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僕だけが見た特別なワンシーン

何故だか分からないが、ニヤニヤとしながら交差点を右折するトラックの運転手のおじさんがいた。

禿げた頭、残った髪は白髪のおじさんは、建築中である家の外壁をペンキで塗っている。

今から防空壕に避難でもしに行くんですかと尋ねたくなるような格好をしたおばさんが道路を横断しようとしたものの、向かってくる僕が乗る車に気づいて、やめた。

微妙な位置を走るヤクルトレディの原付バイクが煩わしい。

カブに乗った郵便配達員の男性と工事中の道を整備するおじさんが信号待ちの間に短く会話をしていたが、何を話しているのかまでは分からなかった。

バカでかい乗用車がその図体の割にノロノロと走っていて、ちぐはぐな感じを覚えた。

コンビニで成人用雑誌を立ち読みしている白髪のおじさんがいた。

指を怪我したのか、それともあかぎれか、絆創膏をした手でレジ打ちをするコンビニ店員のおねえさん。

信号待ちをする、若いのかそこそこの年齢なのか一瞬では判断がつかない顔と服装をした女性。

開けたスペースがある路肩に、佐川急便のトラックが停めてある。

雲が蜘蛛のように見えた。

夕焼けが綺麗で、誰かに見せたくなった。

People in the boxというバンドの「動物になりたい」という曲のサビ部分が頭から離れない。

反対車線のオラついてるであろう車のヘッドライトが眩しい。

ジョギングしているおじさんが横断歩道を渡るタイミングと、こちらが横断歩道を横切るタイミングが微妙で、出来れば止まらずに進みたい。


これらは僕が本当に見、体験したことである。

淡々としてなんの脈絡もない、どこにでもありそうな風景や日常。
だけどそれは、僕だけが見た特別なワンシーンである。

名も知らぬ街の人々は名を持たぬモブキャラでなく、確かに生命と意思を持って毎日を送っている。それぞれがそれぞれの人生の主人公であり、同じものはひとつもない。
もしかしたらその中に、朝方まで酒を飲み交わせるくらい気が合う人がいるかも知れないし、不足している何かを補ってくれるような人がいるのかも知れない。

SNSの登場でそういう機会は確かに増えてもはやそれに慣れてしまっていたけれど、みんなそれぞれ本当は、誰かの目線から見れば溶けてしまう日常の風景でしか無い存在だったのだ。

インターネットと現実世界の隔たりは、これから先もっともっと無くなっていくだろう。端末をかざせば、その人の何かしらのアカウントがすぐに分かるようにだってなるかも知れない。

そんな未来が訪れた時、もう『淡々としてなんの脈絡もない、どこにでもありそうな風景や日常』を、『淡々としてなんの脈絡もない、どこにでもありそうな風景や日常』として見ることが出来なくなってしまうのかな。

そう思うと妙にそれが輝かしく見えてきて、消えていく日常をもっと観察してみたいな、と思ったのだった。

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