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茂みに実る。

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2年が経つと。

2年が経つと。

3月10日。父の三回忌だった。
三回忌というのは実質亡くなってから丸2年、ということである。
2年というとまだまだ間もない気がするのだけど、心の整理がつくには十分な時間だったと思う。父が居なくなってから変わったことが沢山あって、あっという間にどんどん過去のものになっていってしまったのだ。

人間は辛い記憶を優先的に亡くしていくとどこかで聞いたけど、実際その通りで、あの時感じていた痛みや苦しみは「経

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アイスコーヒー。

アイスコーヒー。

ちらちらと、虫が辺りを舞うようになった。

季節は間違いなく、当たり前に移り変わろうとしていて、桜だってあっという間に咲いては枯れてしまったし、空模様も冬のそれとはすっかり違う色彩や形を見せている。

僕はお店の、エントランス部分にあたる空間の奥の方に仕舞われていた蚊取り線香を取り出し、100円ライターで火をつけた。半年近くひっそりと仕舞われていたそれは折れたり湿気ったりもしておらず、すぐに白い煙

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いない世界。

いない世界。

「父さんがいない世界ってどんなんなんだろう」

父がどんどん衰弱していっている時期に(今年の2月くらいか)、姉が切なげにつぶやいた言葉が妙に頭に残っている。

父の病気が発覚してからのこの5,6年、いつも頭の中に父の病気のことがあったと思う。
とはいえ、父はいつも元気だったし、誰よりもパワフルだったから「心配」というものとは少し違うけど、病気が身体の中にある以上は「完治」する事をずっと願っていた。

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夢。

泣いている時に鼻をすすると、どうしてこうも「泣いている時に鼻をすする音」になってしまうんだろうな、とぼんやり思った。

父が出てくる夢を見た。
昨晩も見たのだがあまり覚えていない。しかし今のは比較的ハッキリ覚えている。

親族一同(思えばそのメンツは葬儀に駆けつけてくれた方々だったかも)で入院中の父のお見舞いに行く夢であった。
寝ている集団部屋から、我々が待つ食堂に車椅子に乗って現れた父は

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まえがき。

2018年の3月10日。
父が他界した。

2月の終わり頃に父の主治医から余命宣告というものを受けた。父の病気が発覚してから(2012年のことである)、ある程度は意識してはいたものの、このタイミングで聞くその宣告はあまりにもショッキングだった。

その日から、頭の中をその余命宣告と、それを巡る言葉が支配した。そのこと以外は考えられなくなった。
とにかく溢れてくるその言葉を吐き出さない事には物事を冷

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余命。

家を出る。
この家は僕が生まれた年に建てられたものだ。1987年。築30年くらいが経った木造の平屋である。今では水周りや外壁、そんなものが少しずつ古くなって来ている家だ。
僕は幼少期からここに住み、育った。

既に頭上にある陽光は、今が冬であることを一瞬忘れさせてくれるほど眩くて、今にも深い奈落へ沈みそうな気持ちを少しだけ持ち上げてくれた。

30年と数ヶ月前。
乳飲み子の僕を抱え、当時3

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「死ぬ」

頭の中に浮かんで来る、いやむしろ溢れてくると言えばいいのか。自分の意識を越えて唐突に湧いてでる沢山の言葉たちをこうしてメモに書いておこうと思った。
頭の中がとてもぐちゃぐちゃしていて、吐き出す作業が必要だと思ったのだ。
こんな時に何を冷静に文章なんか作ってるんだともう1人の自分は言うけれど、そうしない事にはいられなかったのだ。

「死」というワードにやけに敏感になった。
「死ぬほど好き」とか「

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案山子。

「たまにはゆず以外の音楽も聴けよ」

自室でひとり、毎日毎日ゆずを聴き、ギターを弾いていた僕に父が放った言葉である。
父が青春時代を過ごした60年代、70年代はイギリスのリヴァプール出身の四人組が世界を賑わせていた、あの頃だ。あの頃の音楽にはロックミュージックの黎明と成長があった。数多のバンドやミュージシャンが現れていたあの時代。日本でもその流れを受けたバンドや音楽が流通していた。

その

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正夢に。

眉村卓先生の「妻に捧げた1778話」という小説に、「非日常を日常と思うようにする」というような言葉があった。
奥様の闘病と、それを支える毎日は言うなれば「非日常」である。
病気が治り、健康になることが「日常」で、だからその日常と非日常を意識の中で行ったり来たりするのはとても精神に疲労を感じることである。
だからこそ、非日常を日常と思えばいいのではないか、という発想。
そうすることが出来れば、その新

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抱擁。

抱きしめたい、と思った。
ハグとかそういうのでなく、抱擁のような。
そしてそれは恋とか愛とか言うものでもなく、例えるなら酷く気分が悪い時に背中をさすって貰うような、そんな。

僕は誰にそうされたいのだろうと思った。
母?姉?妻?それとも知らない誰か?
答えはすぐに思いついた。
父だ。
父からそうされたかった。抱擁が照れくさいなら、握手とか頭をぽんぽんとか、そういうので良い。
そういうのでいいか

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べーろべーろべ。

「だーれだっ」とおどけて聞く母に、間髪入れずに「べーろべーろべっ」と返す父。

父にお迎えが来るほんの6時間くらい前の出来事である。時刻は深夜の3時を迎えようとしてた頃。

父は深夜1時を少し過ぎたあたりに軽い発作というか、錯乱状態に陥った。目は虚空を見つめ、呼びかけにも応答しない。
慌てて看護師さんを呼び、対応をして頂いた。脈拍、血圧、酸素濃度が低下していたらしい。

酸素の吸入をし

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STAY DREAM。

「STAY DREAM」
これは、長渕剛が作った造語(和製英語)である。
「夢をステイさせろ」つまり、「夢を持ち続けろ」、「夢があることで強くなれる」、「あきらめるな」なんていうふうに意訳出来るかも知れない。

この曲が大好きだった父は、自身の病気が発覚してからはじめた闘病ブログのタイトルを「STAY DREAM」とした。
その闘病ブログは、病気に対するものというよりは、「いかに生きるか」を体

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あとがき。

父の死から一週間が経った。
酷く雨が降った日もあったのだけど、今日はまた雲ひとつない快晴になった。

父はこんな天気が大好きだった。
こんな天気の日には「どこか行きたくなる」と言い、止めなければバイクでひとりでも出掛けそうなくらいだった。

この一週間は、様々な手続きに追われた。
それこそバイクの処分や、父名義になっている車等のこと、生命保険や、そういう諸々。
人がひとり死ぬということは、遺された

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