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この羽生結弦が好きだ2023

確か2018年頃から前のブログ(去年と一昨年は確かスペース)でやっていたこの企画。

私があまりのメンヘラぶりを発動し、プロ転向初のアイスショープロローグに次いで羽生結弦東京ドーム公演「GIFT」のチケットすら全然当たらないということの八つ当たりで前のブログを衝動的に消してしまったのと(怖~~…)、スペースでもいいんだけど早口すぎて何言ってっか自分でもわかんない時あるから、
今回はこちらで仕切り直しとさせていただくことにする。


以前のタイトルは、「このBLがやばい」とかのパクr…オマージュで、「このYHがやばい」だったと思うのですが、最近の諸々なんかで、やっぱりなんというか、積極的に愛を叫んでいくべきだよな~~みたいなことを思ったりして、より分かりやすい感じで、「好きだ~~」というストレートなタイトルに改題してみました。

しかし、お分かりだと思うが、2023年、もう色々ありすぎた。
まさに、「激流に…飲まれていた……(供給の)であって、
アマチュア時代って、言うて年に数度(怪我とかしてたら下手したら一度とか)の試合とショーとCM撮影とかがせいぜいだったわけだけど、プロ転向後の羽生さん、もう人間が生きるスピードではないんで、
2023年2月に東京ドーム単独公演とかいう(東京ドーム??)オタクの与太話から出たまことみたいな特大爆弾をかまして3月には宮城でのnotte stellta、4月にはスターズオンアイスのツアーで大阪、奥州、横浜を回り、5・6月にはFantasy on Iceのツアーで幕張、宮城、新潟、神戸。で、GUCCIやAERA、夏はおそらくANAの撮影だの西川のCM撮影だの色々なテレビ撮影だのあったと思われる中で、11月頭にはもう次の単独公演ツアー。結婚もしとったし…


いや、アイスショーって言ったって、ただゲストとして呼ばれて滑るだけならともかく、2月の東京ドーム公演も、11月からのツアーも、羽生結弦が製作総指揮となる所謂「ICE STORY」シリーズ形式、つまり羽生結弦が物語や文章を考え、ショー構成を考え、新プログラムの振り付けなども自ら行い、その上で演出や音楽などを発注し打ち合せ、映像などの撮影やナレーション録りも行い、しかも自分が単独公演で滑りきるための練習もしなければならないわけである。
で、11月に始まるったって、もちろんMIKIKO先生や様々なプロフェッショナルに発注するための時間も必要だから………

で、ツアーの発表が確か9月とかだったから……

ええと、どう逆算しても計算が合わないんですけど。
まじでどゆこと。
ハーマイオニーの逆転時計とか持ってる感じ??
もしくはCLAMPみたいに4人組のユニットとかだったりする?

って感じで、もう、GIFTとか3年前くらいの出来事だもんね体感。ってなかで、いや先に謝っときます。
すみません、ベスト10にまとめられませんでした。
他にも、おディーン様のヒスメとかもはや完全にNANAな羽生結弦とかめっちゃトピックあって入れたかったんだけどさーーーー。
あと多分、一年が濃すぎて、記憶がもう後半のほうに偏ってしまっている節があると思います。もう年だから。トリ頭だから。ほんとすみません。

という感じで、2023年はベスト15+番外編 です!
いつもの通り、別に集計とかをとったわけではなく完全に藤吉氏による独断と偏見によるもので、順位に大して意味はないのと、基本的には何か大きい出来事というよりは細々したワードとかを拾っていく形のランキングです。


ちなみに地獄のように長いので、順位やトピックだけ見たい人は、飛ばし飛ばし飛ばし読んでおいてください()


なんというか、堂本光一さんとの番組で、自分のことを「SEIMEIだと思われてる」って言っていたのがめちゃくちゃツボっており、別にファン的にはそんなことはないのは分かってるんだけど世間からしたら確かにそうなのかもなあみたいな風に思ったりもして、
羽生結弦、でも実際はおもしれー男なんだよな…というのをひしひしと伝えたい。




第15位:「太陽みたいにみんなに力をあげて、みんなが世界をあったかくするんだ」


羽生結弦プロ転向後の初のアイスショー、つまりプロになった羽生結弦のお披露目である「プロローグ」のチケットがあまりに当たらなかったオタクども(※私含む)が自棄になって、

「普通の会場じゃキャパ足りねえだろ。東京ドームでやれや」

などと言っていたら、「どうやら本当に東京ドームでやるらしい」という、なんつうかオタクの与太話から出たまこと、冗談から出たマジレスみたいなアイスショー(もちろん企画自体はそれより前からあったとは思うけど)
Yuzuru Hanyu ICE STORY 2023 “GIFT” at Tokyo Dome

(ちなみに、この東京ドーム公演についてはディズニープラスに加入している方ならいくらでも観られます) 


(ここでは細かい言及は避けますが、このGIFT全体のプレゼンはこんな感じです)


アイスストーリー、と銘打っているように、後にCLAMP・作画による絵本化も想定した物語形式(Presented by ユヅルハニュー)なのだが、
羽生結弦の妙なナレーションの上手さも相まって、GIFT鑑賞後は
ことあるごとに「おーい、月」「草は言った」「声をからして叫ぶ」「どこに行ったの、どうしていなくなったの」「けれど、自然は大好きだった」などのフレーズが頭から離れないのはおろか、つい何かある度に口に出して使ってしまうという、ファンの間で「GIFT構文」化している現象が生まれていたわけである。

ってか、これ書くべきなのか微妙だし面白がっていいのかは謎なんだけど、某掲示板でアンチ?にすら、この後のツアーRE_PRAYに対しての感想?で「GIFTにあった『草は言った』みたいな面白さとパンチには欠けていた」とか言われていてなんかめちゃくちゃ笑ってしまった。アンチも虜にしてしまうGIFT構文…。

しかし私も私でハッとしたのは、
羽生くんが「NNNドキュメント」で特集されていた際に、日中、何時間にもわたるCM撮影という昼間の仕事を済ませたあと、少しの仮眠でまた練習に向かい、一人で単独ショーを滑りきるための、もはや壮絶と言っていいほどの練習風景の中で、
めちゃくちゃ辛いはずなのに「楽しい、楽しい」って自分に言い聞かせてるくだり。

あそこで完全にGIFTの「楽しいでしょ?」のくだりを思い出して、あの言葉、まじで自分にずっと言い聞かせてるんだろうなあ…とウッ……と胸にきてしまった。

つまり、本人にとってしてみたら、別に芝居がかった大仰な言葉とかそういうことでは全然なくって、
壮絶な世界に常に身を置き続けてきたからこそ湧き出る心からの言葉や自己を奮い立たせるための自問自答を、そういう領域の世界に全然生きていない人が「ポエム」とかいう一言でまとめられるもんでもないよなあとか。


それはさておき、そんな数多あるGIFT構文の中で、私がかなり「おっ?」と思ったのが、このくだりである。

「GIFT」の前半は、ある種の抽象というかメタファー的な意味合いもあるだろうけど、草や太陽や月などの自然とお話するようなファンタジックな作りで、その中で、ぐんぐん成長していく「草」を羨む主人公?は、どうしてそんな風にかんたんに大きくなれるのか尋ねる。
それに対して、草が「太陽が力をくれる」からだと答えたため、主人公は「太陽」に憧れるのである。

太陽か、いいなぁ。
僕は太陽みたくなりたい。


このあとに続く言葉は、たぶん普通だったら、
「太陽みたいになって、世界をあたたかく照らすんだ」

とか、そういう感じだと思う。
っていうか、私はそうつながるのだとてっきり思った。
しかし、違うのだ。この次につながる言葉が、

「太陽みたいにみんなに力をあげて、みんなが世界をあったかくするんだ」


つまり、世界を「あったかくする」のは、自分ではなく「みんな」という発想。太陽のようになりたいけど、それは自分が太陽みたくパワーを持って世界を照らす大きな光になりたいということではなく、「みんなが世界をあたたかくする」ためのエネルギーをあげられるような存在になりたい、から。

これは、なかなか普通ではあんまり出てくる発想ではないと思っていて、このあたりに羽生結弦の作家性というか、根底をなす考え方が滲み出ているなあと私はかなり感銘したのだった。

このあとの、テレビ番組やショーなんかでも、「自分は媒体でいい」というような発言を彼はちょいちょいしているのだが、つまりそれがおそらくある種羽生くんの哲学というか、多分羽生くん的には、自分が輝いてただ周りはその光を享受・賞賛してくれればいいということではなくて、自分は何かをするけども、その「何か」に対して、何かしらの心が動いたり何かしらのきっかけになったり、自分という媒体を介してそれを見た「みんな」がそれぞれの世界を変えていくような存在になりたい、みたいなそういう考え方が根底にあるから、こういうフレーズが頭の中から出てくるのだと思う。
主語は「みんな」の方なのだ。

羽生くんに関して、たまに「ナルシスト」みたいなことを言う人とかいて、私もまあナルシストな人はむしろ全然好きなので私的には別に悪口じゃないと思ってるんだけど、実はそういう「俺を見ろ!」っていうような要素は多分羽生結弦の一部で、本当はきっとそれだけじゃないのが面白さだよなあと思う次第である。


ちなみに、「GIFT」に関してそれ以外で私がこれはもうほんとうに
「羽生結弦……天才作家じゃん…………」
と心底慄いたくだりがあって、これは何が天才なのかはぜひ「GIFT」本編を確認してほしいのだが、

途中、羽生×羽生のBLかな??みたいなくだりがあって(それ言ってるのガチでお前だけだぞマジで)、

なんというか、光の羽生と闇の羽生的な二人の羽生結弦が、「行かないで、消えないで」「もう行かなきゃ」みたいなやり取りをしているシーンがある。そこで、「夢」の擬人化たる?光の羽生結弦は、いつまでも一緒にはいられない、夢は夢だからもう醒めなきゃ。というようなことを言い残し、行かないでと追いすがる羽生結弦を置いて消えることになる。
そこで発される、

『いってらっしゃい』

という台詞。

これ、羽生くんはかなり分かりやすく文中の台詞に『』をつけたりして区別したりしているから分かるんだが、この
『いってらっしゃい』と言っているのは、「夢」側なのだ。つまり、「もう行かないと」と「去る」方が、「いってらっしゃい」と言っている。


この!!!!!!
エモさ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
この!!!!!!!!!!!!!
含蓄!!!!!!!!!!!!!
天才かよ???????????


普通、いってらっしゃいという台詞を発するのは、「見送る側」なのに、ここでなぜ普通とは逆、「去る側」がいってらっしゃいと言うのか。
もう君は、自分から自由になって、自分に縛られない世界に旅立っていってね、頑張ってね、という送り出すようなお別れの台詞を、去る側に「いってらっしゃい」と言わせることで表現する羽生結弦、ガチで天才作家だと本気で慄きました。

あれ? これ15位でいいんか? 1位じゃね?
(あとが長すぎるから読んでる人が飽きないうちに単純に一番最初にこの話したかっただけとも言う)




第14位:「突如FaOIを私物化する羽生結弦」


昨年の2022年Fantasy on Iceで共演して以来、互いを「ゆづくん」「みや」と呼び合う仲になり、今もなお連絡を取ったり順調に友情(友情?)を育んでいるらしい、みやかわくん(宮川大聖さん)と羽生くん。

みやかわくんについて、共演後も、
仙台の羽生パネルに抱きつく姿をSNSにアップしたり、羽生結弦がGUCCIを纏い表紙を飾るエルジャポンを必死に手に入れようとしたり、
新曲のデモを羽生結弦に一番に聞かせたり(新曲のデモを羽生結弦に一番に聞かせたり!!!?????)
パーカーお揃い匂わせ疑惑(匂わせとは)が出たり、

(プロローグの撮影で着ておりその後なんか羽生のくんの私物になったっぽいもしくはその逆。のこのパーカーね)



って感じのベタ惚れがいきすぎて最終的には

「ゆづくんって儚くて消えそうでちょっと苦しくなる感じ…これってもしかして恋…?」

みたいなことを言い出すなど、(年上男性に対して抱くエモーションなのかそれは!!???)
どうもなんかみやかわくんの方が羽生結弦に対してやや行きすぎた(※褒めてます)執愛を見せている………ようでいて、

実は羽生くん側も、かなりみやかわくんのことが大好きっぽくある(?)のがいいところである…。

新幹線で一緒に帰っている姿の2ショがみやかわくんのSNSにアップされた衝撃から始まり、(これは羽生クラスタ以外にどこまで通じるかわかんないんだけど、そんな姿まじではちゃめちゃはちゃめちゃに珍しいです…)(なお、後日明らかになったことだが、これ新幹線で一緒に帰ろーっつったのも、2ショを撮らせて上げさせたのも羽生くんらしい。え、、、、大好きじゃン…………)
わざわざFaOIのインタ中にカメラの外にいたみやかわくんを呼び寄せたり(そんなこと今までなかった)、ほかの媒体や翌年のFaOIでも名前を挙げたり、熱い友情(友情?)が育まれている姿に涙なんだが、

事はFantasy on Ice2023で起こった。


詳細はみやかわくんが語っているっていうか、わたし、このとき翌朝に自分がFantasy on Ice新潟に行かなきゃで早起きしなきゃだったからほんと早く寝る必要があったんだけど、この深夜の修学旅行の恋バナみたいなやつ全部聞いちゃったせいで全然寝かせてもらえなかったよーーーえーーーーーん
楽しい修学旅行だった。


つまり、「Fantasy on Iceを私物化しだす羽生結弦」と言うのは、
このショーのフィナーレ周回中に、観客として座席にいるはずのみやかわくんをキョロキョロと探して、けれど見つからなかったのか、
「みやーー??」「みやーいるかーー???」
とリンクから座席に向かって呼び出しはじめた、という。


どんな夢女子小説だよ!!!!!!!!!!!!!!
アイドルと付き合う妄想してる中学生女子が書いた夢女子小説かよ!!!!!!!!!!!!!!


でもこれよく考えると、みやかわくんもわざわざ新潟に行ったの???
家族ぐるみで?????
仲良し????????(仲良し)


ちなみにこれ、テレビで放送される回じゃなかったから多分まだ放映されていない(よな?)。宇宙の損失なんだけど…。





第13位:「どう考えてもバッグの中身企画で出てくるバッグじゃないんですよそれは。」


私の中にあった「羽生結弦にいつかやって欲しいリスト」のうちの一つに、「装苑の表紙を飾ってほしい」というものがあったのだが、装苑ではないが、満を持して2023年、

「GUCCIを纏いELLE JAPONの表紙を飾る羽生結弦」


という、オタクが死ぬ前に見る最後の夢みたいな爆弾が投下されており、されており………5冊買いました。
それがどれほど破壊力が高く、もうこんなんスタイリングされて写真撮られてこの表紙が出来上がった時点で勝ち確すぎて編集者50年高笑いが止まらねえだろ、
生きててよかったジャポン2023すぎるよーーーーーー!!!!
って感じなのはさておいて。
いやさておいてっていうかこれだけで本来 一個のトピックにすべきなんだが。





このエルジャポンの動画企画で、「鞄の中身紹介」みたいなやつがあった。
なんかファッション誌とかがよくやるあれである。
この時点で、カバンからイヤホン15個くらい出てきたらどうしようみたいなことを考えていたりしたのだが、実際の動画はもうそれ以前の問題というか、



カバンかなそれ?????

少なくとも、ファッション誌のそういう企画で出すカバンかなそれ??????


ファッション誌のカバンの中身企画でゴツいキャリーケース持ってきて机にヨイショドカッって置く奴、古今東西過去にも未来にも絶対羽生結弦だけだろ。


と、本人は別に決して出オチを決めようとした訳ではなくて別に本当に普段使っているカバンで普段の持ち物だから出しているだけだと思うんだが、いや、それは分かるんだけどそれが分かるから逆にじわるというこの……出オチじゃん。

でももちろん、出オチだけではなくこの映像かなりよくって、なんというか羽生結弦の良さがかなり詰まってるっていうか言いたいことはこのYouTube動画に書いたコメントの通りなのでほんと…
「デデン」って自分で擬音言ったり、「カッコ二回目」とか自分で( ) (カッコ)を声に出して言う奴でオタクじゃない人見たことない(特大偏見)




あとANAの動画かなんかで、旅について訊かれた時のあれも良さがあった。
(いやガチで遠征といえば試合が主でプライベートとかで旅行とかもなかなか行きづらい人生だったんだろうなあと思うとほろりときてしまうが)





第12位:「どう考えてもゲームをする格好ではないんですよそれは。」



これもある種、出オチシリーズというか(出オチというな)

2023年11月から2024年2月にかけて、さいたま・佐賀・横浜を回るツアー
Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd ”RE_PRAY” TOUR


羽生結弦が描く物語を土台としたショー、アイスストーリーシリーズの第二弾だが、今回は羽生くんが幼少期より慣れ親しんだ「ゲーム」の世界がテーマになっている。
ということで、最初、「暗い部屋の中でゲームをしている羽生結弦」という映像がスクリーンに映し出されるんだが、これが何というか、

「そんな格好でピコピコ家の中でゲームしている人間がいてたまるか」

みたいなやけに決まった格好で、なんかほんとめっちゃごめんなんだけど、最初の方とかもうずっと、
「どう考えてもゲームをする格好ではないんですよそれは」
という謎の出オチに気を取られすぎていて、もうなんかほんとじわじわきていた。

しかも、黒グローブまでしているあたりがほんとスタイリストが天才すぎて、そんなんもう、右手の古傷が疼くタイプの2000年代の厨二病か京極夏彦くらいしか似合わねえだろって感じなんだけど、どういうわけかめちゃくちゃ似合ってるのがより面白い。逆に。


何で似合うんだよ。


いやっ、もちろんRE_PRAYは、決してただの出オチではなく(出オチというな)

GIFTから一年も経っていないとは思えないほど、演出面やワード運びでより進化・洗練されているというか、羽生くんの身体表現なんかも生かす演出を取り入れることで冗長感なく楽しめたり、言葉の間やスピードを操作することでより緩急が出て物語の世界に没入できたり、
これはほんとに誇張なくここで羽生結弦は、ただの一スケーターではなく「クリエイター・羽生結弦」としての名を確たるものにしたと思っているし、私としても、スケーターとしての羽生結弦のファンというだけでなく、すっかり羽生監督のファンになってしまったのだった。


さらに、ちゃんとゲーム界隈にも刺さったっぽく、アンダーテイルの曲「MEGALOVANIA」の曲でどうやら羽生結弦が滑ったらしいということが口コミで話題になり、

↓MEGALOVANIAで滑る羽生結弦はこっから無料で観れます。


でこれをきっかけに、ゲーム界隈の中に「スケートを滑るサンズのイラスト」ムーブメントが起こったりなどしていた。
(このムーブメントで投稿されたさまざまなイラストやツイートに関しては、私のツイッターのいいね欄にかなりまとまっているから読んでみてね!)


そしておそらくGIFT以上に、特に羽生ファンではない人にも見やすい作りになっていると思っているので、

佐賀公演はチケット余ってれば映画館のライビュで観れるし、CSのテレ朝チャンネルでも放送されるし、


横浜のチケットはこれから抽選が始まるし、


本編がどこまで流れるかは分からないけど、
1月7日にはこのショーの舞台裏ドキュメンタリーがなんと地上波で放送されるので、



みんな観てね。(ダイマ)
(これをここまで読んでる人は別に全員知ってるっつうか観ると思うが)




第11位:「誰にも侵されない不可侵領域」


羽生結弦がグローバルミューズ(※)を務める(※原文ママ)
雪肌精みやびの音声コンテンツの一節だが、私がかなり「おっ」となったというかグッときたフレーズがあった。


徹底することでたくさんのエネルギーを使いますよね。
ただ、徹底したことは、そのエネルギーの分、美しく、輝いてくれると思います。自分の中でのこだわりは、なかなか理解してもらえなかったり、伝わらなかったりします。でも、頑張ったこと、使ったエネルギーは、絶対に誰にも侵されることのない不可侵領域なことです。

雪肌精みやび 羽生結弦のみやびやかなひと刻 第十四夜


たとえ理解されなかったり伝わらなかったとしても、
頑張ったこと、使ったエネルギーは、
「絶対に誰にも侵されることのない不可侵領域」


これも、太陽〜のくだりと同様、自分が予想していた文章運びと異なっていたために「おっ?」となったというか、多分普通の凡人なら、この「絶対に」からのワード運びは、「実を結ぶ時がくる」とか、あるいは「役に立つ」だの「自分の糧になる」だのしてしまいそうなところを、
「誰にも侵されることのない不可侵領域」だと結ぶ。この考え方。


羽生くんて、一般的な人気アスリートが言いそうなテンプレート文を言いそうで実はあんまり言わないのがかなりよさだと思っていて、例えば「感動を与えたい」とかそういうテンプレート文も言わないんだけど、おそらく「努力は報われます」みたいなこともあんま言っていないと思う。
それは、幼少期より自分がシビアな戦いの世界に身を投じ沢山の敗者を目にすると同時に自分が必死の努力を重ね続けてきたからこそ必ずしもその全てが思い通りにいくわけではないことをこの上なく突きつけられたりもしてきたから、無責任な言葉を発したりはしないんだと思うけど、
とはいえ、羽生くんの良いところは、そういう、決して物の見方や捉え方は甘くはないシビアさがある一方で、でも同時に、世界に対する温かい視線の持ち主なところだと思っている。

誰に分かってもらえなくても、自分だけは自分を見ていたじゃないか。という希望。少なくとも、自分だけは知っている。その事実だけは誰が何と言おうと何を思おうと変わらない。

これもまた、長年天才として君臨してきたがゆえに、凡人には理解の及ばない領域とか想像のつかない苦悶があり、どれほどの難しいことなのかどれほどの技術や努力がいることなのか、普通のひとには分からない(再現出来ないどころかやろうとすら思わないから分からない)ゆえに全てが全て評価に繋がるわけではなかったり苦しみを共有できないやるせなさを山ほど経験してきたからこその考え方なのだろうけど。


でもこういう孤独は、やるせなさや寂しさでもある他方、矜持や誇りでもあるのだとも思う。
わたしたちが、どうせお前らには分からないんだろう、と言う時、きっとそこには、分かってもらえないことの苦しみや歯痒さと他人になど分かるはずがないという誇りが同居している。ように思う。この自分にしか理解できないという誇りの部分が、たぶん自分の柱になって自分を支えている。

私は羽生くんのこの言葉に、ある種の「孤独」への哲学と矜持を見た気がしたと同時に、誰にも分かってもらえなかったとしても自分が頑張ったことは自分だけは分かっていて誰も見ていなくても自分は自分を見ていたから分かっていてそれは誰がどう言おうと誰の手によっても変えることはできない事実なのだと励まされた感じがしてかなりグッときました。




番外編:なんとなくツボったものたち集。




この服すごいかわいい(かわいい。)





第10位:「あまりに俗っぽすぎる羽生結弦および9歳にしてあまりに“羽生結弦“として完成されすぎている羽生結弦」


今年の夏、「おげんさんのサブスク堂」でゲストとして出演した際に、何年か越しに明らかになった衝撃の事実が幾つかあった。

2018年に実施された、羽生くんがプロデュースと座長を務めたショー

「Continues〜with Wings〜」
のコンティニューズの部分が、
星野源からのパクr………引用だったのもそうなんだが

(それ星野源からとってたんかいwwwwwwww)(なお、本当はContinuesにしたかったけどスタッフからそれだと完全星野源だからと止められたおかげでサブタイがついたとのこと)
(Continues、もう掲題自体が本当に別の人からContinuesしていたというダブルミーニング?だったとは…)


もう一個明かされた、そうなん???????事項として、
2016年頃に話題になっていた
羽生結弦の「恋ダンス」

あれ織田くんがTwitterに載せてバズっててその踊ってる様子がNHKかなんかの番組で拾われていたとかそんな感じだったと思うが、
それ以前にも、試合会場に向かうときとか移動中とかにちょいちょい羽生くんが恋ダンスを踊っているような姿がカメラに拾われたりなどしていた。

それが、たまたまとかじゃなくて、完全に
「わざと」
だったのが、「おげんさんのサブスク堂」で明らかにされており、

星野源のファンたる羽生結弦は、どっかでカメラに拾われてそれが話題になったりとかでワンチャン星野源まで届かねえかな〜〜みたいな目論みのもと、
事あるごとに恋ダンスを踊りカメラに拾われることを狙っていた、という。
(そしてその目論みは最終的に無事成功する)

つまりその全てが、ワンチャン推しに認知されることを期待した間接バズ狙いによる行動だったわけである。


あまりに、、、あまりに俗っぽすぎる、、、、、、、、、、、、
いいんですかそんな、五輪金メダリストがそんな、wwwwwwwwwwwwwww

ということで、元々羽生くんの事は好きだったけど、このあまりに俗っぽすぎる羽生結弦の図にさらに羽生くんのことが大好きになってしまったわけだが、

9歳の頃に、海外の試合?に行く飛行機の中で「栄光の架橋」を聴きながら、
「俺もついにここまできたか…」
と浸っていたエピソードもかなり笑った。

なんつうか、羽生結弦、9歳の頃から「羽生結弦」として完成されすぎてない??????
9歳の頃からもうめちゃくちゃ羽生結弦じゃん………………

(※「めちゃくちゃ羽生結弦じゃん」…何が羽生結弦なのか一言での言語化がめちゃくちゃ難しいがめちゃくちゃ“羽生結弦“の意。
四大陸選手権に出てた時、友野くんやゆまちとの年齢差の話になったとき、「優真が生まれたとき俺全日本(ノービス)優勝してたから」とか言ってたあれも「めちゃくちゃ羽生結弦ーーーー!!!!」だった。)


でもそれを自分でネタとして?披露しているあたりがチャーミングなところですよねほんま。

この「おげんさんのサブスク堂」羽生くんのチャーミングな魅力が詰まった神番組だったんだけど、また再放送するからぜひ見てくれよな!(ダイマ)


そういえば、「何その今明かされる本質情報」っていうの、清塚さんのクラシックTVに出てた時に言ってた
「小さい時に家にピアノがあって、バイエルとかやってて…」ってのもあったな。
何その今明かされる本質情報!!!!!!




第9位:「常に全力を行きすぎてしまう難儀な性格」


メンシプでは既に公開されていたが、先日一般公開もされた羽生くん公式YouTubeでのプログラム 。
羽生くん自ら撮影・振付・編集をこなしているのだが、

ダンスとスケートの融合の如く、ゴリゴリに踊りまくる(そしてゴリゴリに編集を凝りまくっている)「Goliath」
羽生くんのリズム感や音を表現するセンスが存分に堪能でき、羽生くんが音に合わせているというよりもはや羽生くんの身体によって音楽のリズムが「見える」ようなプログラムだ。
可動域えぐすぎん???その動きどうなってんの???と呆気に取られるのと「かっこいい」が次々に怒涛のように押し寄せる。
(ちな、有料のメンバーシップでは、このプログラムの陸上練習動画が披露されているんですが、こちらもその後何日も頭から離れなくなるほどめちゃくちゃかっこいいですーー※ダイマ)


一転、たおやかさやしなやかさが全面に押し出される「アクアの旅路」では、この映像が一般公開されたときちょうど全日本選手権もやっていたのだが、日本トップ選手が渾身の演技でしのぎを削る全日本選手権のすぐ後に見ても、
「羽生結弦……スケートうますぎん???」という1207回目の驚きと気づきを得るし(毎回同じことを言っているが実際毎回本当にびっくりしているので仕方がない)、腕先や指先まで行き届いたたおやかさな美しさとゴリゴリの身体技術との合わせ技という感じで惚れ惚れしてしまう。
あと何度見ても、瞬きした瞬間にジャンプ跳んでるから「!!!??」ってなる。


どちらもよさみなのだが、これてっきり羽生くんが合間を見て自主的にやっているのかと思っていたら、アイスショー「RE_PRAY」の宣伝の一環として、制作委員会にプロモーション用の動画を何か作ってほしいと頼まれて生まれたものらしい。


う、うん、、、、、、、、、
あの、そ、それってもしかしてだけど、制作委員会の方の仕事じゃないのww
wwwww???
何を羽生結弦様にやらせてんのよwwwwwwww
ただでさえ、短いスケジュールの中でRE_PRAY本編の方の準備をしないといけない、世界の羽生結弦様に何をやらせてるんだよwwwwww
(別に何もしていないわけではないと思うが)自分たちはろくに何もしないくせに作家には「出版社のアカウントより本人が宣伝するのが一番拡散されるんで宣伝してくださーい」って丸投げする弱小出版社かな????(※特大ブーメラン)


……と一瞬思ったんだけど、これは分からん。
なんか、制作委員的には、GIFTにおけるタイムトラベラー的な感じで既存のプログラムとかそういう想定のつもりで言ってたのを、
羽生くんがなんかこだわりにこだわって二つも新プロ作ってきた挙句ゴリゴリに編集もこだわりまくっているものをお出ししてきたとかそういう感じかもしれん。
羽生くん…………ほんと…………涙

何事にも全力すぎるがあまり、映像編集がなんか回を追うごとにどんどん進化しているのも羽生くんYouTubeチャンネルの魅力である。


でも、分かる、と簡単にシンパシーを感じるのも大変失礼かもだが、こういう「別に必要最低限以上の事をつい凝ってやってしまう」難儀な性格、ちょっと分かるんだよなあ。私も、大学とかで1000字程度のレポートを5000字くらい書いてしまうような人間だったから……卒論も8万字くらい書いてたし………(そりゃあんたの文章が長いだけでは)
自分が納得するまでついあれもこれもと追ってしまうタイプね、なんか分かるよ………


羽生くんのYouTubeチャンネル、もちろん作りとしてはかなりストイックで、アップされるのはスケートにまつわるもののみであって、
「モーニングルーティン★」とか「IKEA爆買い」とかやったりはしないのですが、なんというか、有料会員版のメンシプでの動画やメッセージとかも含めて、本人の人柄が滲み出ている感じでとてもいいのだ。

これを私は「けなげさ」と称すのが一番しっくりくるんだけど、何事にも一生懸命、全力、それはそうなんだけど、小さい子が雪を一生懸命に集めて鼻を真っ赤にしながら雪だるまを作っているみたいな、なんかこう胸がキュッとなる「けなげさ」
(ちょっと、オタクのママ気取りムーブみたいでキモい言い方かもだが)
そんで、完璧優等生キャラのようでいて結構ドジっ子っていう(羽生くん意外とドジっ子属性あるのまじ面白いし可愛くて叫ぶ。メンシプの、違かったみたいで…涙 はマジで可愛すぎて朝から叫んだ)
それでいて、そういう文章とか言葉一つ一つが、たぶん別にわざとぶりっ子しているとかじゃなくて、本人の持つ人柄が滲み出てる結果っぽく、もう文字だけでも本人の声で再生されてしまうような妙な魅力がある。
なんかもう、言語学者に転生してこの可愛さのなぞを研究したいレベルで可愛い。羽生結弦の文章が可愛いのか? 羽生結弦が書いていると思うから可愛いのか? 五条悟だから最強なのか?最強だから五条悟なのか?


ところでこのYouTubeにまつわる報知のインタ、
これまでの羽生くんではかなり珍しく自分で「載る」とTwitterで宣伝していた。
でも、クリスマスということもあって、報知が「明日なんかクリスマスプレゼントあるかも〜」と微妙にぼかしているのに羽生くん本人が「YouTubeの特集です!」と積極的に自分でプレゼントの包装をビリビリ破ってくスタイルでめちゃくちゃ笑ったとか言ってたけど、まあでもそりゃあもう、
「見てーーーーーーー!!!」ってなるよなほんと……涙





第8位:「作画CLAMP(ダブルミーニング)」




羽生結弦の東京ドーム公演「GIFT」。
これは、絵本化を想定していたということだが、羽生結弦からのオファーを受け、この絵本バージョンの作画を務めたのが、かの有名なCLAMPである。

CLAMP。


私はこの「羽生結弦のGIFTを作画CLAMPで絵本化」というパワーワードの時点で、


「負けた……………。」

と思った。

だってそんなん面白いに決まってるもん、勝ち確だもん。
そのあまりのスタイルの良さと現実離れした二次元的佇まいに、長年「作画CLAMPか?」とインターネットのオタクたちに言われ続けてきた羽生結弦が、実際にガチでCLAMPによって作画され、この世界に「作画CLAMP」というダブルミーニングを生み出すことになるとか、そんなんめちゃくちゃ面白いに決まってるもん。
もう!!!!!!!!!!!!


いや別にはなから羽生結弦に勝っている点など一つもないんだけど、それでも本業(※私の本業は編集者です)くらいは………負けた………完全敗北である。

昨年、菊池寛賞の贈呈式での羽生くんの言葉、

期待される夢も、期待されない夢も、誰にも伝わらない気持ちも、誰にも届かない日々も、ただ同じように過ぎ去っていく日々も、ただ苦しみを味わい続ける日々もあると思います。

ぜひこれは、記事をクリックして全文を読んで欲しいが、
この、世界の捉え方や視線とあまりに詩的で巧みすぎるワード運びに、「文学じゃん…」と本気で慄き、文章でも「負けた……」と打ちひしがれたんだけど、(ちなみに去年の「この羽生結弦がやばい2022のベスト1はこの菊池寛賞での言葉でした。)

じゃあもう勝てるところが本気で一ミリも一個もないじゃん!!!

と地団駄を踏み続けている私ですが、
まあただ悔しがっているだけでなくやはり見習わねばならないなあとか思ったりして、編集者に必要なのはやはりこういう、
「言われてみれば、ああ!ってなるしめちゃくちゃ面白いけど誰も実現してない、思いつきそうで思いつかなかったラインの何かを思いついたり点と点を結ぶアイデアとそのためのアンテナ」および、
「それを実際に実現するための腕力」だなあと。(思うだけでなく、実際に実現する腕力っていうのはやはり重要すぎる能力ですよね)

(あとは人徳?)


しかも、これは羽生くんが考えたのかはわかんないけど、この絵本「GIFT」の宣伝動画のナレーションを緒方恵美さんがやっていたのも更にダブルパンチでじわじわきて、
緒方恵美さんといえば、エヴァのシンジくんである。





この、羽生結弦(の作画)≒シンジくん
も長年の定番ネットミームの一つで、

ダブルネットミームの併せ技はずるいってwwwwww
そんな「インターネットのオタクが考える最強の羽生結弦」みたいなさwwwwwwww
しかも、羽生くん自身がTwitterで緒方さんに「語彙力が足りない」とかオタク構文使ってるのもクソ面白いしwwwwww
普段オタク共の語彙力を奪い続けて奪った語彙力が広辞苑1207冊くらいになってるはずの羽生結弦が「語彙力が足りない」とか言ってんのまじ面白すぎるから勘弁してwwwwwwww

(しかし、SNSでの緒方恵美さんの羽生くんに対するいくつもの言葉、本当に優しくて胸に響いて、ここで緒方恵美さんと関わりができたのほんとよかったなと涙)

そういえば「作画CLAMP」といえば、
2023年の11月11日に発売された、蜷川実花が羽生結弦を撮り下ろした神のようなもとい私の寿命を31歳と0日目で終わらせるための爆弾みたいな写真集「AERA 孤高の原動力」
あれ、あまりのあまりにもな殺傷力の数々に、ページ開くたびに3秒に一回くらい「CLAMPかよ!!!!!!」と叫んでいたわたくしですが、




 

これ、「AERA 孤高の原動力」の中で、蜷川さん自体が羽生くんのことを
「CLAMP化が進んでる」
って言ってたのがめちゃくちゃ面白かった。
じゃあもうそうなんじゃん。作画CLAMPだよもう。
実際、作画CLAMPの羽生結弦が存在しているのがもう面白いんだよ。何 。
ていうか、絵本「GIFT」には羽生結弦くんの実写写真を使用した冊子もついてきていたんですが、一人のはずなのに実写なのに一人で二役作画を使い分けていたのも笑うんだが。羽生結弦、実写でも作画担当100人くらい存在しているもんね……

ちなみにこの絵本版の「GIFT」ですが、CLAMP作画というパワーワードの出オチではなく、可愛いのにどこか不穏さがあるという感じが存分に発揮されとてもよかったです。
ちいさいさんめちゃくちゃかわちいすぎてすっかりハマってしまった……



てか、なんかもう既にアイスショーの十八番みたいになっている「阿修羅ちゃん」も、あれインターネットミーム説ありましたよね。
羽生くんが昔、インターネットで言われていた二つ名に「フリルを着た阿修羅」っていうのがあって、きっとAdoの「阿修羅ちゃん」というタイトルを見た時に、フリルを着た阿修羅という自分の二つ名が頭にチラついたに違いない。(決めつけ)


インターネットミーム全部拾うな(拾え)






第7位:「インスタのパスワードを忘れて思い出すまでの過程(仮)」


羽生結弦といえば、自分の公式アカウントを持つ以前からのツイ廃&エゴサの鬼として知られるところであるが、
それでも、インスタを開設した当初は一応、ショーの告知とかYouTubeの更新とかをインスタでもしていたはずだった。
しかし、いつの間にかいつしかインスタくんの存在はすっかり忘れ去られ(?)、ついでに、「基本的にはスタッフによる運営」のはずなのだが、スタッフとは本当に実在するのでしょうかもしかしてそのスタッフも羽生結弦さんなのではないでしょうか状態な感じでツイッターにほぼ一本化してしまったがゆえに、
ファンの間では、何か告知があるたびに、「インスタは?」「意味がないとは分かっていても一応インスタを見に行く涙ぐましい努力」「羽生結弦のインスタ、もはや「更新されない」ことを確認するためだけに存在している」などというのが定番化していた。

(一般層の中には、どうも勘違いしているぽい人がいるのだが、あの機長の格好でBTSのダンスとかやってたやつは、別に羽生くんが自分のSNSでやってたんじゃなくて、ANAが他の映像撮影時に一緒にまとめて撮ってANAの公式アカウントが載せてたやつです)


(以下、私のインスタに対するしつこすぎる執念の過程)
(※まじで死ぬほどしつこいので読まなくていいです)



私などは、羽生結弦に忘れ去られたインスタくんがあまりに気の毒すぎて、気の毒すぎるが、別に自分もインスタは一切やっていないのに、羽生くんばかりにインスタインスタ言うのもどうなんかな?と思って、一応まず自分がインスタ投稿するようにするなどする(なんで???)涙ぐましさを見せていたわけですが。

ちょっとこの話を今このタイミングでするのもなんなんだが、
もう、羽生結弦にインスタ更新させるの、結婚報告くらいしかないんじゃね?みたいなことを勝手に考えていたくらいの時期に、ガチで結婚はしたけどそれでもインスタは更新されなかった。


って感じで、もうインスタくんは永久にパスワードを忘れ去られたままなのか………(仮)
あなた、インスタの方がだいぶフォロワー多いのに……(なんで?)
と思っていたら、なんか急に11月くらいにインスタのパスワードもとい存在を思い出したっぽく、

事前の、「羽生くんどうせRE_PRAYでもインスタのことは忘れているよ」という大半の期待?とは裏腹、


RE_PRAY公演が終わったあたりから、どうもインスタの存在を再び思い出すようになったっぽいだけではなく、インスタはインスタ用にちゃんと文面とか変えていたりなどするという律義さまで見せているのである。

特に、羽生くん誕生祭の時は、インスタの方で自分のバースデーオンラインイベント(メタバース空間を利用したRE_PRAY上映イベント)に自分もちゃっかりアバターとして参戦していたことをお知らせしてくれていたのかなり良かった。

羽生くん、絶対これアバターとしてちゃっかり紛れていそうって思ったけど案の定そうだったし、それを「参戦」って言い方するのこの世代の人っぽくて良さあるしアバターがきのこちゃんなのもかわい〜〜ーーーー

(てかこれはTwitterもだけど、ファンが使ってる自分の誕生祭のタグを自分で使ってるのも可愛くてちょっとじわじわくる)



でもこれはこれで、じゃああんなにしつこくインスタインスタ言ってたんだから諸手を挙げて喜んでいるかっていうと、この辺りが私の面倒なオタク心で、
なぜ突然インスタを頻繁に更新することを思い出した…一生ツイ廃でもいいのに……ちゃんとSNS更新しなきゃ!とか無理してないかい……と逆に心配になってくるのが面倒なオタク心というやつ。
(本当にまじで面倒なオタクすぎて草。あんだけしつこく言ってたくせに…)

しかし、インスタ更新したよ!ってわざわざ律儀にツイッターで教えてくれちゃったりするのも面白いよね。
あなた、ツイッターよりインスタのフォロワーのが多いんすよ……(本当になんで?)








第6位:「if…」


Fantasy on Iceの羽生結弦コラボはボジョレーヌーボーだから毎年過去最高を更新しているんだけど、普通にもうこれはほんとうに過去最高に最高だから。今世紀で最高の羽生結弦だから。

「if…」というのは、
Fantasy on Ice2023の幕張と宮城で、DA PUMPのISSAさん、KIMIさんとコラボレーションした「if…」である。

近年の羽生くんは、空前のダンスブームが訪れているのか(?)、BTSを真似したりダンスをスケートに取り入れたりしている様子が見られるのですが、「if…」はそういう、ダンスとスケートとの融合により「羽生結弦にしか出来ない新たな何か」として昇華されている進化の模様がまざまざと感じられる
最高傑作…!
レゾンが耽美破滅系、阿修羅ちゃんがキレキレ高速系だとしたら、「if…」は、いい意味で「力の抜けた」、脱力がかっこよさとして魅せる大人のダンスで、それでいてアイドルのようなダンスパートもあり、「あんたがテテや…」となった(??)
(羽生くんはジミン派なのでジミンと言うべきかもしらん)

何が凄いかっていうとこれ、羽生結弦本人が振り付けているっていうのもすごいが、かのMIKIKO先生がブラッシュアップして出来上がっているっつうのも凄い。本人は「ダンスとか全然独学なんで…」みたいな謙遜してるけど、そんでMIKIKO先生にブラッシュアップしてもらえるとかもう初っ端から最強の贅沢な教師ついとるやんけ。


私は、もう初めてみたとき、みている間中、「かっこいいーーーーーーー」という語彙以外を一切奪われた挙句、そのあとずっと「羽生結弦がかっこいい」という理由で泣きそうになっていた。人間がかっこよすぎるという理由で泣ける。ほどかっこいい。

そういえば2023年夏あたりに、ANAがSNSに載せまくっていた「羽生結弦が機長姿でBTSとか踊っている動画」がバズったことで、ダンス界隈のYouTuberとかにファン層が新規拡大するという想定外の波及を見せていたが、そうして羽生くんのダンスから気になった人が次にぜひ観てほしいのがこの「if…」なんですよねえええ!!(あと、みやかわくんとコラボしてた「レゾン」ね。if…もレゾンもガチで私の葬式で流してほしい)
フィギュアって、テンプレ的なイメージとしては「クラシック音楽をバックにヒラヒラした衣装で優雅に舞い踊る」みたいな感じで(実際のところ別に全然それだけでもないのはともかく)、もちろん私はそれはそれで好きなのですが、ただ、そういう一般的な既存のフィギュアイメージをぶち壊す、かつ、それが可能なのは、フィギュアスケートにおける技術を世界最高峰レベルで磨いた「スケートがうますぎる」羽生結弦ゆえ、という事を同時に感じられるプログラムがこれなのです。

そういう、新しい試みをすると、古き良きタイプのスケートが好きな人の一部とかは渋い顔をしたりもするし、まあ羽生くんはスケートがバッチバチに上手いので、JPOPなんかじゃ活かされない! 荘厳な曲でランビとか振り付けのアーティスティックな芸術作品が観たいわ!という感じの気持ちは分からんでもないんだけど(それ言ってるのお前だろ)、
でもやっぱり「if…」って、羽生結弦スケートうめえええーーーーーって感動と技術を感じられるプログラムだと私は思っており、

何が上手いかと言うと、本気で一瞬も、ただ冗長に滑って間を持たせてる瞬間がない。
それでいて、普通に漕いでるシーンがまじで無いから、映像だとわかりにくいかもだけど生で見ると割と気を抜いたらもうサーッとどっか行ってるくらい凄まじい移動をもしているんだよな。どうなってるのか本当にわからん。

「羽生結弦ーーーースケートうめーーーーーーーー」ってマジひっくり返ってハッとした次の瞬間、すさまじいところまで移動しているわけですよ、、、、、
ベースはあの「ズン、チャッ」ってリズムを、身体の動きや"トメ"で緩急をつけリズムを表現しつつ、腕や肩甲骨、首や頭などは非常に魅力的なカッコいい魅せ方といい意味で脱力した大人の踊りをしつつ、それでいてスケートは、ただ滑ってるだけじゃなく回ったりなんなり様々な趣向を凝らしているのに次の瞬間すさまじい距離を移動しており、その、身体の緩急のリズム、上半身や顔、スケートが、全ての異なる音を、異なる動きで表現してんだよ。 そしてこんな器用な真似をしながら、何より凄まじくかっこいい。
何百回でも同じこと言うけどスケートが上手い……!

あの3Loの止めからの流れとか足での音の刻み方とか身体の翻し方とか何よりパフォーマンスとか、あれ相当スケート上手くないとあのパフォーマンスはできない、という卓越した技術を次々と見せられる感動があるんですよね…


FaOI2022のバチバチにかっけーーリアフェやレゾンを経て、GIFTや阿修羅ちゃんを経て「このかっこいいを超えてくるのはなかなか難しいよな」とか呑気に構えていたら、普通に「かっこいい」を爆速天空突破でかっこよさ超えまくってんのまじで怖いのよ。

だから羽生結弦はボジョレーヌーボーなんだけど、でもこれは実際本当にちゃんと年々進化しているからだ思う、ます。
羽生くんのすごいところは、会場の歓声や熱気も桁違いなんだけども、それは単に「名前」だけでも「これまでの栄光」だけが生み出しているものでもなくて、実際に上手さとスケートとパフォーマンスで魅せる力が桁違いで、間違いなく「今ここのスケート」こそが生み出してる熱気ということ。名前に慢心してない。
自分の知名度や人気や過去の実績に胡座をかかず、ストイックに表現と技術の幅を広げていくのほんとうにすごいなあ。




番外編:「お兄ちゃん」


これは、厳密には「この羽生結弦が~」に含めていいのか謎だったので番外編なんだが、2023年の私に特大爆弾を落としたのでぜひ入れたかった。
いや、ぜひこの音声と映像を流してくれることで2024年の私にさらなる爆弾を落としていただいても構わないが????

お兄ちゃんというのは、スターズオンアイスの際に、宇野昌磨が羽生結弦を「お兄ちゃん」呼ばわりしていたあれである。

お兄ちゃん???????????
なんて??????????
お兄ちゃん???????????????????


失礼、興奮のあまりクソ週刊誌の過大見出しみたいな微妙に誤解を招く表現をついしてしまったが、厳密には下記の通りである。

「ずっと後を追わせてもらって、お兄ちゃんのように面倒をみてもらって育ってきた。久しぶりに一緒に滑ったら前とは比べ物にならないほどジャンプも表現も磨きがかかっていた。僕もこのシーズンオフでそうなりたいと思った。このスターズ・オン・アイスでたくさん吸収したい」

https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/415781


お兄ちゃん…………お兄ちゃんだと思っていたんかしょまさんよ…………


「ゆづしょまは七夕」(※それぞれの不運などどうも謎の力が働き一年に一度しか邂逅できない呪いにかかっている現象の意)に加え、最近では、
「ゆづしょまは課金制」という更なるいわくも発動しているっぽく、私はどうもこのスターズオンアイスで、ゆづしょまガチャに外れっぱなしだったわけだが(写真撮影で隣同士になった回と周回の時に話していた回、私は現地にいなかったし配信も見れなかった)
いいんだぁ、そんなことは………この「お兄ちゃん」だけで救われたから……欲を言えばガチャにあたりたかったけど………

しかしこの時の宇野さん、ほかにも、
「コンディションについて訊かれているのに勝手に関係なく羽生結弦の話をしはじめ、後続の坂本さんを「何の質問だっけ?」と混乱させる」みたいな芸術点高いかましをしていたりなどして、BIG LOVE…


というか、それ以前の自分のインスタライブで、「ゆづくんと…会ってはないけど…会えるの楽しみだね」みたいな匂わせ(※SOIに羽生結弦IN発表前なのでガチで匂わせ)までしていたくせに、
確か最終日、ゆづしょまジェイソンでわちゃわちゃ?したあと、一緒にもっかい出ようぜーーみたいなノリ?に対して普通に羽生くんが宇野くんに無残に振られていたの、ほんまおもしろすぎる。向こうから来られると断るんかよ。

まあ、ガチで久々にあった親戚のお兄ちゃんとの距離感っぽいこれはこれで𝔹𝕀𝔾 𝕃𝕆𝕍𝔼...




第5位:「念願の椎名林檎様」


もう、これはっさあ、これは、御託はいいから、

「もういいから早く全人類RE_PRAYを観ろ。
般若心経が流れるなか黒ゴシック衣装で登場し、無茶苦茶顔の良い退廃的な闇に堕ちる羽生結弦の映像をバックに椎名林檎で滑ってる羽生結弦を見ろ。慄け。」



としか言いようがないんだが…だってあの良さを言葉にするのは無理だから…


羽生結弦様が!!!!!!
この衣装で!!!!!!!!!!!
椎名林檎の!!!!!!
「鶏と蛇と豚」を!!!!!!!!!!
羽生結弦が!!!!! 椎名林檎を!!!!!!!!!
夢?????????????????



何をこんなに興奮しているかというと、
何を隠そうわたし、中二病の例に漏れずリアル中2の時にむちゃくちゃ椎名林檎とか東京事変を聴いていたいわば私の中の原点っつうか、今もカラオケでの十八番といえば戸川純の「好き好き大好き」か東京事変の「遭難」か大森靖子の「ミッドナイト清純異性交遊」なんですけど(メンヘラの人やん)
だからこれはいわば推しと推しのマリアージュ的な全人類の願望的な

それはさておき、さておきっていうかそれもありつつだけど、私、前々から

「羽生結弦に似合うプログラム、ピアノ曲もロックもだけど、もしかすると一番は「厨二プロ」説」

を推していて、例えば黒と赤ゴシックとかで退廃的で耽美な、厨二病が大好きに決まってるやつね。
でそれもあって、FaOIとかに椎名林檎呼ばれないかな〜羽生結弦、椎名林檎で滑らないかな〜みたいな願望があったりして、

遂に………長年の悲願が…………………いやFaOIじゃないけど……椎名林檎という長年の願望が………


そして、ただ推しと推しのマリアージュだから喜んでるとか羽生結弦が椎名林檎を選んだという途方もない現実への悲鳴だけでなく、このプログラム自体が想像以上によい。


まず、「鶏と蛇と豚」に向かうまでの流れ、映像が、蜜が滴り落ちる唇を指で拭う羽生結弦(これはおそらく歌詞を反映しているのかと思われ)をはじめとする、もうなんていうかこれでもかというほどの羽生結弦厨二耽美フルコースって感じで最高すぎる。人類が見たい羽生結弦すぎる。セルフブランディングの神か?

通常であれば、リンクを円状に回るのをベースにするのがフィギュアスケートのセオリーのような気がするのだが、このプログラムはその型を破るかのような「直線的」な動きを土台にしている。
これはおそらく、「鶏と蛇と豚」のMVにおいて、三毒たちが椎名林檎の元へ向かうパレード?的な直線的動きに基づいて取り入れているのだと思うけど(ところどころMVっぽい振りもあり)

この動きで地味に凄いのが、
片方の脚で漕いで漕いでとやっているわけではなく、最初に少し蹴ったあとあとはツツ…っと真っ直ぐ推進力だけで向かっているのと、その後も、クロスで漕ぐ動きではなく、なんか重心の移動だけで前に出てきたり後ろに下がったりするの、かなり地味凄ポイント。

通常の競技プログラムであれば、必須要素を入れる必要があるからこういう動き方で作るのは無理だが、ICE STORYという、複数のプログラムを滑るかつ全体で一つの作品的なショーだとこういう斬新な滑りを取り入れることも出来るのが面白い。


歌詞を反映するかの如く、蜜を口に入れもがくような振りや、コンテンポラリーぽいダンスの動き方がアートめいていて最高だし、後ろの映像の羽生結弦が闇に堕ちる結弦って感じであまりに顔が良すぎるし映像かっこよすぎるしそことの融合も最高の演出すぎるしMVを意識した振りも似合いすぎだしてかまじで椎名林檎似合うなだから似合うって五億年前から言ってただろありがとうほんとにありがt


……で、最後、リンクからあがりショートサイドの前方に据えられたお立ち台にのぼって、ナレーションをバックに陸上で様々な振りをするんだけど、この最後が
「私が、この世界のルールだ」なのも、痺れすぎる!!!!!!!!

男の「私(あたし)」に弱いのよ!!!!!!! オタクは!!!!!!!!!!!



ちなみにひとつ不満を言うならば、
この「鶏と蛇と豚」があまりに神すぎるがために何度も何度でも何度も一時停止からの巻き戻しリプレイをしてしまうが故に、一向に前に進まず一生RE_PRAYをクリアできないのが難点!!!!


そういえば、悲願が叶ったついでに更なる欲を言えば、
AERAの伊藤さんインタを見て思ったんだけど、
私も、次のアイスストーリーシリーズ、演出MIKIKO先生、音楽 椎名林檎、アートディレクション蜷川実花、衣装 伊藤さん、主演羽生結弦的な映像とスケートが融合する壮大な何かを見たいな…………
お耽美オブお耽美世界……(言うだけはタダな願望)



第4位:「自分の好きなところ→「ネガティブなところ」」

10年間にわたるANAとの契約が終わったのでおそらくもう公開されていないのが惜しいのだが、ANAがYouTubeで流していた「ANA×羽生結弦 一問一答インタビュー」かなにかで、羽生くんが
「自分の好きなところ」を訊かれて、

「ネガティブ」

と言っていたのが、なんかかなりよかった。
(実際には、「ネガティブ、寂しがりや、負けず嫌い」と3つ挙げていたが)


何がいいか、っていうこの感覚を言語化するのは結構難しいんだが、
ああ、そうなんだ…!自分や世界のことをそういう風に捉えている人なんだ、っていう感慨と、五輪に三回も出た世界トップレベルのアスリートにあまり似つかわしくないような「ネガティブ」という気質を、「好きなところ」として真っ先に挙げるというこの逆説?
ちょっと上から目線ぽい言い方だけど、羽生くんのこういうちょっとした言葉に、彼の世界の捉え方に対するクレバーさみたいなものが表れている感じで、すごくよい。


私は幼少期から万年体育3の運動音痴かつ陰キャなので、体育会系=やればできる!目標に向かってがんばろう!みんなで力を合わせよう!感動!みたいなポジティブ人間みたいなクソデカ特大偏見を抱いているかつ、そういう体育会系的思想をほとんど憎んでいると言っていいほどなのですが(陰キャだから…)

でも考えてみれば、確かにスポーツ等でトップを目指すにあたって、もちろんそういうある種のポジティブ性というか、希望(夢)が叶う可能性という未来への前向きな気持ちおよび自分を奮い立たせる力、最後の最後に自分や周囲を信じられる胆力みたいなものは必要なんだと思うけども、(どうせ出来ないとか無駄だという気持ちしかなかったら頑張れないから)

同時に、ネガティブな性質、言わば必要以上に考えすぎてしまう感じ、というか、ああなったらどうしようとか、こうなるかも、とか、悪い結果への空想とか、何か現実に対して、こうなのかもしれないとかああなのかもしれないとか悪い方に捉えてしまう気質、
これはある意味、「あらゆる可能性を考えることができる」「多角的に考えや想いを馳せられる」という美点と言い換えることができるかもしれず、
考えることができるので、その可能性を回避するためにどうすればいいか対応をさらに考えたり、実際に対処できたり、気づいたりできる、というか。
そんなことは起こらない、そんなことはない、と下手なポジティブ性を以て放棄するのではなく、起こるかも、とか、こうなのかも、というネガティブな想像でいろんな可能性に恐怖することが、対応策を生み出したり事前に想定しているから対処できたり、何かに気づいたりできることにつながるので。

そして、勝てる!と考えて頑張れる人もいれば、同時に、「負けるかも」と考え恐れることが、それを回避するために頑張れるモチベーションになり得ることもあるという意味で、別にネガティブは悪いことだけでもない。のかも。そしておそらく羽生くんは、自身のそういう性質がこれまで自分を駆動してきてくれたと捉えているから自分の好きなところとしているのかもなと。

……と、まあ実際のところ羽生くんが何を以て「ネガティブ」を自分の好きなところとして挙げたかの詳細は分からないんだけど、

まあでも確かに言われてみれば、私も私のネガティブなところを割と愛している節があるんだよなあ、というハッとするような気付きと、ネガティブだって必ずしもダメな要素ではないのかもというお墨付き?を得させてくれたという意味で、これは個人的に2023年かなりよかった羽生結弦でした。




第3位:「欲望のままにここまできた気分はどう? 好奇心だけで 区区たるものを踏み台にしてきた気分はどう?」


「GIFT構文」に続いて、「RE_PRAY構文」があるとしたら、
「みんなが大好きなRE_PRAY構文ランキング第1位」は、このくだりじゃないですか? 集計していないけど、たぶん絶対そうだと思う。

先述の通り、「RE_PRAY」はゲームを題材にしたストーリー仕立てのアイスショーである。(おそらく、世界観や命題としては主に「UNDERTALE」というゲームがモチーフになっていそうな箇所もある)
RPGなどのゲームにおいては、一般に、遭遇する敵やモンスターなどを倒したりしてレベルアップやスキルアップを図り、そうしてより強い敵を倒しながらクリアを目指していく、というような設計がなされているだろう。
「RE_PRAY」に於いても、「流れるいのち」と称されるひとつひとつの命を喰らって、力を得ていく様子が描写されるが、そこで辿り着いた先で流れるのがこのナレーションである。


ようこそ よくここまできた
欲望のままにここまできた気分はどう?
好奇心だけで 区区たるものを踏み台にしてきた気分はどう?

ここに至るまでの人生(みち)様々なことがあっただろう
あなたは知っている。勝利することの快感を。道を切り拓くことの達成感を。
そして、次の物語の展開を楽しみに待っていた。

何もかも乗り越えてきたつもりだろう。だがそれは、大きな勘違いだ。
振り返れば分かるだろう。乗り越えてきたんじゃない。
他人も、身体も、精神も、自我も、命も、道徳も、倫理も、理性も、想いも、夢も、希望も、憎しみも、嫉妬も、全て壊して、踏みつけて歩いてきた世界だ。

ただ考え、見ていただけ?
選んだのだろう?
見続けるという選択を。この世界を見たいという心のままに。
同時に、進めるよう、応援していたのだろう。
一緒に戦っていたのだろう。”レベルアップ”(成長)してきたのだろう。

何度も止められるチャンスはあった。それでも、物語に委ねてきたのだ。

もう、止められない。



これを、冷たく非難するように突き放す声やラスボスみたいな厳かな声じゃなくて、優しい声色なのが、余計に怖くてゾクゾクくるのだが、このくだりの解釈について、現実に生じている事象を含めて幾重にも意味が生じそうなところが恐ろしい部分でもある。

このくだりを最初に聞いたときは、羽生くんが羽生くん自身の半生について描写し、己へ問いかけているのかと思っていた。

すなわち、勝利や栄光のために様々なものを踏みつけ犠牲にして、それでもこの自分がどこまで進めるかの物語を知るために戦ってきたのだろう、自分の選択たちは、様々なものを犠牲にしてそれでも戦いたい突き進みたいという欲望が生み出したものではないのか、その裏にはどれほどの犠牲があった?というような、己への問いである。


しかし、「一緒に戦って」というくだりや、羽生くん自身が、5日の公演のアンコールで、「この物語において、僕はあくまで非現実ないしはキャラクター」「皆さんがプレイヤーであり神」というようなことを語っていたことを鑑みるに、実はそうではないのかもしれないと思う。


すなわち、これはある種メタ的な問い、
ゲームの中の「キャラクター」が、次元の壁を超え「プレイヤー」へ問いかけているようなシーンなのかもしれない。

ゲームにあまり馴染みがないと、ついつい「キャラクター」と「プレイヤー」を混同して(あるいは同一視して)見てしまいがちだが、確かにこの二つは違う。

「画面の中」でプレイヤーの媒体的な存在として動き回ったり戦ったりするのが「キャラクター」(分かりやすくいうとマリオとか。)で、
それを「画面の外」から操作し動かしているのが「プレイヤー」だ(つまりこの世界に今いる「私」である)


「プレイヤー(私)」は「キャラクター(マリオ)」を操作し、動かすことができ、見ることが出来るが、
「キャラクター(マリオ)」からは、「プレイヤー(私)」の存在を認知することも、自分の意志で語りかけることもできない。そもそも、自分がゲームの中の住人であり、「何か(プレイヤー)」から動かされている存在であることも、認知することができないかもしれない。

だから、「神」なのだ。

キャラクターにとって、自分の世界の外、自分の次元の外におり、こちらを見ており、この世界の行く先を選択し決めている超次元的存在。プレイヤー。

(後半、「ねえ神様」と語りかけているシーンがあるが、この神様とは、そうしたプレイヤーという存在の事を言っているのだと思う。キャラクターが、自分を操作するプレイヤーの手から離れ自由になったということなのだろう。)


だからこのくだりは、
"プレイヤー"への問いかけめいているような気もするのだ。

キャラクターを駆使して、上手くいかなければ何度もリセットして、世界を幾度も壊して踏み躙り、でもこの世界の物語の続きが見たいとそれをしてきたそうして(キャラクターと)”一緒に”戦って来たつもりなんだろう。
止めようと思えばお前には止められたのに。 というような。


「RE_PRAY」の物語としてはそうだろうけど、しかし、これを羽生結弦が書いたことの意味、この叫びには色々なものが込められていそうで、怖………と何度も戦慄してしまう。

すなわち、何というか、羽生結弦自身から我々に、「俺の心を踏みつけてここまで来た気分はどう?」って突きつけられているような気分にもなるのだ。
顔も名前も知らない有象無象の人間に、自らの人生を好奇心で消費され、本当は本来さして関係のない人生のはずなのに、勝手に重要登場人物(キャラクター)にされる人生。
誰かを消費してでも、望み通りでなければ憤り矯正させようとしてでも、この物語の続きを見たかったのだろう、たとえどんな結末が待っていたとしても、でもこのページをめくり続ける事を選んだのはお前たちなのに。というような。

「お前らにとって俺は所詮、“キャラクター” なのだろう?」

と突きつけられるような怖さがある。


好奇心という欲望、誰かの人生の消費と犠牲の果てにあったものは、いったい何だっただろうか。



ちなみに「RE_PRAY」、観る人が観れば俺たちが見たかった羽生結弦のフルコースオブフルコースなのだが、
もしかしたら、羽生くんのことが苦手な人が見たら、あまりのフルコースぷりに一見、「何やこのナルシストは!!!」となるかもしれない。
それもわからんでもないが、私は、実は本質はそこではないと思っている。

羽生くんは「自分は媒体でいい」と言っているが、確かに、羽生結弦は媒体なのかもしれない。羽生結弦という媒体を通して、見ているものは、たぶん自分自身の物の捉え方とか自分の願望なのかもしれない。

その意味では、まさに、強烈な羽生フルコースでありながらそれを"動かして"(どういう物語にして)いるのかというのは私なのだ、という我々がプレイヤーだという反転を突きつけられるし、圧倒的に眩い光でありながらも己というものを反射して跳ね返す月である羽生結弦、を感じられる。


怖い男である。





第2位:「特にPizzaってそういう食べ物」


なんか、どうしてもじわじわきて外せなかったやつ。
ほんとにこの順位でいいのか?? もっとあったでしょ絶対って感じなんだけど、なんていうか一言では表しにくい言葉にできない羽生結弦の””””よさ”””””がかなり詰まっていると思うので……
おもしれー男なんだよほんと…………

これは何かっていうと、味の素がピザをつくるということで羽生くんにヒアリングしたときの言葉らしい。


栄養価を考えた「Pizza」について説明。
アスリートへのヒアリングでは羽生さんが「そもそも食べるのが苦手な人も、食べたいと思うようなものにするには嫌いな食材が入っていてはダメ。特にPizzaってそういう食べ物」と話したことを明かした。

https://news.yahoo.co.jp/articles/505ef27508bc069e34a9788c17673498fdca7eaa


いやっこれさあ、多分記者がピザをPizzaって書いているのがより面白さっていうかじわじわ感を更に醸し出しているからズルいんだけど、
それでも、この…なんでしょうね、何とも言えない………この面白さを上手く言語化できないのが歯がゆいんだけど………でも、絶対本人は真面目に言ってるだろうから、この真面目に言ってるんだろうなってのが逆により面白いんだけど………


そもそもなんだけど…

ピザってそういう食べ物か?????????
特に??????????


でも、これはワンチャン私の方がずれているというか雑なだけだという可能性があるので、あまり自信を持って言えないんだけど、
私はむしろ、ピザって、大枠としての味?方向性?(モッツァレラなのかプルコギなのかみたいな)はあるけど、具体的に細かい具材がなんなのかは気にしないというか分からない方の食べ物だと思っていた節があるというか、むしろ多少苦手なものでも適当に混ぜて載せてしまえば気にならない方の食べ物だと思っていたというか、

ピザってそういう食べ物か?????????
特に??????????



と何度考えてもじわじわくるというか何度思い出しても面白いので、ここに入れました。でも私の方がズレてたらごめんね。


そういえば羽生くん、AERAで自分のことを「そうではないと思ってたけど、変なのかもしれない。自分的には普通だと思っていたことが、どうもそうじゃないらしかったりする」みたいに言っていて、ああ…とこれはめちゃくちゃ分かるというか、いや別に世間からめちゃくちゃずれたり常識から逸脱した変人だとも思わないんだけど、なんかたまに、
「ん??????」みたいな不思議ちゃんぽいとこありますよね。

そこがLOVE……


(あと今年、羽生くんの発言で「ん??」とじわじわきたやつでいうと、
そらっちに対する「いろんなことができます」(被り物を取る以外のいろんなこととは)
スイッチインタビューでの「寝るのがめんどくさい」(起きるのがじゃなくて寝るのが面倒という心境とはいかに←いやまあ言わんとすることはわかるが。健康や練習のためには寝なきゃいけないがやりたいことがありすぎる的な?)




第1位:「一人一人の中にしか生まれない世界の色」についての。


これは、今これを言うのはかなりどうなんだという感じもあるのですが、
それでも、結果としてどうなったという未来が分かっている視点で過去のことをジャッジするのは違うだろうという思いと(その時点で未来は誰もわからないのだから、わかっている未来から過去の行いを判断するのは卑怯だろう)、たとえ結果的にどうなろうと、その時感じた感慨が別に変わるわけではないという思いで、ここで記しておく。


私は、羽生くんが「何かしらの心が動くきっかけになれば」みたいな言い方をするのがアマチュア時代からかなり好きだった。

「見る人に感動を与えたい!」みたいな事を言いそうで、そういう月並みのスポーツ選手みたいな事を彼はあまり言わない。「何かしら」なのだ。その何かしらがなんなのか、それはなんでもよくて、指定はしない。


あの入籍報告文でかなり良かったというか、物凄く感心したのは「温かく見守ってください」とか「これからも応援をよろしくお願いします」とか、普通の人がテンプレートとして書きそうなことを全然書いていないところだ。あくまで、「自分はこうします」というだけ。
「~ます。」
私は、全人類、結婚報告はこの形式でいくべきでは?とすら思った。


というのはさておき、
つまるところ、それが何であれ、羽生くんの中ではたぶん、決めるのはお前らなのだ、と思う。
自分はこうする、それを受けてどうするかを決めるのはあなたたち。
「GIFT」の中で、「太陽みたいにみんなに力をあげて、みんなが世界をあったかくするんだ」と言葉を紡いでいたように、主語は「みんな」。
つまりそれが、大袈裟な言い方かもしれないけど、羽生くんの根底にある思想であり哲学なのだろうなあと思っている。

これを、受け取る人によっては「自分のことだけか」とか「突き放された」と思ったりするのかもしれないけど、私はそうではないと思う。

主語は「みなさん」だという気持ちがあるからこそ、そこに自分の口を挟んだりはせず、だから自分がどうするとしか言わないのだと思っている。
私は、これは非常に彼の真摯さだよなあといたく感銘した。
強さであり、やさしさでもあると思う。


(ちなみに相手についての記述がないのは相手を含む単なる多方面への配慮だろう。具体像が見えることでより報道や過激派の嫉妬・ヘイトが先鋭化する可能性の方が大きいし、最初から相手が分かっていれば追われないというのは完全に眉唾である。コムケイさんなんか別に最初から顔も名前も出てたけどお母さんの云々とか背景掘られまくった挙句、アメリカでまで撮られとるやないかい)


話はやや逸れるかもしれないが、
強さ、というのはつまり、何にせよ、誰かの自分に対する態度や見え方を、誰かの意志や捉え方のみに委ねるのは、怖いことだからだ。


羽生くんが「RE_PRAY」について発した、
「一人一人の中にしか生まれない世界の色」ということば。

これは世界のすばらしさのようでいて、私にとってはある種の虚しさというようにも思えていた。


つまり私たちは、あらゆる他人について(もしかしたら自分自身についても)、見たいものを見たいようにしか見ていないのだろうな、ということの寂しさそしてだから、それは時にぜんぜん見当はずれだったりするのだろうということの虚しさ。


誰かから発せられる言葉、仕草、行動、それらから成る我々が性格や人格だと思っているもの。いやこの世界のあらゆるすべて。
あらゆるそれらは全て、一旦、「自分」というフィルターを通じてしか受け取ることができない。

だからこそそれらは、自分の性格、価値観、考え、知性、理解力、見たいと思っているもの、思いたいと思っているもの、その全てに左右され得る。


私が誰かについて、「こういう人なのだろう」「こういうことなのだろう」「こういう意図なのだろう」と思うとき、
そこにはおそらく少なからず、「こういう人(こと、意図、考え)なのだろうと思いたい自分」が存在してしまう。


仮にあなたの「全て」を私に与えられたとしても、あなたと同じようにあなたのことを捉えることも、あなたと同じ事を考えることも出来ない。

違う人間だからだ。


つまるところそれが孤独ってやつなのかもしれない。

これは物理として周りに人がいるか、とか友人がたくさんいるか、家族や恋人がいるか、とかそういう次元の話とは違う話だ。
でもこれはたぶん、どんなに「孤独というのは物理の話ではない」と言葉を尽くしたところで、そう思わない人には永久にそう思わないのだろうとも思う。
そう思いたいと思っていないからだ。
それも歯痒い。
と同時に、私のこの捉え方もたぶん、所詮、私がそう思いたいと思っているに過ぎない。
これも馬鹿馬鹿しい。

たとえば羽生くんの結婚、離婚、ある誰かの事象について色んな人が語る。こういうことなのだろう、こういうつもりなのだろう、こういうはずだ。でも私はそのどれもが、そのすべてが「それは結局、あなたがそう思いたいっていうだけの話だろう」「自分を納得させ自分を肯定するための言葉なのだろう」としか聞こえない。
私自身の言葉も。


馬鹿みたいだと思う。


ほんとうは、見えている景色は全然違っていて、ほんとうは各々が見たいものを見たいように見ているに過ぎないのに、分かったような分かられているような気になっているのだとしたら、
自分たちが言葉を発する意味とはなんなのか、何かを伝えようとすることに、何かを誰かを知ろうとすることに、費やすことに、語ることに、どれほどの意味があるのか。どれほどの意味があったのか。

もちろん、別に意味なんてなくたっていい。
楽しいから、かっこいいから見ているし、私も喋りたいから好き勝手に喋っている。

いいのだけれど。


星野源の番組で、羽生くんが自分のことを「見せたいんだけど、別に見せるつもりはないぜみたいな」と表現していたのが、とってもよかった。さすが稀代のコピーライターだなあと思う。
分かりたいけど、分かっているつもりはないんだぜ。ぜんぜん。


「GIFT」の中盤がそういう、分かってほしいけれど分かったような顔なんてされたくねえんだよ(だってわかるわけがないのだから)という孤独と断絶への叫びと、同時に矛盾して存在する、誰にも侵すことのできない孤高への誇り(自分ほどこの思いや思考を理解できる人間なんているはずがないというような)だとするならば、

「RE_PRAY」にはこうなんというか、その先の覚悟のようなものを感じた。いや、たぶんこれは自分が勝手に感じて勝手に帰結したに過ぎないのだが。
あるいは、もしかしたら羽生結弦はずっと前からそういう話をしていたのだが。

「一人一人の中にしか生まれない世界の色」。

それは己と己への解釈というものに関して我々を突き放す冷たさか、
あるいは己が如何様にも捉えられることを引き受ける覚悟、己の手から離れて語られることを厭わない強さか。

どう思いたいかは君次第なのだろう。


けれども、同じことを発しても、全員が全員同じようには受け取らないからこそ、受け取らないことがこの世界の多様性となり、新たなものが生み出される契機となる。
それはあるいは、自分が意図したとおりではないのかもしれない。
それでも、

自分が何か言葉を発したとき、自分が何かを表現したとき、それは絶対に「誰か」の各々のフィルターを通してしか受け入れられないとしても、自分と100%同じには理解されないとしても、
自分が誰かのことを、何かのことをいくら必死になって分かった顔をしたところで、それは所詮自分の感情や願望が鏡に見せているものに過ぎなかったのだとしても、
それでも、「誰か」が発した言葉、表現が、何か、それが何かは限定できないけれど、少なくとも受け取った人に「何か」しらの感情を生むことになる。その感情が、また新たな何かを生み出すきっかけとなり得るかもしれない。
だとしたら、今ここでわたしが発した何か、によって、何も発しなかった状態からひとつ、ふたつ、みっつ、世界は新たに分岐したことになり、この分岐の拡がりこそがこの世界にたくさんの人間が存在する意味、尊さなのかもしれない。
だとしたら、それは必ずしも無意味だったことにはならないのかもしれない。

となんだか救われた気がしたのだった。