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他人のつらい話に共感ができない


と言うと、「冷たいひとだねぇ」と言われる。

まぁ、そうか。そりゃあそうだよな。
世はまさに大共感時代。なんて勝手に思っているのだけど。


人と繋がる旗印としての「共感」
インターネットが発達して、自分の好きなものを好きなときに見れるようになった。個の時代の到来。そして、SNSによって、その「個」同士がまた繋がれるようになってきた。小さな世界がたくさんある。いい時代だなぁ、と思う。

そんな小さな世界を繋ぐのって、共感なんだと思う。
「あのバンドいいよね!売れないなんて世のなかおかしい!!」って話だってそうだし、「あのアニメの第何話が神~!」だって、「○○あるある」なんてまさにそうだろう。

個の時代とは言っても、ひとは一人では生きていけない。
ひととの繋がりを求めていくのは必然だし、その目印となるものはもちろんいくつもあって、「興味」であったり「憧れ」や「おもしろさ」とか、色々あるんだけど、この「共感」の割合はけっこう大きなものだな、というふうに感じている。

共感の度合いにもそれぞれ幅があって、「わかるー」「それな」みたいな、ハートマークをポチっと押すくらいのものから、もうどうしようもなく何かを伝えたくなってしまって、コメントを送るものまであるだろう。
タップひとつでインスタントに共感を示せるようになった現代、コメントを残してもらえるほどに強く共感をしていただける、というのはほんとうにうれしいことだ。だから、みんなもっとわたしのコメント欄に書いてくれたらいいなと思う。おっと、思わず本音が出てしまった。


「つらい話」に共感できないわたしが、共感した歌詞
そんな時代だからこそ、みんなが共感であったり、肯定を求めていると思う。
スキの数に一喜一憂したり、寄せられた同意のコメントに「うれしい!神~~!!」と大喜びしたりする。わたしもする。

読む側としてのわたしはどうなのかというと、比較的感受性はたかいほうであると思う。しょっちゅういろんなものごとに共感している。
なお、いちばん共感できるものは食事の写真についての「うまそう~!」であることもここに記しておく。うまい食べものは正義なので仕方がない。セーフ。

ただ、書き手とわたしが読む際の共感度合いに大きく差があるものがある。
それがタイトルに書いた、「つらい話」である。

読み物として書いている以上、何らかの想いを込めて書いているのは間違いないだろう。それは共感を得たいのかもしれないし、単純に承認欲求なのかもしれない。
ただ、どちらにせよ、わたしは書き手の望むような受け取りかたをできていない自覚がある。そういう意味ではちょっと申し訳ないなぁと思うことがある。

溜め息の訳を聞いてみても 自分のじゃないから解らない
だからせめて知りたがる 解らないくせに聞きたがる

あいつの痛みはあいつのもの 分けて貰う手段が解らない
だけど 力になりたがる こいつの痛みも こいつのもの

BUMP OF CHICKENの「真っ赤な空を見ただろうか」という曲を初めて聴いたのは、もう13年も前のことだったか。
社会人1年目の秋。大切な友人を事故で亡くした、あの日。
傷心のまま聴いたこのカップリング曲の歌詞は、これまで抱えていた想いが、初めてひとの手によって形になったものだった。


あなたの地獄は、わからない
あなたの痛みは、あなただけのものだ。わたしには、あなたの地獄がわからない。
以前も書いたが、自分にとっては心地よい温度のお湯が、あなたにとっては熱湯だったりもする。その逆のことだって、いくらでもある。

たのしいことはいくらでも乗っかれる。わからないけど、きっとたのしいんだろうなぁと想像して、ふわふわした気持ちになれるのだ。
いいなぁ、一緒にやりたいなぁ。そんな軽い気持ちで、いくらでも想いを重ねることができるだろう。

わたしには身を焼かれた経験がない。
あなたの経験に、勝手に想いを重ねるのは、ひどく失礼な気持ちがする。
自分なんかが何を言っても、ひどく薄っぺらく聞こえてしまうように思うのだ。わかるわけのないものを安易に「わかるー」などと言いたくない。

だから、たいへん申し訳がないのだけども。
つらい話には共感ができないし、たぶんこれからもする気はないと思う。


共感はできないけど、受容したい
じゃあ、どのような気持ちで受け止めるのかと言うと、それはきっと受容なのだと思う。
「受容と共感」という言葉は介護の世界ではよく使われる言葉だ。わたしも専門学生のころ、テキストで知った。

受容とは、相手を評価せず、否定も肯定もせずにただ受け入れるという考えかただ。
相手の「地獄」がわからない以上、否定はもちろん、肯定もしづらい。わからないものは「わからない」と答えるしかないよなぁと思うのだ。

そんなことがあったんだね、あなたはすごくつらかったんだ、そうか。って。そっと気持ちを受け止めて。
共感はできないから、伝える言葉は持ち合わせていないんだけど、「いいようになったらいいなぁ」って。そう願って、そっとハートのボタンを押している。

でも、よくよく考えたらその気持ちを伝える術がないよなぁ、と気付いたから、いまこの文を書いているのだけども。

いつもお互いに文章を読み合っている、あなたへ。


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