうものだ。
羽生結弦のスケートを観るたび、「顔がいい」とか「スケートが上手すぎる」とか2秒に1回、計5億回くらい思うが、誇張なくいちばんに思うのは「生きていてよかった…」ということだ。同じ時代を生きているから、この瞬間に立ち会えた、この瞬間の記憶を自分のものとして得ることができた。この記憶、瞬間、永遠に失われない人生の価値。
そして、同時にそれは未来への楽しみでもある。いまこんなすごいものが見られたとしたら、この先はさらに、どうなるんだろう。何が待ち受けているのだろう。人々の期待を背負って自らの進化の糧にし続けるモンスターの如き、進化の止まらないこの先を見届けたいと思う。その楽しみがあるうちは死ねないと思う。


それは少なくとも大きな「意味」だと思うのだ。
少なくとも私にとっては。