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花と大切な友人のこと

物騒なニュースばかりの昨日今日、花肉植物の写真と短い記事の友人のSNSに眼を止めた。昔、ゆやホールでの演奏終えた楽屋で、いただいた大きな花束たちに困り果て何もしない僕らの前で、なりふり構わず床にひざまずき、何枚もの新聞紙拡げ、バランスよく美しく丁寧な手つきで生けるように、小分けして、メンバーにもって帰って飾るようにうながした(コンダクターである)君のことが鮮やかな思い出として蘇った。


そういえばつい先日も、葬送の供花を花束にして包み直しいただいて、あるお店に飾っていただければとお渡ししたら、店主は快く気持ちをうけて下さりうれしかった。数日を経てそのことをすっかり忘れ、カウンタで美しい花だねぇなんて、店主に言ったもんだから笑われた始末で、水を換えまだまだ大切にして楽しみをくださるってわけだ。


花はみんなに愛でてほしくて意図を持って美しく咲く。
君の、植物への愛や接し方はcoolそのものだ。

ひとの中に
木であれ、花であれ、石であれ、この世界に発現したものたちと同一の意識の交流をこころみ、優しく接するものがゐることはよろこびだ。命はいったりきたりのみな同体、騒々しい世であれ、こころの奥底に秘めた安寧を希求しているもの。
しかしながら相変わらず僕は、それを語るに足る風格に未だ到達しない境地であるかな。
#大場章三
#Ebony  and ivory flower ateliar
#グッデイカフェ

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